我が家の大切な大切な二つの命が同じ日に別々の理由で天国に召された運命の日から2ヶ月。
思い出せば未だに悲しく泣けてしまいますが、細かいことを忘れないうちに記します。
9月14日 数日前から「ちゅった」こと我が家の5番目の子、チビ太が元気がなく様子がおかしかったので、歯か歯槽膿漏で食べられなくなっているのだと思い、朝一で信頼している獣医に連れて行って診てもらうと、末期の腎不全でこのままだとあと10日もつかどうかと言われた。
「腎不全は治らない病気ですが入院させて延命処置をすれば少しは悲しみを先延ばしにすることが出来ますけどどうしますか?」
その言葉に頭の中が真っ白になった。
ほんの1週間前までは元気に走り回っていたのに・・・
去年2番目の子のアランが20歳で逝ったばかりで、まだ1年しか経っていなくて飼い主の我々の心がまだ完全には立ち直っていないのに、今度は16歳のちゅったが?
まだ3番目、4番目の子は生きているのに順番が違うぞ?
我が家の猫たちは最初の子ビッツも20歳まで生きてくれたので、みんなそれくらいまで生きてくれると思い込んでいた。
私の願いは、人間の飼い主としてのわがままかもしれないけど、「いくらお金がかかっても一日でも長くちゅったと一緒にいたい、生きていて欲しい」だったので、そのまま入院させることを選択。
獣医師の「普通は内臓の病気になる前に死んじゃうんです。逆に言えば、この子の個体としては腎臓が機能しなくなるまで長生きしたってことですよ。ビッツちゃんとアランちゃんは特別だと思って下さい。」と言う言葉から覚悟を迫られていることを悟った。
3日間入院し、静脈点滴をし、これ以上は点滴できない状態になってから再検査した結果、数値が回復基調になったので退院し、以後2週間は週3回通院して皮下点滴と注射をすることに。
もともと小さい身体だったが、体重が1.6kgまで減少。
まだこの頃は一度にたくさん食べるわけではないが食欲もあり、朝と夜の決まった時間にゴハンを催促していて、通院のたびに計る体重が100g単位で増減することに一喜一憂。
2週間経過後、検査の数値と体調が安定してきたので、週1の通院で当面は大丈夫でしょうという獣医師の言葉に一安心。
ちゅった本人も体調が良いらしく、肩に乗ったり、浴槽の縁に乗って歩いたりしていた。
この頃は先生もちゅったに、「君はパパとママにめぐり会えて家族になったことを本当に感謝しなければいけないよ。こんなにお金と時間をかけてくれる飼い主は滅多にいないんだからね。普通は途中で諦めちゃって治療もこんなにはしてもらえなくて苦しんで死んじゃうんだよ。」と、冗談ぽく言っていた。
人間の子供がいない我が家は猫たちが子供。
出来ることはしてあげないと自分たちが後悔するから。
10月5日 このところ、本当の姉妹なので3番目なのか4番目なのかハッキリしないが、ティナ(17歳)がトイレ以外の場所で粗相をしたり、同じ場所でグルグル回っていることが多いので、ちゅったの通院に合わせて病院に連れて行く。
診断は命に別状はないが三半規管に炎症を起こしていて、常に目が回っている状態とのこと。
毎日薬を飲ませて炎症を抑える治療と週1回通院して様子を見ることに。
現在は、だいぶ炎症も治まってきて、薬も週2日、通院も2週間に1度になっている。
10月の1ヶ月、ちゅったは週に1回の通院で体調も安定していたらしく、脱水症状にだけ注意してあげていれば、大きな声で鳴いたり、肩に乗ったり、膝の上で寝たりと元気だった頃となんら変わりない生活を送っていたが、ちゅった本人はもしかしたら自分に残されている時間を知っていたのかも知れない。
とにかく我慢をしなくなった。
大好きな場所である私の部屋にいる時間が多くなった。
以前なら、私が部屋を出るときには一緒に出たのに、居座るようになり、私が家にいるのを分かっている時になかなか部屋に戻らないと鳴いて呼ぶようになった。
11月6日 東京はこの日から急に冷え込んできて、それに合わせるかのようにちゅったの元気がなくなる。
11月7日朝、日課の風呂場に水を飲みに行く途中、風呂場の入り口でちゅったがへたりこんでしまった。
