アメリカ合衆国の大統領であるバラク・オバマさんが広島を訪問したことで
改めて意識が高まっている核の問題。
世論は大まかに言って2つに分かれているようです。
1つは核兵器の必要性を訴える意見、
もう1つは核兵器の根絶を求める意見です。
私から見ればどちらも本質を見失った頓珍漢な主張です。


まず、原爆の投下は必要だったという意見について。
簡単に言えば原爆を落としたことによって戦争を早期に集結させることができたという考え方のようです。
確かに原爆はたくさんの命を奪ったが、その原爆の投下がなければ戦争が長引きもっと多くの命が失われるはずだったというんですね。
これは全くの間違いです。
人々の命を奪ったのは戦争であって原爆ではありません。
原爆が戦争を終わらせたというのであれば
あんな爆弾を落とさなければ収拾のつかないような戦争を始めたことがそもそもの間違いなのです。
戦争など始めなければ終わらせる必要性もなく
当然、原爆の出番や必要性などなかったのです。
戦争を始めた愚かさを棚に上げて戦争の終結を原爆の功績の様に考えるのは全くナンセンスな話です。
ところで戦争は本当に終わったのでしょうか。
最近、在日米軍による犯罪が後を絶たず、社会問題にも発展しています。
なぜこんな事が起きるのでしょう。
原爆を正当化する人たちに聞いてみたいです。
まさか、日本にとって戦争は昭和20年(1945年)8月15日に終わったなんて思っていないでしょうね?
在日米軍による犯罪も戦争が残した爪痕の1つです。
原爆の被害者の方は今も苦しんでいます。
戦争で大切な方を失った人達の心は未だ癒えていません。
在日米軍が存在するのもしかり。
戦争はまだ完全に終わってなんかいないんです。
原爆は単に多くの命を奪っただけで戦争を終結させることなんてできなかったのです。


逆に原爆を象徴とした核兵器の根絶を訴える意見についてですが
そもそもこの世から核兵器がなくなるなんて本気で考えているのでしょうか。
これは絶対に不可能です。
「原爆よりも安価で性能の高い爆弾が開発されれば原爆はすぐにでもなくなるよ」なんて言う嫌味な意見もありますが
残念ながら反論できないのが現実ですよね。
また、仮に世界中から核兵器が姿を消した世の中を想像してみてください。
「我が国には核兵器なんて存在しません。まぁ、作ろうと思えば100発位は明日にでも準備できますけどね。」
これは核兵器がなくなったことになるのでしょうか。
なりませんよね。
この事からも核兵器の根絶が不可能であることが分かって頂けると思います。
そしてもう一つ。
そもそも核兵器の根絶なんて何の意味があるのでしょう。
核兵器の根絶を求める人達に聞いてみたいです。
原爆が多くの命を奪ったと思っていませんか?
多くの命を奪ったのは原爆ではなく戦争そのものです。
原爆なんて落とされなくても人はたくさん死んだのです。
人が死んだのを原爆のせいにするのは筋違いなんです。


前述のとおり戦争はまだ過去の話ではなく、現在でも私たち日本人を苦しませ続けています。
原爆が落ちても戦争は終わらなかったのです。
同じように戦争は真珠湾攻撃で始まったのではありません。
日本軍が真珠湾を攻撃する前に
戦争はとっくに始まっていたのです。


アメリカ人が落した原爆で人が死んだのではありません。
日本とアメリカで起こした戦争が人を死なせたのです。
日本人が真珠湾を攻撃したことで戦争が始まったのではありません。
日本人とアメリカ人で戦争を始めたのです。
日本人がこうした、アメリカ人が何をやった。
そんな議論は無意味です。
全ては戦争が原因なのですから。


争ってはいけません。
相手が何をした。
自分が何かをしても、それは正統な理由がある。
お互いがそんな自分勝手な主張をしていてもお互いに傷つくだけです。
争ってはいけません。
「相手が仕掛けて来たんだ」なんて言い訳になりません。
「相手からの攻撃は非人道的だった」、そうさせたのは自分かもしれません。
仲良くしましょうよ。
小さな地球で短い人生を生きている私たちが
何故わざわざ無意味な争いごとに夢中になる必要があるのでしょうか。
楽しく幸せに生きたほうが良いに決まってるじゃないですか。


戦争はいけません。
日本人が戦争を仕掛けたと思っているアメリカの皆さん、
アメリカ人が原爆を落としたと思っている日本の皆さん。
誤解しないでください。
戦争を始めたのは『日本』ではなく『日本とアメリカ』です。
原爆を落としたのは『アメリカ』ではなく『日本とアメリカ』です。


繰り返しですが
仲良くしましょうよ。
短い人生をなぜ意味の無い争い事に費やさなくてはいけないのでしょう。