ブログネタ:健康体重で長生きとモデル体型で短命ならどっち? 参加中


 人生に悩んでいる、とか自分で思っている人ほど、究極の選択を他人に強いるのが好きなんじゃないか。まあ、話のネタとしては盛り上がる内容ではあるけど、どうせならもっとシュールな選択肢のほうが面白くないか。

「中身が猿のハンサムボーイと、中身が超優秀な猿、どっちを選ぶ?」

とかな。

 さて、お題の「健康体重で長生きとモデル体型で短命ならどっち?」に答えるとするなら、迷わず後者を選ぶ。モデル体型に憧れているからではなく、長生きする意味がないから短命を選ぶだけのことだ。実際は健康体重なので、たぶん長生きすると思うけど。

 お遊びの究極の選択に真剣に答える必要はないとは思うが、現実社会で究極の選択に近いものを強いられることがある。そういう状況に立たされたとき、慣れない人間は悩む。多いに悩め。悩みを乗り越えると人はその分、大きくなれる。なんていう根性論をかざすつもりは毛頭ない。究極の選択を短時間で選ぶ私なりのコツをここに書いておこう。

 大概、究極の選択は「良いA要素と悪いB要素か悪いA要素と良いB要素」という組み合わせだ。一見表向きの「良い悪い」に目を奪われがちだが、本当に大事なのは「AとBどちらを選ぶか」なのだ。お題で言えば「体型をとるか寿命をとるか」ということになる。普段から見かけを重視しているなら寿命を諦めればいいし、寿命を重視しているなら体型を諦めればいい。それだけのことだ。

 上記の私の答えは少し応用が入っていて、体型を重視しているのではなく、体型を軽視しているから寿命だけを選択すればいいわけで、さらに私にとって「寿命」の選択肢で「良い」ほうが「短命」なので、結果的に「モデル体型で短命」を選択することになる。これを選択するのに普段から体型を軽視しているのと、どれくらい生きていたいかを考えているから、ものの5秒とかからない。

 そんなに簡単に選択できるわけないだろう、と思う人は、普段から遊び感覚で構わないので、ふざけ半分の究極の選択を、知人と繰り返してやっていくといい。くだらない選択肢であればあるほど、自分の生き方が見えてくるかもしれないぞ。
ブログネタ:死刑について考えてみる 参加中


 また、よりによってすごいネタを持ってきたね。裁判員制度が話題になっているからタイムリーといえばタイムリーなんだが、国がハッキリと収拾つけないうちは賛成しようが反対しようが意味がないと思う。

 そもそも「人を殺してはいけない」という中途半端な感情論が横行しているから「死刑」というものにヒステリックになる人が出てくるんだ。「人は人を殺すことがある」「人を2人以上殺したら死刑になる確率は高くなる」という前提があるだけで、やれ「冤罪の可能性」とか「犯罪者の人権」とか「被害者の立場」とかを中途半端に持ってくるから、いつまで経っても「死刑廃止論」はなくならないし「死刑賛成派」の語気は荒くなるばかりだ。

 たとえば「人を殺してはいけない」とする。本当はある程度の理由が必要だが、とにかく「人を殺してはいけない」としよう。では「死刑」はなんだ。「法律を定めた国が殺す」からいいのか。「人が人を殺す」のはNGでも「国が人を殺す」のはOKなのか。ここの矛盾を「死刑廃止論者」は突いてくる(それだけの理由ではないと思うけど)。

 また、「善悪の判断がつかない人間が殺人を犯した場合は、死刑にならないことがある」というケースがあるだろう。薬物に依存していた、泥酔していた、精神が未熟だったなどの理由で、殺人を犯しても死刑を免れるケースは少なくない。でも、残された遺族にとっては納得がいかないことが多かったりして、「殺人を犯した人間は何人(なんぴと)たりとも死刑にするべきだ!」などと叫んだりする。

 自殺に関しても、ただ死んだことを悲しむだけで、自殺を招いた周囲の人間を責めたり、自殺した人間の親族を責めたり、社会を呪ったりするのが関の山だ。これも、「人を殺してはいけない」という理屈が当て嵌まるなら、たとえ自らの命を絶ったところで、自殺者も死刑扱いにするべきではないのか。責任をとって腹を切るという歴史を経てきた国民は、なかなかそこまで割り切ることができないだろう。

 まず「死」という概念に対して「負」のイメージを持ち過ぎなのと、相手や他人を思いやる気持ちが希薄な人間が多いうちは、いくら死刑について語ったところで納得のいく結論は出ないと思う。これから理不尽な殺人はますます増えていくだろうし、そういう人間を死刑にすべきかいなかを論じることが今以上に困難な時代が間近に迫っている。

 人間はいつかは死ぬ。だから死ぬまで精一杯生きる。死ぬために生きる。そして周囲にいる人間と、エゴを捨てて精一杯生きられるように助け合う。それができれば、もっと簡単に死刑のルールを決められるし、無意味な殺人も減ると思うぞ。
ブログネタ:動物園と水族館、どっちが好き? 参加中


 実は気持ちとしては水族館のほうが好きだったりするのだが、それは満員状態での比較であって、空いているのであれば動物園のほうが好きかもしれない。特に小雨の降る、人気(ひとけ)のない動物園は格別なものがある。

 水の流れや、水面の揺らぎ、そしてその中を泳ぐ魚や水鳥、水棲生物なんかを見ていると癒されるというのはある。魚+水という組み合わせがいいのかもしれない。でも、動物園にはどこか親近感を覚えるのだ。

