もう20年くらい前のことです

「悪」と思いっきり闘ってみたい

と願ったことがあります
笑。

当時は信仰を持ち、「悪と戦って仏になる」という考えの環境で育ててもらっていました。
その思想の背景には、
権力者の流す情報にいいように振り回されてきた人類の歴史と、
庶民への愛があったのだと思います。
庶民への愛があったのだと思います。
私も「悪」と闘ってみた~い

取っ組み合いじゃ
力に自信が無いから無理だな…。
痛いの嫌だし…。
じゃ口論かな?
でも、
そもそも私の周りに
「極悪人」が居ないや…。
そんなことを考えながら
アレコレ妄想している時に、
ふッと次のようなことを思ったのです。
「悪」が存在しなければ「悪と戦う」という経験をすることが出来ない…。
つまり組織的に「悪と戦う」としている限り、何時までたっても「悪」は無くならないんじゃ…??
って

結局、その時のわたしは
本当は極悪人が怖かったんだと思います。
だから真剣にずーっと願ったりしなかったので、実現はしませんでした

戦おうと意識をフォーカスすると現れる。
排除しようとすると目の前に現れる。
ならば「悪」を目の前から無くしたいなら、戦わなければ良かったんだ

あっても良いし、否定しない。
排除もブロックもしない。
存在を認めた上で、
嫌なら、ただ選ばなければいいんだ

意識をフォーカスしなければよかったんだ…

過去にあったネガティブな出来事もそう。
嫌な思い出を忘れようとするのではなく
自分の糧にして
ぜんぶ自分の財産にして
そして 今を生きるんだ



(つづく)

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