次にアップすれば、100回です。
感慨無量の思いも有りますね。
どんなに辛い事があっても泣き事を言わなかった有記が一度だけ自殺未遂をしています。
私は後で、有記のお母さんから聞きました。
有記が日記を書いていなかった三年の間にはいろいろな事が有りました。
有記にしては、ダブルショックでしょう、しかもハードなダブルショックでしたから取り乱したとしても不思議はありません。
やっと授かった子供を宿して、旦那も出世が確実視されて、まさに薔薇色の人生が待っていました。
しかし、その幸せから一気に地獄に落ちました。
私が脳梗塞で倒れ、自分が階段から転倒して流産するなんて、まさに天地がひっくり返ったでしょう。
私にあった晩、病院では気丈に振る舞っていましたが、家に帰ったら泣き崩れたそうです。
赤ちゃんと昌昭さんを失ったら生きてる意味が無いよね。
虫が知らせたのか、お母さんが部屋に入った時は、果物ナイフで心臓を突き刺す寸前でした。
果物ナイフを取り上げて、お母さんは有記を殴ったそうです。
有記の弱虫、昌昭さんはまだ生きてるのよ。
苦しくても頑張っているのよ。
確かに流産してしまったけど、有記は生きてるのよ。昌昭さんが回復したら、また子造りすれば良いじゃないの?
私がちゃんと会話できるまでは時間がかかりました。山梨の病院に入院している時は仕事の帰りに寄ってくれました。
献身的に支えてくれる女性がいた事がどれだけ私に力をくれたか。
徐々に回復して行く過程を有記は見ていてくれました。
リハビリに毎回見学に来ました。
そして、トレーナーのマッサージを見ていて、やり方を覚えてくれました。
この事がどれだけ私を助けてくれたか。
毎日限界までトレーニング出来ました。
そしてトレーナーと同じようにマッサージしてくれました。
今の私があるのは有記のおかげです。
どこまで続けるか?
まだ最後の瞬間は書きたくないですけどね。