ありのまま”というと、無作という言葉が浮かんできますキラキラ
今現在の私はどこの宗教にも属していないけれど、実家がS学会だから
小さい頃からずっと日蓮上人は身近な存在でした。


どんな方だったんだろう?キラキラ星
日蓮上人の書き残した論文やお手紙を学び合う中で、私なりの日蓮上人のイメージは次のような感じでした。
幼い頃から経典を学んで極めた真面目で優しい人。悟りを開いた後は真実を伝えるために命がけの人生を生きた。時には刀を携えた権力者に対しても恐れずにハッキリと意見を言う、スッゴイ人。(そのために度々殺されかけるのだけれど…得意げ


一念に億劫の辛労を尽せば 
本来無作の三身念念に起こるなり
所謂南無妙法蓮華経は精進行なり


これは日蓮上人が書かれた文の中でも、特に重要な文の一つと言われていますキラキラ

瞬間、瞬間の心に、気の遠くなるくらいの長い時間の辛労の気持ちを 込めることが出来たら、本来持っている仏の命が止め所なく溢れ出てくる…
そんな意味でしょうか。


このことを、
そしてそんな日蓮上人の生き様を
正確に残したくて、伝えたくて
お弟子さん達が尽力したのでしょう。
始まりはそんな愛からだったけれど、
いつしか言葉だけが残って教条的になり、全体主義的に「~ねばならない」の師弟の世界になってしまったのが多くの宗教組織でした流れ星


それでも各組織のトップが愛ある賢明な方ならまだ良かったんです。
笑いがあり、活気がありました。
そんな中で
私がまだ学生の頃、同じ宗教組織の友人がポロっとこぼした印象的な一言がありました。


「師弟って言ってもさぁ…。あれはあの2人だったから成り立ったんだよ。それをそのままみんなに当てはめようとするのは無理なんじゃないかなぁ」


私はその時、皆同じことばかりを「善意」で言う環境の中で、自分の思うことをハッキリと言う、その勇気と自分軸に感動し、賞賛していたのを覚えています。
「不適切な発言だ」って言われそうな環境でも、自分自身を失わないキラキラ

そもそも日蓮上人の時代は武士の時代。支配者に意見したら、切られることもあり得たのに、日蓮上人は思いっきり「不適切」な発言をしているのです目 笑。


日蓮上人の言葉を、生き様を、
そのまま現代の自分に当てはめてもダメなんです。
「権力悪と戦うことが、仏になる道」
「精進して苦労して、世のため人のために闘うことが、仏になる道」
みたいになってしまうんです。


真実はそうじゃなかったんじゃないかな 星キラキラ
日蓮上人はあくまでも自分の役割に徹して生きた。
それはきっと魂から望んでいた充実した日々で、ありのままの自分を表現しながら時代を駆け抜けた。

誰かの役割をそのまま自分に当てはめることは出来ない。
だから私達が日蓮上人と同じ人生を生きることは出来なかったし、する必要はなかったんだ。


ただ、自分が心底ワクワクして
何かに熱中しながら、今この瞬間を楽しんで生きている黄色い花
パーフェクトな自分自身を実現している流れ星
そんなありのままの本来の自分に生きて、キラキラ輝いている人のことを
一念に億劫の辛労を尽せば 
本来無作の三身念念に起こるなり
って言ったんだ…!

ちはやぶる 神 
と同じように
無作三身の 仏
って表現したんだ…!


そしてその命は
すべての生命にもともと備わっているのだと伝えたかったんだ…黄色い花キラキラ

(つづく)

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ニャンコを描いてみましたドキドキ