韮崎や甲府を参拝したのが嬉しかったのか、お婆様はそれからしばらくは御機嫌が良かったのですが、3ヶ月後にお亡くなりになりました。
最期の瞬間に私も昌昭さんも立ち会いました。
薄れ行く意識の中で、お婆様に言われました。
昌昭と有記の子供が見たかったよ。
それがお婆様の最期の言葉でした。
眠るような最期でした。
卒寿を終えたばかりでしたから、あと一年生きて欲しかったです。
それから暫くしてから、生理がありませんでした。
妊娠したのです。
昌昭さんを始め、私の両親、昌昭さんの両親も喜んでくれました。
それが有記の最期の日記でした。
妊娠を期に、早寝をするために日記を中断していました。
私の目の前でダンプに跳ねられて死亡してしまった有記。
今思い出しても腸が煮えくります。
有記の書いていた日記帳は今でもあります。
よく書いていたと思うと同時に、有記が私を愛していてくれた事がわかりました。
望外に読んでくれていた方が多かった事に感謝します。
最期の瞬間に私も昌昭さんも立ち会いました。
薄れ行く意識の中で、お婆様に言われました。
昌昭と有記の子供が見たかったよ。
それがお婆様の最期の言葉でした。
眠るような最期でした。
卒寿を終えたばかりでしたから、あと一年生きて欲しかったです。
それから暫くしてから、生理がありませんでした。
妊娠したのです。
昌昭さんを始め、私の両親、昌昭さんの両親も喜んでくれました。
それが有記の最期の日記でした。
妊娠を期に、早寝をするために日記を中断していました。
私の目の前でダンプに跳ねられて死亡してしまった有記。
今思い出しても腸が煮えくります。
有記の書いていた日記帳は今でもあります。
よく書いていたと思うと同時に、有記が私を愛していてくれた事がわかりました。
望外に読んでくれていた方が多かった事に感謝します。