朝から会議の私は、朝一番で病院に連れて行くようにカミさんに頼む。
会議が終わり席に戻るとカミさんから病院に預けたとの伝言メモ。
仕事帰りにカミさんから病院にいると電話が入り、電話にちゅったの声が聞こえたので少しホっとして、私も病院に。
静脈点滴に繋がれながらも、肩に乗ろうとしたり、手にすりよって甘えてくる。
これが自分の意思で立って動いたり、鳴き声を発するちゅったを見る最後の日になるとは夢にも思わなかった。
信頼している獣医が出来うる限り最善の治療をしてくれているという安心感もあったし、前回の入院の時みたいに回復してくれると信じていたから。
11月13日 夜、仕事帰りにカミさんと待ち合わせして食事をして帰宅すると、ティナの姉妹である、くさこ ことレナ(17歳)の呼吸が荒い。身体を確認すると脱水症状が進んでいる。動物用ポカリスウェットを注射器で口に少しずつ流し込んであげても、吐き出してしまう。朝まで元気でいたのに。
自分から水を飲みに行って、風呂場の前でへたりこんでしまった。
これは相当悪いぞということで、翌朝一番で病院に連れて行くように、またもやカミさんに頼んだ。
身体が冷えないように電気アンカとタオル等で包んだりしてあげた。
11月14日 運命の日
朝、くさこを見に行くと、水を飲みに行ってトイレで用を足したあと、自分の場所に戻る途中でへたり込んでしまったようで、こっちの方が暖かいよと言いながら、連れて行ってあげたら、自分の足でお気に入りの場所へ歩いていった。
私が生きているくさこを見たのはこれが最後になってしまった。
通勤途中のバスの中、カミさんからくさこが死にそうだ。病院が開くまでもたないかもしれない。どうしても休めないのか?というメールが入り、間髪入れずに電話も入る。
バスの中だったため、降りてからかけなおすと伝え、かけなおした時には死んでしまったとカミさんが号泣していた。
一旦出社し、必要最低限のその日の仕事のメモを担当者の机に置き、とんぼ返りした。
朝、家を出るときには歩いていたくさこが、病院が開くまで頑張れなくて、私が通勤している1時間の間に逝ってしまった。
身体が大きく、体重も重く、一度も病気になったことのないくさこが?
狐につままれたような気分で帰宅すると既に亡骸となったくさこの姿が。
カミさんの話によると、急に苦しそうに声を出し始め、カミさんが必死に声をかけ、身体をさすったり抱いたりしていたら、7時過ぎに断末魔の声を発し逝ってしまったそうだ。
私が帰るまでの時間に、カミさんがお寺に電話して火葬の仮予約をしていて、今日は無理で、明日か明後日のどっちかなら空いているって言われたから後でもう一度電話するって言っておいたと言う。
猫とは言え、17年間、我が子同然に育ててきたくさこをお通夜もしないで火葬しようとしたの?と言ったら、そう言えばそうだね、今日空いてなくて良かったんだと返事。
夫婦でくさこの亡骸を前に、ひとしきり泣いた後、獣医の先生にくさこのことを報告しに行って、ちゅったの様子も見てこようとなった。
今思えば、くさこの前夜からの様子を見ていなければ・・・このことがなければこの日休むことも病院に行くこともなく、更に精神的に最悪な結果になっていたであろうことを思うと、命をかけて注意をひいてくれた?くさこに感謝しなければいけない。
病院に行くと、先生が毛布に包まり点滴をしているちゅったを連れてきて、電話しようとしていたところですと言った。
もう今日の夕方までもたないと思うので最期はご自宅で看取ってあげて下さいと一番聞きたくなかった言葉が。
9月に余命10日と言われた時から2ヶ月の闘病生活。
覚悟はできていたが、朝くさこが逝ったその日に、まさかこんなことが現実に起きるなんて・・・
先生にくさこが突然死んでしまったことを伝えたら、急性の腎不全で急激に毒素が体中に回ってしまったのではないか、そうじゃなければ動いたり歩いたりはとっくにできなくなっていたはず。死ぬ1時間前まで普通に歩いていたなら恐らくそうなのだと思うとのことだった。
点滴の管に繋がれ、毛布に包まれているちゅったに声をかけると尻尾で返事はするものの、目は開いたままボーっとしていて他の反応はない。
