今日は鵜飼い開きの日
鵜飼い開きって知ってる?
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鵜かい?
ああ。
鵜飼い。
見たことは無いです。
特に見たいと思った事もなく。
イメージなので間違っているかもですが
鵜飼いとは、
鵜の首を圧迫して魚を飲み込ませず吐き出させる漁法。
鵜も可哀想だし
吐き出したのを食べるのか(^_^;)という。
銀魂でからくりのたまが、食材を食べて吐き出して寿司を作るシーンを思い出してしまった。
職業、伝統、観光という意味では
そういうのもありなのかとは思わなくはないけれど
積極的に見たいとは思わないかな。
魚は好きです。
釣りに行きたいし
なんなら釣りをして暮らせる場所でのんびり暮らしたい。
移住したいけど不便なのかな、やっぱり。
今日はコットンの日
コットン製品、持ってる?
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コットン。
こっとん。
たまに生地屋さんに行くくらい
布は好きですがコットンにはあまり魅力を感じないかもしれない。
こっとん。って響きは、
固い小さなものが床に落ちたみたいなイメージで少し好き。
コットンが、語呂合わせだとするならば、
今日は後藤さんの日で良いと思う。
昨夜は夢の中でずっと働いていて
朝から疲労感があるのですが
昨日からの出かけたい欲求もあるので
早めにやる事を終わらせて少し外出したい。
久しぶりに更新。
最近はTwitterをメインに更新していましたが、
文字制限があるので
何か思う事がある時は
それを全部書ききれない。
数日前、
私の住むマンションで飛び降り自殺があったようで、
マンションの住人ではない中年と呼ぶには少し過ぎた年頃の男性。
彼に何があったのかは分からないし、
自分の住むマンションでそのような事があっても
別段嫌悪感のようなものもなく、
ただ、人が一人亡くなった、という事実が
身近な事として強く意識する出来事にはなった。
警察官が何人も訪れ、
事件ではないか捜査していた。
マンション内を彼の写真を持って回り、
人を探している、と言った。
彼は孤独、一人で死を選んだかもしれないけれど
彼の死に関わる人は多かった。
翌日の夜、
帰宅時にその彼が飛び降りた場所を見上げた。
昼間や普段はほとんど意識はしなかったけれど
人通りの少なくはない住宅街の道路沿い、
階段には明るいほどの照明が規則的に輝いていて、
人生を終える絶望の中で選ぶ場所にしては
私には眩しいとさえ感じる場所だった。
目についたところならどこでも良かったのかもしれないし
そもそも死を選択する時の感覚は
通常の状態ではないので
明るさなんてどうでも良かったのかもしれない。
だけど、一方で本当は誰かに止めてほしかったのかもしれないと思ったり。
この国は自殺が多い。
年号が変わってからも自殺のニュースも多い。
大丸からの飛び降りや、
踏切への飛び込み。
話題にならないような自殺も毎日のようにどこかで起こっている。
私自身も何度か死を考えた事もあるし
いまだに考える事もある。
だけど、人間必ずいつか死ぬし、
時を選べず誰かに迷惑もかけるし
誰かは悲しむだろう。
急ぐ必要はないと、自分に言い聞かせる。
それでも弱さはある。
死への恐怖感もあれば
全てから解放されたいという逃避もある。
友人が死ぬと言ってTwitterを更新しなくなった。
LINEは既読にならず
電話をしても出ない。
だけど、今日も気になってコールしたら通話中で、
もしかすると同じように気になった人がコールしていただけかもしれないけれど
だけど充電が切れていないだけでも少し安心する。
生と死について考える夜。
理不尽な死もいつ訪れるか分からない世界。
事故も病気も災害も
命に関わることはいつ起こっても不思議はない。
自殺のニュースのコメント欄には、
死を悼むコメントが多い。
生前何の関わりもなかった人の死に心を痛める人もいる。
その人達は現実には身近な人にも優しく出来ているのかな。
私はどうだろう。
ただ、生きてほしいとは漠然と思う。
大切な人が出来るほど、
失ったらどうしようという不安もできる。
生きてほしい。
私より長く生きてほしい。
幸せでいてほしい。
みんながそうだったら
きっと孤独は感じないのだろうと思う。
だけど、孤独だけではない。
様々な葛藤。
魂の葛藤。
答えは出ないのかもしれない。
ただ、死ぬまで生きる。

