野球選手としての目的を履き違えてはいけない。 | ベースボールバイブル

こんにちは。

ベースボールバイブルの東です。

昨日、こんなツイートをさせていただいたんです。

 

 

なんとなくですけど多くの野球選手が勘違いをしているようなので、こんなツイートをさせていただいたんですが…

 

ひとつのドリルの目的って簡単に言ってしまうと「投げる・打つ・捕る・走る」のいずれかの能力を上げるためのものであるはずなんですね。

 

まあ、要するにパンチが上手くなるのが目的なのではなくて「動いてるボールを打てるようになる(コンタクト能力を上げる)」とか「動いてるボールを捕れるようにする」ためのものであって「パンチが100回続けられるようになる」とか「1000回できるようになる」なんていうのは野球選手としてこのドリルをする目的ではないはずなんですね。

 

でも、多くの野球選手がああいう動画を見ると「あんなことが出来てスゴい…」と感心して「自分も同じことができるように!」なんてことになるわけです。僕はそういうのは馬鹿げていると思っていて、野球選手には常に「打ててこそ」「捕れてこそ」という話をするようにしています。パンチがたくさんできることというのは野球選手としてはなんの価値もありませんからね。まあ、もちろん出来ないことを出来るようにするという野球人としての姿勢は褒められてもいいかもしれませんが、野球選手としては特にどうってことのない話です。当たり前の話ですが、ああいうことは出来なくてもメチャクチャ打つ選手はいっぱいいますから。

 

ところが、ああいうことを出来るようにしようと必死になってしまう野球選手の多いこと多いこと。残念ですね。そして、ああいうことが出来る選手が評価されてしまうという危険性。危ないです。だって、ああいうことに夢中にならずひたすらボールを打ち続けるという選択肢があってもいいはずですからね。

 

まあ、要するに野球選手ならば目的は間違えないで欲しいなと思っていて、その目的というのは単純で野球選手というのは結局のところ「投・打・捕・走・脳」を鍛えるしかないということです。現状を見ていると、それを忘れてしまっている野球選手が多いように感じたので、こういう話をさせていただきました。

 

まあ、参考まで。

 

では、また。