先生に聞くと、臨死体験をした人が言う、お花畑にいて痛みも苦しみも感じない状態だと言う。
自宅に連れ帰って、ちゅったが大好きで、いつも居たがった私の布団の上に寝かせて、元気だった頃いつもしていた環境にしてあげた。
テレビをつけると耳をテレビの方に向け、部屋の匂いを一生懸命かいでいて、自宅に戻ってきたことを自覚したようだ。
カミさんが玄関を出入りしている音を聞いて、本能的に迎えに行こうとするのか何度も立ち上がろうとするが、意識があるわけでもなく体力的にもそれ以上は無理。
私はずっとちゅったのそばにいて、話しかけたり頭を撫でたり身体をさすったりして、その時を待った。
美味しい物を食べている夢を見ているようで、時折ペチャペチャと口を開けて何か食べている仕草をする。
無駄だと分かっていながら、そのタイミングに合わせて注射器でちゅったの口に水を垂らすと飲んでくれる。
14時になる少し前、名前を呼びながら頭を撫でていると突然ちゅったが元気だった頃に近い声で「オゥ!」と一声鳴いたあと、これまた元気だった頃リラックスした時にしていたのと同じように大きな欠伸をした。
これが最期の一息だと悟った私は、欠伸が終わるまでの間、ちゅったの名前を呼び続けていた。
それに応えるかのように最期の力で尻尾を振ったようで、身体が揺れ、欠伸をして舌を出したまま口を閉じ、カクっと明らかに力が抜け、そのまま旅立って逝った。
死後硬直が始まる前に、亡骸になってしまったちゅったの口から出ている舌を口の中に押し込み、丸まって寝ているように形を整えてあげた。
それでも、ビッツの時もアランの時も、この日の朝逝ったくさこも同様に、ちゅったもどうしても完全に目を閉じてあげることは出来なかった。
幽霊マイミクのらんさんに言わせると、半開きの目と口の状態の亡骸はお釈迦様の仏像と同じなので、幸せな生涯を送った末の大往生で一番良い状態らしい。
もしかしたら、くさこもちゅったも自分が死んでしまったのを気がついてないかもしれない。
くさこは、なんだかいつもと身体の様子が違うよって思いながら、アッというまに逝ったみたいだし、ちゅったは、お気に入りの場所でリラックスした状態で欠伸をし、スッと逝ってしまったのだから。
改めてお寺に連絡し、11月15日9時半からくさこ、11月16日9時半からちゅったの火葬が決まった。
我が家の猫たちは、みんな個別葬で人間とまったく同じ手順で見送っています。
この後、2匹をお寺に運ぶための籠を買いに出かけるが、探すとなかなか手頃でサイズの合うものがない。
何件か回って、やっと妥協できる籠と生花、敷物と亡骸を包む布を買い、帰宅後、弔う用意をした。
くさこは身体も大きく、亡骸も重いのに対し、ちゅったは身体が小さく、ぜんぜん重みを感じないほど軽かった。
2日間に分けたお寺での火葬は、2匹とも亡骸とは言え、猫の姿をしているのを見る最後の刻は、頭や身体を撫でて夫婦で号泣した。
我が家で飼った猫の3回目、4回目の別れだけど、こればかりは決して慣れないです。
火葬が終わり、人間と同じ作法でお骨を骨壷に入れ、形が変わって自宅に戻ってきた2匹。
くさこはアメリカンショートヘアーの入った雑種のせいか、足の骨が長く丈夫で、お寺の人も驚いていた。
ちゅったは、薬のせいか骨が脆く、少し力を入れて箸で持とうとすると折れてしまう。
数年前に折ってしまったらしく、上の牙が1本だけになっていたが、それがそのままの状態で焼かれて骨だけになっても残っていた。
同じ日に2匹を失ったことと、我が家にはまだ2匹いることを知っているお寺の人に、今年はもう来ないで下さいね。悲しいことはこれで終わりにしましょう。と言われた。
11月30日 ティナの病院の日。念のために4歳のぴゃうも連れて行き、2匹の健康診断をしてもらった。
2匹とも丸々としていて、今のところ健康と言われてホっとした。
こうして我が家の激動の2ヶ月半が終わった。
くさこ、もっと早く異変に気づいてあげられなくてゴメンね。
ちゅったとティナが病院通いしているから遠慮しちゃったのかな?