 自分たちよりは遥かに行動範囲が狭められた「元野生動物」たち。これって、社会の枠の中におさめられた人間に似ているような気がする。だから、一見のんびりしていて気楽な生活を送っているように見えても、どこか「どうしようもない切なさ」みたいなものを感じるのだ。

 だからといって、動物園におさまった彼らを解放しようとまでは思わないが、彼らの代わりに外で見てきたことを伝えてやりたい気分になる。そういうのは家族連れで賑わっているときよりも、小雨が降って人気が少ない時のほうが適している。

 最近、動物園に行ってないな。久しぶりに行って、外の様子を伝えようかな。このブログネタで、ふとそんなことを思い出したよ。ありがとう。
ブログネタ:ブランドは好き? 参加中


 有名ブランドには「有名になる理由」があるわけで、その理由を踏まえた上で購入する分には何ら問題はない。中には無闇に高級ブランドや有名ブランドを毛嫌いする人間もいるが、それはブランドが有名になった背景を踏まえないで飛びついている人間が少なからずいることが原因なわけで、坊主が憎いからといって袈裟まで憎む理由にはならないと思う。

 ファッションブランド、特に衣服や装飾品に関するブランドが有名になるのは品質の高さと常に斬新さを維持しているところにある。そのブランドを「着こなす」には、何がどう品質がよくて斬新なのかを理解していればいい。たとえば衣服なんかでは、そのフォルムや柄に斬新さが顕われる。それに刺激されるだけでは着こなすのは難しい。なんでそういうデザインにしたのか、どこにブランドのこだわりがあるのかを知った上で、果たして自分の体型や肌の色や目の色や髪の色などが合わせられるかを知っていれば、着こなすことはできるだろう。

 これは高級でなくても同じことだ。たとえば安価な衣服のブランドではユニクロなんかが国内でも有名なブランドだが、ただ安いからという理由で購入するだけでは「安い服を着ている人」にしか見えない。ユニクロのCMに登場しているタレントなどは、たとえ安いものでも「着こなす」ことができるのは、何も体型がスマートだったり髪型がイカしているだけの理由ではないのだ。

 バッグや小物類などのブランドはもっと実質的だ。デザインも然ることながら、実用性を重視して「長持ちする」ものが多い。ひところ高給ブランドバッグを買い漁っては、大して使いもしないうちから転売する人間もいたが、それは間違った買い方をしている。バッグの世界で有名になったブランドのバッグは、大概長持ちする(丁寧に手入れをし続ければの話だけど)。

 ブランドの話をするとどうしても「オシャレ」の話に偏りがちだが、たとえば携帯電話やパソコン、音響製品や家電にもブランドはある。ファッションブランドは気にしても、音楽プレイヤーに関してのブランドは気にせず、安い無名のMP3プレイヤーなどを愛用している人も見かけるが、音楽を愛する人間からすればそれは「ダサい」ことだと気付くべきだ。というか、そういう人たちがダサいファッションをしている人を見かけて「あの人ダサい」という資格はない。

 すべての分野に関してブランドに詳しくなれとは言わないが、ブランドについてあれやこれや言いたいのであれば、自分の専門分野以外のブランドにももう少し目を向けてもいいのではなかろうか。言い方を変えれば、ファッションだろうがオシャレだろうが、ブランドにこだわる人は結局は「オタク」なのだということを理解したほうがいい。私は「オタク」を悪い意味で使うつもりはないが、どうも「オタク」を毛嫌いしている人ほど、どこかで「オタク」に憧れているところがあるような気がしてならないからだ。だったら、毛嫌いするより理解を深めたほうが、友好関係を広く持つことができるんじゃないかな。
ブログネタ:募集! 占いの本読んでみない? 参加中


 ブログネタ詳細に「当選された方には、後ほどメッセージにて連絡いたします」って書いてあるから、てっきりメッセージが来てから送られてくるのかと思いきや、いきなり宅配便で送られてきたぞ。家にいなかったらどうする気だ。当たった(先着1000名に入った)のは嬉しいけど、約束の連絡がないのはどうかと思うぞサイバーエージェント。

 さて、届いたばかりの宿曜占いだが、起源はインドの暦と言われる宿曜経だそうで。月の運行と人のバイオリズムを関連づけたような、占いというか生活習慣術というか、そんなカンジの内容だ。まずは27種類ある宿星と呼ばれるものの中から自分の星を探し出し、「自分自身を知る」ところから始める。

 結論から言えば「女性寄り」の表現が目立つ「働く女性向け」の占い本と言えるだろう。男性が読んでもそれなりに当て嵌まるものも少なくないが、それは男性自身が参考にするというよりは、女性が付き合っている(あるいは結婚しているとか好意を寄せている)相手を判断する材料となる程度の内容だ。

 人間関係については西洋と東洋の相性占いのイイトコどりというか、結構細かく分類されていて、パターンも豊富。自分から相手を見た場合と、相手から自分を見た場合の両面を知ることもできて、リアリティを増すのに一役買っている。

 では肝心の「当たっているか」という点についてだが、性格面については「当たっている」ような気がするものの、年運や月運や日運のような「日々の占い」とか「未来予測」の記述に関してはピンとこないところも多かった。ただ、転ばぬ先の杖として、宿曜術を利用して週間スケジュールを組むのは面白いかもしれない。自分の行動基準や、スケジューリングに苦労している人には、よい目安になると思う。

 1950年生まれの人からのデータがあるので、最高58歳の人までこの本で占うことができるぞ。私もこの本で自分のことは占えるが、親の世代が占えないのはちょっと惜しかったな。


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