D・B・ワイス 『ラッキー・ワンダー・ボーイ』 | Pの食卓

D・B・ワイス 『ラッキー・ワンダー・ボーイ』

    すると、第三幕はステージIIIに対応するわけだ。《ラッキーワンダーボーイ》が大好きで、

    ほんとうによく知っている人なら、前人未到の地に突入した、あるいは、

    少なくとも別人の証言を通じてそのあこがれの地をじっと見つめたことがあるはずだ。

    探偵の頭が必要になってくる―――

                                 (ラッキー・ワンダー・ボーイ: 地の文 p.192)


この本の表紙を見た記憶を最後に、一瞬時間が飛び、いつの間にかレジに並んでいる自分を発見した。

「世界中にいる全ての僕のための小説だ」 一目見た瞬間に、そう感じた。

マリオのジャンプに夢を見て、インベーダーのレインボーフラッシュに感動した僕たち。

80年代をブラウン管の中で過ごした全ての人なら必ず手に取る小説かもしれない。


現在急ピッチで進めている、会誌投稿用の原稿を書いている合間合間に、

息抜きで書いているオリジナル小説 『飛べ、マリオ!』 と重なるところがあったので、

この小説を手に取ったことは偶然ではなかったのかもしれない。


そんなわけで、D・B・ワイスの 『ラッキー・ワンダー・ボーイ』


D・B・ワイス, 鈴木 豊雄
ラッキー・ワンダー・ボーイ

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任天堂出身のプログラムマー、イタチ・アラキが作った伝説的ゲーム“ラッキーワンダーボーイ”。ほぼ到達不可能の隠しステージが用意されているというこのゲームの攻略に、アメリカのおたく青年アダムは青春のすべてを賭けた。恋も仕事も放り投げ、イタチが住むという日本の京都へと旅立ったのだが…はたして、幻のステージ3に待ち受けるものとは?パックマンなど懐かしのゲームが満載のアメリカン・おたく・グラフィティ。

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ファイナルファンタジー12が発売された日、僕はマリオのジャンプについて考えていた。

マリオの世界では努力で超えられない障害はない。

BダッシュをしてAでジャンプをすれば、ワールド中に置かれた様々な障害を飛び越えることができる。

障害物だけじゃない、その気になれば画面枠外へと飛び出すことだってできた。

そんな 『スーパーマリオブラザーズ』 が本当に好きだった。


土管から生え出てくる "パックンフラワー" だって例外じゃない。

マリオのジャンプの最高地点は "パックンフラワー" をぎりぎり飛び越えることのできる高さだ!

もちろん数ドットでもジャンプ地点を間違えればパックンの餌食になってしまう、

その "ぎりぎり" に何かしら人生へのメッセージを僕は感じていた。


今日紹介することにしている 『ラッキー・ワンダー・ボーイ』 は、

そんな8ビットゲームに情熱を注ぎ、人生の全てをかけた青年アダム・ペニーマンの話です。

アダムの人生をかけることになったゲーム、その名も Lucky Wonder Boy。


「ワンダーボーイ」 という言葉を聞いてピンときた人はどれくらいいるだろう?

かつて16連射で伝説となり、技の毛利名人と歴史的一戦を繰り広げた僕たちのヒーロー、

「高橋名人」 の名前が浮かんだ人は、それはそれはたいしたもの、

「ワンダーボーイ」 は 「高橋名人の冒険島」 のコピー元だったりするのだ。


「ラッキー・ワンダー・ボーイ」 と 「ワンダー・ボーイ」 には関連はなさそうに思えた。

セビロなんて名前の敵は出てこないし、茫漠たるステージを彷徨うステージIIも見たこと無い。

関係ないのかな?と思うけれど、鏡とか小物が似ていたりする・・・

まったく別ものでありながらどこかで同じ雰囲気を感じる、そんな関連性があった。

でも残念なことに、 「ラッキー」 は架空のゲームだったのだ。


長々とゲーム談義、以後読後感想




《読後感想》


TRICK+TRAP MONTHLY vol.2 にて、戸川さんが述べていたことの一つに、

ミステリとして書かれたものではないのに強く探偵味を感じる小説がある

という言葉かそのような事が書かれていたかと思う。

この小説でその言葉を実感した。


謎があり、執拗な姿勢で謎を解明する、そのような 《様式》 が探偵味を出すのかもしれない。

「ラッキー」 の主題 「謎の第三ステージを解明する」 はその様式にぴったり合う。


それほど楽しいと思えなかったにも関わらず、ブログで紹介するつもりになったのは、

そんな探偵味に触れたからかもしれない。


小説全体の感じとしては、村上春樹の小説を想像したらだいたい合っていると思う。

つまりミニマリズムの感触があちこちから感じられたわけです。


村上春樹の小説は色々読んでみたけれど、好みの小説ではなく、

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』 以外は満足に読めなかった記憶がある。

( 『世界の終わり~』 はひきこもり世代のさきがけを感じさせる良書だった!)

「ワンダー」 も8ビットゲームの懐かしさが無ければ読みきることはできなかった。


しかし、ミニマリズムの特徴?とでも言うか、村上春樹の特徴とでも言うか、

物語が進行していく過程で、徐々にメインプロットはメタ次元へと沈降していって、

終盤では主客の転倒が顕著なものとなってしまう。

僕が望んでいた世界とは全く違う世界になってしまった。

倒錯した愛。 日本、もしくはアジアに対する歪んだ愛を感じ取ってしまった。


作者のレトロゲームに対する薀蓄はおもしろかったけれど、

それに付随する考察(マルクス主義や形而上学的な考察など)には食傷気味になるかもしれない。

薀蓄を語るのも小説の醍醐味なのだけれど、どうも最近ソレを受け入れられない。

推理小説にしても、突然薀蓄を語り出す小説は、読んでいて興ざめな感じがする。

もっともっと小説の中にのめりこませて欲しい!そういう気持ちになってしまう。


マリオ、パックマン、ポン、ドンキーコング、村上春樹、これらのワードにピンときたら買い。

では映画 『サイレン』 最終日なので行ってきます!