毎朝パパの部屋に、ママ起きたよって教えに来て、頭を撫でられると帰っていった、くさこ。
コーヒークリームが好きで、コーヒーという言葉に反応して、クリームをもらおうとママの後ろでお利口座りして待っていた、くさこ。
子猫の時はボーとしていて、この数年になってから甘えることを覚えた、くさこ。
心の準備もさせないで逝ってしまうなんて反則だぞ。
ちゅった、子猫の時に我が家に押しかけてきて、そのままウチの子になった、ちゅった。
お前がウチに来た時にしていたノミ取り首輪は捨ててないよ。
一番パパと遊んで、パパの部屋が大好きで、パパと一緒にいた時間が一番長い、ちゅった。
何処も曲がってなくて、真っ直ぐ長い尻尾を振って返事をした、ちゅった。
名前を呼ぶと、体育会系男子のように、オゥと返事をした、ちゅった。
一番身体が小さいくせに、一番声の大きかった、ちゅった。
大きく欠伸をすると、上あごにある大きな黒子が見えた、ちゅった。
余命10日の宣告から2ヶ月、よく頑張ったね。
2匹とも我が家の猫に、家族になってくれて、ありがとう。
本当に大好きだったよ。
5年前にビッツが、去年アランが天国に逝っても、5匹分の器を置き続けてきたけど、ティナとぴゃうの2匹だけになってしまったので、器を片付けたよ。
ティナとぴゃうが、お前たち2匹を探しているのを見るのが辛いよ。
もう、天国に着いてビッツとアランに会えたかな?
思い出せば未だに悲しく泣けてしまいますが、細かいことを忘れないうちに記します。
9月14日 数日前から「ちゅった」こと我が家の5番目の子、チビ太が元気がなく様子がおかしかったので、歯か歯槽膿漏で食べられなくなっているのだと思い、朝一で信頼している獣医に連れて行って診てもらうと、末期の腎不全でこのままだとあと10日もつかどうかと言われた。
「腎不全は治らない病気ですが入院させて延命処置をすれば少しは悲しみを先延ばしにすることが出来ますけどどうしますか?」
その言葉に頭の中が真っ白になった。
ほんの1週間前までは元気に走り回っていたのに・・・
去年2番目の子のアランが20歳で逝ったばかりで、まだ1年しか経っていなくて飼い主の我々の心がまだ完全には立ち直っていないのに、今度は16歳のちゅったが?
まだ3番目、4番目の子は生きているのに順番が違うぞ?
