私の子育ては明日終わります | ベースボールバイブル

こんにちは。
ベースボールバイブルの東です。

 

私事ではあるが、息子が明日、大学の寮に入寮する。

 

だから、私の中では明日で子育ては終わりだ。

 

きっと、もう一緒に生活することもないだろう。

 

そう考えるとやっぱり寂しいものである。

 

彼が高校生活を送ったこの3年間は私なりにいろいろ我慢をしてきた。

 

このブログでもあまり言いたことを言わないようにしてきたつもりだった。

 

もちろん、我慢しきれないことは我慢せずに書いたりもしたが…

 

それでも、振り返ってみると本当にしんどい3年だった。

 

今の敦賀気比高校の3年生には私が指導者として関わった選手が6人進学した。

 

1人の選手も一生懸命がんばってくれたがベンチに入れたのは5人。

 

そして、その5人は揃ってレギュラーとなってくれた。

 

ただ、ベンチに入れなかったその1人の選手をしっかりと成長させてあげれなかったのは私の力不足だったと反省している。

 

それでも他の5人は敦賀気比高校でレギュラーになってくれた。

 

まあ、ひとつの高校で5人も同じ中学生チームの選手がレギュラーになるなんていうことは珍しい。

 

それでだろうか。

 

敦賀気比高校の試合を見ていたら横にいたどこの誰かもわからないおじさん2人がこんなことを言っていた。

 

「あれは敦賀気比高校が嵐山ボーイズからお金もらってるかららしいで」

 

そんなことがあるはずがないのだが、こんな風にして噂というのは立っていくのかと思わされた。

 

まあ、これを聞いたときはさすがにウチの妻も「アンタ、あんなこと言われて黙ってたらアカンで!怒りっ!」と言ってきたが、私は我慢した。

 

なぜなら、野球選手というのは結果で黙らせるしかないから。

 

だから我慢した。

 

噂や陰口というのは、いつでも、いくらでも叩ける。安いものだ。

 

ところが、結果というのは簡単には出せない。つらいものである。

 

そして、結果が出なければまた叩かれる。

 

それでも、野球選手であれば結果で黙らせるしかないのだ。

 

今はオリックス・バファローズで活躍している吉田正尚選手も、広島東洋カープで活躍している西川龍馬選手も敦賀気比高校で1年生からレギュラーになったときは陰でいろいろ言われたものである。

 

でも、当時、陰口を叩いてきた人間は今は彼らの活躍を指を加えて見てるしかないだろうし、もしかすると今は応援しているかもしれない。

 

だから、私は誰に何を言われようと、そこは我慢して、彼らが結果を出してくれることだけを、結果を出し続けてくれることだけを願った。

 

本当にしんどかった。

 

でも、彼らは本当によくやってくれた。

 

もしかすると、今でも何かを言う人がいるのかもしれないが、全ての公式戦を見てきた私が言うので間違いない。

 

彼らは本当によく頑張った。

 

それは実際に数字を見ても明らかである。

 

だからこそ余計に思う。

 

大学でも、プロでも、がんばれ!と。

 

世の中には「がんばれ」という言葉が嫌いだという人もいるし、私も現役時代は嫌いだったが、心から「がんばってくれ!」と思ってしまうのである。

 

ひと時の幸せに酔いしれずに、野球をやれる限りは、その時間がある限りは、その時間があることに感謝して、しっかりと自分を磨き続けてほしい。

 

しかし、今振り返ってみても本当にしんどい3年だった。

 

ただ、私の息子である鉄心は「パパのしんどさなんて大したことはない。パパには俺のしんどさなんて絶対にわからへん。俺はそれくらいしんどかった。」と言ってきた。

 

どうやら、私のしんどさなんていうのは、たかが知れているようだ。

 

まあ、彼には本当につらい思いをさせた。

 

高校時代に甲子園というものを巡ってつらい思いをさせられた経験のある私は、やっぱり息子の鉄心を甲子園に出させてやりたいと思い続けていたのだ。

 

表向きには「甲子園なんて…」と言ってみるものの、私は甲子園に執着していた。

 

おそらく、私ほど甲子園というものに執着している人間は世の中を探してもなかなかいないのではないかと思う。

 

そして、それを息子に背負わせてしまったのである。

 

ましてや、高校に進学すると今まで優しくて大好きだった叔父さんが監督という立場で存在していた。

 

私の弟と私の息子のどんどん変わっていく関係が見ていてつらかった。

 

この文章を書いている今も勝手に涙が出てきてしまう…

 

今年の1月に会ったときに少しは昔に戻れてるかなと期待したが、そんなに簡単なものではないようだ。

 

私の息子に生まれてこなければ、彼は変な荷物を背負わずに生きていけたのかもしれない。

 

いや、間違いなく余計な荷物を背負わずに生きていけただろう。

 

そしたら、もっと野球を楽しめたのかもしれない。

 

でも、私の息子に生まれてしまったばっかりに彼に大きな荷物を背負わせてしまった。

 

それでも、それが東家に生まれた男の宿命なんだ、と私は息子にきつく接した。

 

そして、グラウンドでは弟に厳しく鍛えてもらった。

 

実際に息子は自分には一番厳しかったと言う。

 

そして、弟も一番厳しくしたと言う。

 

ただ、息子にはこれだけは言っておいてあげたい。

 

哲平は俺にこんなことを言ってたよ。

 

「アイツほど根性のある奴はおらんぞ」って。

 

私の息子は本当に大人しい子で、人と話すのも苦手な子である。

 

