織田信長。
この人物ほど、好き嫌いが多い武将はいないでしょうね。
母親に殺されかけた子供が素直に育つ訳がない。
尾張を纏めあげるまでは、謀略を用いたりしました。自分の弟を騙し討ちにしました。
次は、美濃から嫁さんを貰いました。
濃姫は美女だったといわれています。
斉藤道三の娘だけあって、頭の切れる女性でした。
信長と道三は、一度だけ国境の寺で対面しています。道三は、いずれ我が一族は信長に仕える事になるだろうと言ってました。
信長の人生を変えたのは、桶狭間の奇襲でしょう。
今川義元を討てたのは、まさに奇跡です。
その後は、美濃を征服して近江の浅井に妹を嫁がせて身内になり、上洛しました。
こうして、上洛しました。信長自身が負け戦をしたのは、越後の軍神上杉謙信との神通川での一戦でしょう。
しかし、武田信玄が病死して、謙信も死去したのはラッキーでした。
武田勝頼を長篠で破り、後は家康に任せて、畿内統一して、余勢を駆って武田を滅ぼしました。
中国で毛利と戦っている、秀吉に応援するために、京都の本能寺に宿泊しているところを明智光秀に討たれました。
日本史上、最大のミステリーは、この本能寺の変の黒幕はだれか?
諸説あります。
天皇説、藤原説、秀吉説が有力ですが、信長があと十年生きていたら、歴史は相当違いますね。
天皇家は廃絶させられたでしょう。
キリスト教は、もっと栄えたでしょう。
鎖国はしないから、日本の文化も変わったでしょう。信長が死ななかった想定の小説はありますが、基本的に信長は、他人を信用しない性格でしたから、いつかは反乱が起きたでしょう。