我が家の猫たちは最初の子ビッツも20歳まで生きてくれたので、みんなそれくらいまで生きてくれると思い込んでいた。
私の願いは、人間の飼い主としてのわがままかもしれないけど、「いくらお金がかかっても一日でも長くちゅったと一緒にいたい、生きていて欲しい」だったので、そのまま入院させることを選択。
獣医師の「普通は内臓の病気になる前に死んじゃうんです。逆に言えば、この子の個体としては腎臓が機能しなくなるまで長生きしたってことですよ。ビッツちゃんとアランちゃんは特別だと思って下さい。」と言う言葉から覚悟を迫られていることを悟った。
3日間入院し、静脈点滴をし、これ以上は点滴できない状態になってから再検査した結果、数値が回復基調になったので退院し、以後2週間は週3回通院して皮下点滴と注射をすることに。
もともと小さい身体だったが、体重が1.6kgまで減少。
まだこの頃は一度にたくさん食べるわけではないが食欲もあり、朝と夜の決まった時間にゴハンを催促していて、通院のたびに計る体重が100g単位で増減することに一喜一憂。
2週間経過後、検査の数値と体調が安定してきたので、週1の通院で当面は大丈夫でしょうという獣医師の言葉に一安心。
ちゅった本人も体調が良いらしく、肩に乗ったり、浴槽の縁に乗って歩いたりしていた。
この頃は先生もちゅったに、「君はパパとママにめぐり会えて家族になったことを本当に感謝しなければいけないよ。こんなにお金と時間をかけてくれる飼い主は滅多にいないんだからね。普通は途中で諦めちゃって治療もこんなにはしてもらえなくて苦しんで死んじゃうんだよ。」と、冗談ぽく言っていた。
人間の子供がいない我が家は猫たちが子供。
出来ることはしてあげないと自分たちが後悔するから。
10月5日 このところ、本当の姉妹なので3番目なのか4番目なのかハッキリしないが、ティナ(17歳)がトイレ以外の場所で粗相をしたり、同じ場所でグルグル回っていることが多いので、ちゅったの通院に合わせて病院に連れて行く。
診断は命に別状はないが三半規管に炎症を起こしていて、常に目が回っている状態とのこと。
毎日薬を飲ませて炎症を抑える治療と週1回通院して様子を見ることに。
現在は、だいぶ炎症も治まってきて、薬も週2日、通院も2週間に1度になっている。
10月の1ヶ月、ちゅったは週に1回の通院で体調も安定していたらしく、脱水症状にだけ注意してあげていれば、大きな声で鳴いたり、肩に乗ったり、膝の上で寝たりと元気だった頃となんら変わりない生活を送っていたが、ちゅった本人はもしかしたら自分に残されている時間を知っていたのかも知れない。
とにかく我慢をしなくなった。
大好きな場所である私の部屋にいる時間が多くなった。
以前なら、私が部屋を出るときには一緒に出たのに、居座るようになり、私が家にいるのを分かっている時になかなか部屋に戻らないと鳴いて呼ぶようになった。
11月6日 東京はこの日から急に冷え込んできて、それに合わせるかのようにちゅったの元気がなくなる。
11月7日朝、日課の風呂場に水を飲みに行く途中、風呂場の入り口でちゅったがへたりこんでしまった。
朝から会議の私は、朝一番で病院に連れて行くようにカミさんに頼む。
会議が終わり席に戻るとカミさんから病院に預けたとの伝言メモ。
仕事帰りにカミさんから病院にいると電話が入り、電話にちゅったの声が聞こえたので少しホっとして、私も病院に。
静脈点滴に繋がれながらも、肩に乗ろうとしたり、手にすりよって甘えてくる。
これが自分の意思で立って動いたり、鳴き声を発するちゅったを見る最後の日になるとは夢にも思わなかった。
信頼している獣医が出来うる限り最善の治療をしてくれているという安心感もあったし、前回の入院の時みたいに回復してくれると信じていたから。
11月13日 夜、仕事帰りにカミさんと待ち合わせして食事をして帰宅すると、ティナの姉妹である、くさこ ことレナ(17歳)の呼吸が荒い。身体を確認すると脱水症状が進んでいる。動物用ポカリスウェットを注射器で口に少しずつ流し込んであげても、吐き出してしまう。朝まで元気でいたのに。
自分から水を飲みに行って、風呂場の前でへたりこんでしまった。
これは相当悪いぞということで、翌朝一番で病院に連れて行くように、またもやカミさんに頼んだ。
身体が冷えないように電気アンカとタオル等で包んだりしてあげた。
11月14日 運命の日
朝、くさこを見に行くと、水を飲みに行ってトイレで用を足したあと、自分の場所に戻る途中でへたり込んでしまったようで、こっちの方が暖かいよと言いながら、連れて行ってあげたら、自分の足でお気に入りの場所へ歩いていった。
私が生きているくさこを見たのはこれが最後になってしまった。
通勤途中のバスの中、カミさんからくさこが死にそうだ。病院が開くまでもたないかもしれない。どうしても休めないのか?というメールが入り、間髪入れずに電話も入る。
バスの中だったため、降りてからかけなおすと伝え、かけなおした時には死んでしまったとカミさんが号泣していた。
一旦出社し、必要最低限のその日の仕事のメモを担当者の机に置き、とんぼ返りした。
朝、家を出るときには歩いていたくさこが、病院が開くまで頑張れなくて、私が通勤している1時間の間に逝ってしまった。
身体が大きく、体重も重く、一度も病気になったことのないくさこが?
