ニュースになる度に思っていた。
なくていい。と。
実は3月11日以降の事故が起きるまで、安全だと思っていた一人だ。
チェルノブイリの事故は知っていた。のに、だ。
恥ずかしくて、たまらない。
だから、直後は特に思った。
「自分にできることは何だろう。」と。
全て、原発から始まっている。
農作物の出荷停止も、それによって悲しんだ人たちが出てしまったことも、その香椎思いをした人を思ってまた悲しい思いをしてしまった人たちがもっと出てしまったことも。
故郷から遠く離れてしまわないといけなくなってしまった人がいることも、去る人を思って残った人たちがいることも、家がなくなった人も、家に入れなくなった人も。
そして、その土地が使えなくなってしまう可能性が出てきていることも。
電気が足りない?
そんなことない。足りないのではなく、自分たちの生活に見合った生活をしていなかっただけだ。
つまり、必要は発明の母だ。の逆だ。
あったから使っていた。それだけだ。
昔、電気はなかった。クーラーも、暖房も、ファンヒーターもなかった。
昔に戻ろう。僕が生まれる前の生活に戻ってもいい。その上で、太陽エネルギーや変わりのエネルギーをここが有効に使おう。
電力会社にも腹が立つ。やっぱりおかしいと思う。値上げだなんて。
国の政策にも腹が立つ。原発に関する新しい組織の立ち上げ。
そして、原発推進派は自分の家の隣にできてもいいのか?その覚悟がある人しか推進しちゃいけない。だろう。
福島には縁もゆかりもない僕だが、今は「I love you & I need you ふくしま」を聴くと泣けてくる。