本日、木曜日。
明日は金曜日。また、義両親の面会日がやってきます。
さっきから、ピーという電子音が一定の間隔で鳴っています。
数日前から気がついていて、電子レンジや冷蔵庫、ポットなど、家じゅうの家電製品を点検してみましたが、音を出している該当物はありません。
どこで鳴っているのか…。もしかして庭なのか?
庭には、粗大ゴミとして出す予定の、取り外したガスレンジを置いているのですが、もしかしたらそれが鳴っているのかもしれません。何か、肌寒い秋の夜とマッチして、物がなしい音に聞こえます。
取り外したガスレンジ…。
残された保証書を見たら5年前の12月に取り付けていました。
2011年のことです。
それまで20年以上使っていたガスレンジが、いよいよ使いにくくなって、一念発起でガスレンジと換気扇を新品にしました。取り付けてくれる時に、「10年使えば元が取れますよ」といわれたけれど、あれから5年で償却することになりました。
あの時に、ガスレンジを交換した理由は、義母との同居でした。
義父が脳出血で倒れて、いやおうなく同居が始まったのです。
使いづらいガスレンジでは、食事の支度に時間がかかると思い、交換に踏み切りました。
そして、今回は、家族構成の変化により、流し台を丸ごと入れ替えることになりました。ずいぶん迷い、「本当にもったいないなぁ」と感じながら、でもガスレンジも思い切って新しいのにしてしましました。
人間の選択というのは、思っても見なかった理由が起こることで、その結果、新たな選択を迫られるということの連続が多いのかもしれません。
人間自体は、変化を嫌う、または怖がるので、外圧がきっかけになることが多いのでしょう。人間関係の選択も然りです。
分岐路に立ち、選択をすることは疲れるのですが、選択していくことが本来の姿であるのなら、選び続けることが求められることになります。
現在の時間だけではなく、肉体を無くした先の時間も視野に入れて、たましいの視点から人生の選択を考え続けるのなら、自分の選んだ結論を誇れるようになれるのかもしれません。
それって、一見したら、現世的には損をすることにもなります。
肉体がある間しか、自分は存在しないと考えるならば、絶対に損をしないように現世利益を追求し、自分の利益を声高に主張するのが正解なのですが、『たましいは生き通し』なのだと知っているならば、おのずと選択の基準が違ってきます。
でもね、私の感情がついていきません。
そこが難しい。
しかし、取りあえず感情は置いておいて、理性で考えた結論を思い切って選んだら、選択したら選択したで、分岐した道と結果が、その先にはあるようです。
そうやって歩き続けるしかないな、というのが、鳴きやまない電子音を聞きながら思ったことでした。
庭にあるガスレンジ君。大変だったこの5年間、一緒にいてくれてありがとう。
でも、私は次のステージに進みます。君との別れは、その象徴のように感じています。
まあ、しばらくそこで、お別れの電子音を鳴らしてください。君が連れ去られる日まで、その音を聞くと私の記憶に、君との出会いの場面が浮かんでは消えていくことでしょう。
物との別れは寂しい。そして人との別れはもっと寂しい。
