「協奏組曲『Get Wild』 Concerto Suite ~Get Wild~」

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第1楽章「音楽との出逢い ~Encounter musics~」(草稿)

今の「オレ」から「音楽」を取ったら「オレ」は「オレ」ではなくなる。
「No Music, No Life.」なのだ。
では、その「音楽」が「オレ」の中に初めて入って来たときのことを記憶を遡り思い出してみよう。

ときに1973年。3才だったオレの耳に突然入って来た音楽があった。
 ・沢田研二:「危険なふたり」
 ・水木一郎:TVアニメ「マジンガーZ」主題歌
たぶん、人生で初めて聴いた音楽は?と聞かれたら、絶対この2曲を挙げる。
どっちの方が先か分からないくらい同時期に入って来た歌だ。

子供であれば必ず「アニメ」の洗礼は受けるだろうけど、オレにとってそれが「マジンガーZ」だった。
今でも好きなロボットの一つに挙げられる。
おそらく、「マジンガーZ」が無かったら、今の日本のロボットアニメは存在しないだろう。
外国にも影響を与えているようで、「マジンガーZ」の功績は非常に大きいと言える。
当然、毎週のように観ていた番組なので、その主題歌は自然と耳に入ってきて、誰に強制されたわけでもなく覚えてしまう。
それが『音楽』というものなのだろう。
親に「マジンガーZ」のレコードも買ってもらったが、それこそ擦り切れるほど聴いたのではないかと思う。
「水木一郎」の歌声はもちろん、子供ながらに、メロディーだけじゃなく当然、歌詞も覚えるし、もっと言ってしまうと、周りの伴奏まで覚えてしまう。
鼻歌で歌う時も、歌の部分だけではなく、イントロ、間奏まで歌ってた気がする。
言い過ぎかもしれないが、伴奏まで覚える=アレンジャーの兆し、だったのかもしれない。
いわゆる、「耳コピ」だよね。
「水木一郎」はロボットもの、ヒーローものの主題歌の歌手としてその後もずっとオレに影響を与えることとなる。
今でも現役とは恐れ入る。

さて、話が前後してしまったが、前述の通り「マジンガーZ」は子供なら必ず通る道なので、実はフリで、本題はこっちだ。
沢田研二の「危険なふたり」。
タイトルからして3才の子供が聴くような歌ではない。もちろん歌詞も。
でもその歌詞の「あぁ、あぁ、それでもー、愛しているーのにー」の部分のメロディーが頭に残るのである。サビだしね。
当時、歌番組もそんなに無かったのにこの歌だけよく覚えてるのは、それだけ露出度が高かったからだろう。
でも覚えているのはその部分のメロディーだけ。歌詞も当然意味なんか分からず口遊んでいただけ。
「マジンガーZ」と違い、「危険なふたり」はここしか歌えなかった。
子供は限度というものを知らないので、この部分だけ永遠鼻歌で口遊んでいたのは覚えてはいないが大体察しがつく。
どれだけ周りに迷惑を掛けていたことだろう。
歌手が「沢田研二」だということもまだ分かっていない。
が、この「沢田研二」がオレに与えた影響はすごく大きい。
もちろんこのころは、作る人、弾く人のことなんか意識できるわけがなく、庶民に一番近い「歌手」が気になって来るのも当然のことなのだろう。
「危険なふたり」もサビだけではなく、歌全体、イントロ、間奏などの伴奏まで理解するのは何年も後のこととなる。