狐につままれたような気分で帰宅すると既に亡骸となったくさこの姿が。
カミさんの話によると、急に苦しそうに声を出し始め、カミさんが必死に声をかけ、身体をさすったり抱いたりしていたら、7時過ぎに断末魔の声を発し逝ってしまったそうだ。
私が帰るまでの時間に、カミさんがお寺に電話して火葬の仮予約をしていて、今日は無理で、明日か明後日のどっちかなら空いているって言われたから後でもう一度電話するって言っておいたと言う。
猫とは言え、17年間、我が子同然に育ててきたくさこをお通夜もしないで火葬しようとしたの?と言ったら、そう言えばそうだね、今日空いてなくて良かったんだと返事。
夫婦でくさこの亡骸を前に、ひとしきり泣いた後、獣医の先生にくさこのことを報告しに行って、ちゅったの様子も見てこようとなった。
今思えば、くさこの前夜からの様子を見ていなければ・・・このことがなければこの日休むことも病院に行くこともなく、更に精神的に最悪な結果になっていたであろうことを思うと、命をかけて注意をひいてくれた?くさこに感謝しなければいけない。
病院に行くと、先生が毛布に包まり点滴をしているちゅったを連れてきて、電話しようとしていたところですと言った。
もう今日の夕方までもたないと思うので最期はご自宅で看取ってあげて下さいと一番聞きたくなかった言葉が。
9月に余命10日と言われた時から2ヶ月の闘病生活。
覚悟はできていたが、朝くさこが逝ったその日に、まさかこんなことが現実に起きるなんて・・・
先生にくさこが突然死んでしまったことを伝えたら、急性の腎不全で急激に毒素が体中に回ってしまったのではないか、そうじゃなければ動いたり歩いたりはとっくにできなくなっていたはず。死ぬ1時間前まで普通に歩いていたなら恐らくそうなのだと思うとのことだった。
点滴の管に繋がれ、毛布に包まれているちゅったに声をかけると尻尾で返事はするものの、目は開いたままボーっとしていて他の反応はない。
先生に聞くと、臨死体験をした人が言う、お花畑にいて痛みも苦しみも感じない状態だと言う。
自宅に連れ帰って、ちゅったが大好きで、いつも居たがった私の布団の上に寝かせて、元気だった頃いつもしていた環境にしてあげた。
テレビをつけると耳をテレビの方に向け、部屋の匂いを一生懸命かいでいて、自宅に戻ってきたことを自覚したようだ。
カミさんが玄関を出入りしている音を聞いて、本能的に迎えに行こうとするのか何度も立ち上がろうとするが、意識があるわけでもなく体力的にもそれ以上は無理。
私はずっとちゅったのそばにいて、話しかけたり頭を撫でたり身体をさすったりして、その時を待った。
美味しい物を食べている夢を見ているようで、時折ペチャペチャと口を開けて何か食べている仕草をする。
無駄だと分かっていながら、そのタイミングに合わせて注射器でちゅったの口に水を垂らすと飲んでくれる。
14時になる少し前、名前を呼びながら頭を撫でていると突然ちゅったが元気だった頃に近い声で「オゥ!」と一声鳴いたあと、これまた元気だった頃リラックスした時にしていたのと同じように大きな欠伸をした。
これが最期の一息だと悟った私は、欠伸が終わるまでの間、ちゅったの名前を呼び続けていた。
それに応えるかのように最期の力で尻尾を振ったようで、身体が揺れ、欠伸をして舌を出したまま口を閉じ、カクっと明らかに力が抜け、そのまま旅立って逝った。
死後硬直が始まる前に、亡骸になってしまったちゅったの口から出ている舌を口の中に押し込み、丸まって寝ているように形を整えてあげた。
それでも、ビッツの時もアランの時も、この日の朝逝ったくさこも同様に、ちゅったもどうしても完全に目を閉じてあげることは出来なかった。
