家康は、大阪屋敷で、本多正信と会話していた。
猿め、調子にのりおって。苦々しい顔を家康がすると正信は、笑って言った。
柳生を出せば良いではありませんか?
勝っても負けても、太閤ではなく、帝の為の試合に出したと思えば。
家康は、まだ納得していなかった。
勝って加増されるのは、我が家か、前田か池田か島津で有ろうな。
この時、すでに家康は昌幸の罠にかかっていた。
伊賀に柳生の援軍が来れないようにしただけでなく、真田の石高が増えるとは夢にも思っていなかった。
柳生但馬は、大阪にいる事になり、伊賀の内乱は、百地と服部の闘いがついに始まった。
百地側に真田忍者が加わるのは、誰しも想像していなかった。
剣術大会の前夜、服部半蔵以下、服部衆は全滅した。百地と高坂の火攻めで滅んだのであった。
棟梁の半蔵も高坂陣内に打たれてしまった。
この報告を受けた真田昌幸は、満面の笑みを浮かべた。
これで、家康の片手は無くなった。
あとは、幸村が優勝して、我が家が加増される事だけじゃな。
徳川に、二度と敗北を味合わせた男は、上機嫌であった。