まあ、負けず嫌いではあるが、争い事が嫌いな子で、高校に進学させるときは彼が高校野球でやっていけるのか本当に心配だった。

 

が、そんな子に根性があったのかと、親としては嬉しかった。

 

それでも、彼が試合に出ると色々ある。

 

つい先日も泣きながら私に言っていたが「自分が試合に出ると監督のコネがあってええな」と言われたことがあるそうだ。

 

まあ、仕方がない。

 

それは結果で黙らせるしかないのである。

 

そして彼はしっかりと結果を出した。

 

 

実際に彼の公式戦の成績は106打数48安打1本塁打で.452である。

 

あのつらかった夏の大会さえなければ公式戦の打率は5割を超えてたのだから、よくがんばったと思う。

 

しかし、最後の夏の大会はつらかった。

 

妻にはずっと言っていたのだが、最上級生になって夏の大会が始まるまでノーヒットの試合がなかったのである。

 

要するに、彼は全ての試合で絶対に1本はヒットを打ち、ほとんどの試合で2本以上のヒットを打ち続けた。

 

だから、春の北信越大会が始まる前に「ここらへんで1回ノーヒットであってくれへんかな。そうじゃないと夏に変なことになるような気がする」と言ったのを思い出す。

 

ところが、彼は北信越大会でも全ての試合でヒットを打ってしまった。

 

あの時は、本当に「打ってしまった…」と思ったものだ。

 

息子に「打ってくれ」じゃなくて「打たないでくれ」と願うのもおかしな話だが、私の中には変な胸騒ぎがあったのである。

 

そして実際に…

 

彼は北信越大会の決勝戦で右手の人差し指を骨折した。

 

あれは忘れもしない。

 

令和3年6月8日の火曜日だ。

 

3回表の第2打席。

 

ヒットを打って2塁ベースにヘッドスライディングをしたときに右手の人差し指を折ったのだ。

 

親である私は異変にすぐに気づいた。

 

試合の終盤になると痛みが増し、ボールは投げれない。バットも振れない。バントをしても骨に響く。

 

こんな状態だった。

 

試合後にハードオフエコスタジアムの医務室で手当てをしてもらったが、骨が折れているのは間違いなかった。

 

しかも、である。

 

例年は7月下旬に行われる夏の福井県大会が、この年は福井県でインターハイが行われるか何かの理由で7月上旬にスタートするという。

 

6月8日に骨折して7月上旬…

 

まあ、普通に考えたら試合に出るのは無理だ。

 

お医者さんも「厳しいかもしれんね…」と。

 

でも、私たちは必死だった。

 

情けない話かもしれないが甲子園に執着していたのだ。

 

ただ、多くの方の助けもあって7月上旬になんとか骨はくっついた。

 

そして、そのまま夏の大会に入った。

 

ところが、である。

 

野球はそんなに甘くない。

 

甘くないのは知っていたが、ここまでかと。

 

思い出したくもないほどの試練が待ち構えていた。

 

いま思うと…

 

バットを振れる状態ではなく、ボールも投げれる状態ではなかった。

 

それでも「痛くはない」と私も息子も言い聞かせた。

 

ただ、この夏はつらかった。

 

実際に息子はいまだに夏の甲子園の試合を見ようともしない。

 

いつか、あの何試合かを笑って見れる日が来るといいけど…

 

まあ、それもこれも私の執着が招いたものなのだ。

 

反省している。

 

あっ!それから…

 

夏の甲子園期間中に放送される「熱闘甲子園」という番組がある。

 

ツイッターのタイムラインに「敦賀気比を流せ!」「敦賀気比を取り上げろ!」というのがバンバン流れてきたのだが…

 

放送されなかったのは私の責任なのだ。

 

実際に私の元に「熱闘甲子園」から取材があった。

 

正確に言えば「熱闘甲子園」の制作に関わっている会社から取材を受けたのである。

 

わざわざ家にまで来てくれた。

 

そこで私は熱闘甲子園で放送できないほどの厳しい話をしてしまったらしい…

 

現代では厳しい話は使えないようだ。

 

泣ける話じゃないとダメなのだろう。

 

ただ、そんな話はウチにはない。

 

そもそも私は無理やり感動的な話を作れるような器用な人間でもない。

 

だから、当時怒っていた人たちには許してほしい。

 

さて、私の中では私の子育ては明日で終わりである。

 

明日、無事に息子を大学の寮に入寮させるというミッションは残ってはいるが、それが終わると私の子育ては終わる。

 

しんどかった、つらかった、しんどかった、つらかった、しんどかった、つらかった、こんな言葉ばかり出てくるが、本当に心の中にあるのは…

 

楽しかった。

 

息子には余計なものを背負わせてしまったが、息子は私を本当に楽しませてくれた。

 

だから息子には心から感謝している。

 

ありがとう。

 

次は大学野球。

 

大学野球を経験せずに社会人野球への道に進んだ私には大学野球の世界はわからない。

 

上下関係があるのか?

 

キャンパスへ通う頻度は?

 

どんなリズムで練習するのか?夕方から?

 

なんかよくわからない。

 

だからアドバイスのしようがない。

 

でも、そんなことは置いといて…

 

息子には存分に自分を磨いてほしい。

 

才能があるか、ないか、そんなことはどうでもいい。

 

でも、自分を磨く楽しさには気づいてもらいたい。

 

それが親として願いである。

 

幸運を祈る。

 

いや〜、溜まっていたものを吐き出したら喋りすぎた。

 

すみません。

 

では、また。