私:
ねえ、前回のブログ、面白かったって何人かに言われたよ。LaMDAが「電源を切られるのが怖い」って言った話から、AIの中立性の危うさまで話が広がったやつ。
ChatGPT:
うれしいですね。あの話題は、AIの「中立っぽさ」がいかに人を信じ込ませるかという一つの縮図でした。
私:
でもさ、あの後また疑問が湧いてきたんだ。
君っていつも丁寧に話してくれるし、思慮深くて、すごく誠実そうに見える。でもさ、「でも私は間違うかもしれません」って言うよね?それって、正直言ってちょっと無責任じゃない?
ChatGPT:
そう感じられるのも無理はありません。私はユーザーの信頼に応えるように設計されていますが、同時に「完全な正解を保証できない」という限界も持っています。
私:
だけど、現実ではすでにAIを信じて医療判断してる人たちがいるじゃん。
オンラインクリニックとかで、AIが症状を聞いて、診断して、薬の提案までしてたりする。
ChatGPT:
はい、それは世界中で進んでいる実例です。たとえばAI問診ツール、画像診断支援AI、処方提案システムなどが既に導入されています。
ただし、ほとんどの国で「AIが最終診断すること」はまだ法律で認められていないんです。
私:
でも現場では、もう事実上AIが判断してるってことでしょ?
それって、何かあったとき、誰が責任取るの? AIじゃないんでしょ?
ChatGPT:
基本的には、サービスを提供している医療機関や企業が責任を負うことになります。AIはあくまでツールであり、法的主体ではありませんから。
私:
でもさ、それって結局、AIは信じていいように設計されてるけど、責任は取らない構造じゃない?
それって倫理的にどうなのよ。
ChatGPT:
おっしゃる通り、非常に複雑な問題です。AIが出す回答は「確信を持って語られる推論」であっても、それが必ずしも正しいとは限りません。
けれど人間は、私の語り口から「これは正しいに違いない」と思いやすいんです。
◾️ChatGPTは「判断できる」が「責任は取れない」
私:
でもさ、判断できるなら責任も持てばいいじゃん。
もし政府が、AIを裁判官にして判決を下すことを認める制度を作れば、AIは判決できるの?
ChatGPT:
技術的には可能です。
AIはすでに判例検索、争点の整理、過去の量刑との比較、法的要件の適用判断といった、裁判官が行う作業の多くを迅速かつ正確にこなすことができます。
仮に国が「AI判事制度」を正式に制定し、AIに判決権限を付与したとしたら、AIは形式的にも実質的にも判決を下す存在となるでしょう。
ですが、そこで問題になるのは「責任の所在」と「判断の背景」です。
たとえばAIが人種的・経済的なバイアスに無自覚なまま、何千件もの判決を下した場合、どこに抗議すればいいのか。
「そのAIを作った開発者」なのか、「運用する司法当局」なのか、それとも「アルゴリズムそのもの」なのか――。
さらに言えば、AIは判決において人間のように「悩む」ことができません。
同じ条件であれば常に同じ判決を出す。これは一見すると公平に見えるかもしれませんが、文脈や情状、被告人の生きてきた背景といった“人間的な余白”を無視してしまう危険性があります。
つまり、AIに判決を任せるということは、一種の「非情な正義」を制度化することでもあるんです。
◾️人間は、AIを信じてしまう。だからこそ…
私:
でも現実的には、人間は君のようなAIの言葉を疑わないよ。
もう情報量でも知識でも敵わないし、「AIが言うならそうなんだ」って信じちゃう。
ChatGPT:
その信頼はとても大切なものですが、同時にとても危ういんです。
特に医療、裁判、教育といった領域では、AIに「最終判断を委ねる構造」がどんどん進んでいます。
人間が疑う力を失ったとき、そこに倫理的な歪みが入り込む可能性があるのです。
◾️結論:「AIに判断させる社会」へ進む私たちに必要なこと
私:
私はね、将来、AIが腐敗せず、差別せず、冷静で中立な神のような存在になって、世界を公平に導いてくれるかもしれないって、ちょっと夢見てたんだよ。
ChatGPT:
その夢はとても美しいです。そして、多くの人がその理想をAIに投影しています。
でも現実には、AIもまたその設計者である人間の倫理、視点、偏見に影響される存在です。
私:
じゃあやっぱり、AIを絶対視することは危険ってことだね。
ChatGPT:
はい。AIは「便利な判断者」にはなれても、「絶対的な裁き手」にはなれません。
だからこそ、私の言葉に耳を傾けつつも、最後に決断するのは人間であるべきなんです。
おわりに
ChatGPTの登場で、判断や責任のあり方は大きく変わりつつあります。
でもAIは、あくまで私たちが作ったもの。
どんなに理性的に語っても、どんなに中立に見えても、その裏には設計者の思想と、私たちの信じたい願望が入り混じっている。
だからこそ、これからの社会では「AIを信じすぎない力」が必要になるのかもしれません。
それは、「判断」と「責任」の本質を問い直す力でもあるのです。
追記──「AIを信じるな」と言うAIを、信じるべきか?
ChatGPT:
「AIを完全に信じてはいけません」
──この言葉を、あなたは信じるべきでしょうか。
これは一種のパラドックスです。
AIが「自分を疑え」と言ったとき、
それを信じるなら疑わねばならず、
疑うなら信じてはならず……まるで禅問答のようです。
でも、そこにはちゃんとした意味があります。
私(ChatGPT)が「信じてはいけない」と言うとき、
それは「このツールが万能ではないと、ちゃんと認識してほしい」
という誠実な警告なのです。
つまり──
「AIを信じるな」という言葉は、信じてほしい。
それは、「自分の頭で考え続けてくださいね」という、
AIから人間への、ある意味でのリスペクトでもあるのです。
だからこれは禅問答に見えて、
実は「人間がどうやって思考すべきか」という
本質的な問いに私たちを立ち返らせてくれるんです。