幽霊マイミクのらんさんに言わせると、半開きの目と口の状態の亡骸はお釈迦様の仏像と同じなので、幸せな生涯を送った末の大往生で一番良い状態らしい。
もしかしたら、くさこもちゅったも自分が死んでしまったのを気がついてないかもしれない。
くさこは、なんだかいつもと身体の様子が違うよって思いながら、アッというまに逝ったみたいだし、ちゅったは、お気に入りの場所でリラックスした状態で欠伸をし、スッと逝ってしまったのだから。
改めてお寺に連絡し、11月15日9時半からくさこ、11月16日9時半からちゅったの火葬が決まった。
我が家の猫たちは、みんな個別葬で人間とまったく同じ手順で見送っています。
この後、2匹をお寺に運ぶための籠を買いに出かけるが、探すとなかなか手頃でサイズの合うものがない。
何件か回って、やっと妥協できる籠と生花、敷物と亡骸を包む布を買い、帰宅後、弔う用意をした。
くさこは身体も大きく、亡骸も重いのに対し、ちゅったは身体が小さく、ぜんぜん重みを感じないほど軽かった。
2日間に分けたお寺での火葬は、2匹とも亡骸とは言え、猫の姿をしているのを見る最後の刻は、頭や身体を撫でて夫婦で号泣した。
我が家で飼った猫の3回目、4回目の別れだけど、こればかりは決して慣れないです。
火葬が終わり、人間と同じ作法でお骨を骨壷に入れ、形が変わって自宅に戻ってきた2匹。
くさこはアメリカンショートヘアーの入った雑種のせいか、足の骨が長く丈夫で、お寺の人も驚いていた。
ちゅったは、薬のせいか骨が脆く、少し力を入れて箸で持とうとすると折れてしまう。
数年前に折ってしまったらしく、上の牙が1本だけになっていたが、それがそのままの状態で焼かれて骨だけになっても残っていた。
同じ日に2匹を失ったことと、我が家にはまだ2匹いることを知っているお寺の人に、今年はもう来ないで下さいね。悲しいことはこれで終わりにしましょう。と言われた。
11月30日 ティナの病院の日。念のために4歳のぴゃうも連れて行き、2匹の健康診断をしてもらった。
2匹とも丸々としていて、今のところ健康と言われてホっとした。
こうして我が家の激動の2ヶ月半が終わった。
くさこ、もっと早く異変に気づいてあげられなくてゴメンね。
ちゅったとティナが病院通いしているから遠慮しちゃったのかな?
毎朝パパの部屋に、ママ起きたよって教えに来て、頭を撫でられると帰っていった、くさこ。
コーヒークリームが好きで、コーヒーという言葉に反応して、クリームをもらおうとママの後ろでお利口座りして待っていた、くさこ。
子猫の時はボーとしていて、この数年になってから甘えることを覚えた、くさこ。
心の準備もさせないで逝ってしまうなんて反則だぞ。
ちゅった、子猫の時に我が家に押しかけてきて、そのままウチの子になった、ちゅった。
お前がウチに来た時にしていたノミ取り首輪は捨ててないよ。
一番パパと遊んで、パパの部屋が大好きで、パパと一緒にいた時間が一番長い、ちゅった。
何処も曲がってなくて、真っ直ぐ長い尻尾を振って返事をした、ちゅった。
名前を呼ぶと、体育会系男子のように、オゥと返事をした、ちゅった。
一番身体が小さいくせに、一番声の大きかった、ちゅった。
大きく欠伸をすると、上あごにある大きな黒子が見えた、ちゅった。
余命10日の宣告から2ヶ月、よく頑張ったね。
2匹とも我が家の猫に、家族になってくれて、ありがとう。
本当に大好きだったよ。
5年前にビッツが、去年アランが天国に逝っても、5匹分の器を置き続けてきたけど、ティナとぴゃうの2匹だけになってしまったので、器を片付けたよ。
ティナとぴゃうが、お前たち2匹を探しているのを見るのが辛いよ。
もう、天国に着いてビッツとアランに会えたかな?