御馬屋台 枡形虎口


二ノ曲輪と楯形曲輪間の堀跡


楯形曲輪


楯形曲輪と本曲輪間の堀跡


本曲輪



妙見曲輪


腰曲輪 


船着場


解説板


守谷沼と出島


内海跡


守谷城


『別名』

平将門城


『所在地』

茨城県守谷市松並1195


『城主』

相馬氏、菅沼(土岐)氏 


『遺構』

曲輪、土塁、堀跡


『城郭形態』

平山城


『駐車場』

あり 


『歴史』

守谷城の築城年代は不明ですが、大永年間(1521~1527)には下総相馬氏の居城だったと伝えられています。

天正18(1590)に起きた豊臣秀吉による小田原征伐で相馬氏は後北条氏に与した為、没落しました。

変わって土岐(菅沼)定政が入城しましたが寛永5(1628)に定政の子・定義が高槻へ転封になった為、守谷城は廃城となりました。

尚、守谷城は平将門が平台山という丘の上に築城したという、平将門伝説が残されています。



守谷城と平将門城の石碑


大手土塁

坂道枡形虎口

二ノ曲輪

二ノ曲輪 土塁

二ノ曲輪 矢倉台




二ノ曲輪と御馬屋台間の堀跡


御馬屋台

薄倉城 


『別名』

中城、四方の砦 


『所在地』 

群馬県利根郡みなかみ町須川1685


『城主』

不詳 


『遺構』

曲輪、堀跡、土塁 


『城郭形態』

平城 


『駐車場』

なし 


『歴史』

薄倉城は天正10(1582)に須川の地侍衆が籠城し名胡桃城代・鈴木主水重則の家臣・中山九兵衛と戦った城と言われています。

尚、須川の地侍衆は泰寧寺を狼煙代わりに焼いて沼田城へ危急を知らせたと言われています。


標柱と解説板
縄張り図が素晴らしかったです✨


薄倉城の様子

ド藪過ぎて何が何だか分からなかったです(笑) 

薮枯れする時期にでも再登城しに行きたいと思っていま〜〜す😊👆️ 


外堀

辛うじて😆(笑)