
9/30 富山県氷見市のSenseFullnessLandに向かう途中の夕陽です

家が創価学会だったので、
子供のころから日蓮聖人の御書(ごしょ)を読んでいました。
中には今でも暗記していて
スラスラと言える御文があります。
我並びに 我が弟子
諸難ありとも 疑う心無くば
自然に仏界にいたるべし
天の加護無きことを疑わざれ
現世の安穏ならざる事をなげかざれ
我が弟子に 朝夕教えしかども
疑いをおこして 皆すてけん
つたなき者のならいは 約束せしことを
まことのときに忘るるなるべし
『開目抄』より
私、ならびに 我が弟子に
諸難があっても 疑う心が無ければ
自然に仏界にいたることができる。
宇宙のサポートが無いからと言って
宇宙の法則を疑ってはならない。
今の現実が安穏で無いからと言って
嘆いてはならない。
我が弟子に 朝夕に教えてきたけれども
皆疑いを起こして退転していってしまった。
拙い者の習いとして、約束したことを
いざという時に忘れてしまうものなのである。
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん
『開目抄』より
結局のところは、天もわたしを捨てるがいい(宇宙のサポートがなくたっていい)、いかなる難にもあおう、身命をなげうつ覚悟はできている。
我日本の柱とならむ
我日本の眼目とならむ
我日本の大船とならむ
等とちかいし願やぶるべからず。
『開目抄』より
わたしは日本の柱となろう
わたしは日本の目となって見据えていこう
わたしは日本の船となって人々を救済していこうと
誓ったことを
決してやぶることはないのである。
マスタークリエイターが唯一、人間として地球におりたのが日蓮聖人なのだと、宇咲愛さんが教えてくれました 

750年前、
竜の口で殺されかけ、
佐渡に流罪になった日蓮聖人。
信徒たちにも迫害が起こり、
ほとんどの信徒が疑いを起こして信仰を捨てていきました。
中には日蓮聖人へ悪態をつく人までいました。
そんな正念場のときに
佐渡から鎌倉の弟子達に
書かれたのが開目抄でした。
この龍ノ口の翌年、
750年前の過去世の私は
鎌倉からはるばる佐渡へ
日蓮聖人を訪ねて行きました。
そして
わたしは今、
横浜市から富山県氷見市に
宇咲愛さんと
レゴラスさん、
そして同志の皆さんを訪ねて
通っています


