[04月23日#1] 宇宙を2の概念で理解する?

認識の出発点が1の概念の形成にあると書いた。塊が一つ/ある、そして次が来る。
皿の上にりんごが1個ある。けれども少し経って見るとない!誰かが食べたようだ。
在るの反対は無い。最初から存在しないものは分からないが、この場合は記憶した。

無い場合に数字記号0を当て嵌めよう。数直線を考案した人のアイデアを借用する。
等間隔に目盛りを振り、どれかに0を当てる。右に1ステップ行けば+1ずつ上がる。
反対方向に下がると-1だ。自然数から0そして正負の整数の概念が動きと結び付く。

ピアノを弾く子どもは簡単に理解する。さらにりんごを二つに切る。2分の1が半分。
好奇心があればプラスとマイナスの無限大や0や1の隣の点、さらに無理数へと進む。
哲学はなぜプラスとマイナスしかないのかと悩む。答えは、在るか無いかにあるのだ。

ニューロンは刺激の強さに対して発火するかしないかの判断をし乍ら基準を学習する。
新鮮な刺激には反応するが次第に鈍化する。これが順化や適応だ。進化と絶滅は対だ。
生と死、本能と理性、夫々の意味は分からなくとも対になっていることは間違いない。

究極は神と悪魔だ。共に万能で片や創造主、他方は破壊王。これって矛盾していない?
万能なら神は悪魔にだって変身出来る筈だ。神に出来ないことなどない。悪魔も同じ?
だから超巨大なエネルギーが宇宙を創造した源であり神の顔と悪魔の顔を同時に持つ。

善の時は神で悪の時は悪魔だ。善悪は誰が決めるか?支配者が政治に宗教を利用する。
組織に意思決定する代表は一人だけ。他の全ての国民は労働力として働かされるだけ。
一人では無理だからブレーンとして官僚を使う。庶民がなる軍隊の意義と掌握が鍵だ。

同じ人間だ。他人に命を捧げる洗脳教育が要る。さすがに疚しく民主主義を標榜する。
国家を組織の頂点とする限り元首が統率する。指導者の振りをして欲張ることになる。
一個人の脳はデュアル構造により定まった命令体系を持つが人間の集団では不可能だ。

一人ひとりが自分のボスを内部に持っていてゴマすりをしては機嫌を取っているのだ。
ボスが何を考えているのか分からない。確かなのは本能を拠り所としていること位だ。
そう云うボスを作り上げたのは環境と教育と他ならぬ自分自身だが過去の積み重ねだ。

教育する側とされる側、富める者と貧しい者、攻撃する側と守る側、出来不出来等々。
中間のグレーゾーンがあるが両極端に広がる数直線の構造は同じだ。過去と将来もだ。
1月の語源であるヤヌス神は過去と未来を向いた二つの顔を持っているが私のは違う。

本能を主体にした自律系が君臨する脳によって意識を賦活されて考えさせられる自分。
その結果を積み上げて狡猾になって行くボスと協調することで健康を維持出来るのだ。
戦争と平和を考える時、民主主義は軍国主義と反するが資本主義とはどう協調するか。

選挙があると何かが起きる。政治家の命運がかかる。選挙民は常に両面を考える事だ。
[04月22日#1] 知ったか振りして威張る理由?

教育に金をかける。スタンフォード大学は西のハーバードと呼ばれる私学の双璧だ。
学費が高く普通の庶民の子弟は行けない。その代わり、カリフォルニア大学へ行く。
高い金で質の高い教育を買うのだ。教育の質が高いとはどういうことか検証しよう。

判明したことは力関係だ。大統領や総統など支配者は超絶大な権力を武器に威張る。
異見を唱える者がいれば黙らせる。腹心の部下を秘密警察組織に置いて見張らせる。
腹心の部下の寝返りは裏切りとして徹底的に拷問して口を割らせて殺す。死の掟だ。

世の中は敵か味方かだ。無関係に見えて社会の一員として繋がっているし騙し合う。
いかに巧妙に騙すか。これが高等教育の本筋だ。騙されるのは人生に未熟だからだ。
賢くなるとは狡猾になることを意味する。生きるために働くか頭脳を使い金を稼ぐ。

脳のデュアル構造に依り誰でも支配欲と被支配欲を併せ持ち状況場面で使い分ける。
個人が本能に基いて振舞うのはそのためだ。社会は規則を作り理性で守らせるのだ。
資本主義では金の力が一番だ。大統領でもゴルフ王でも本能を抑えられず不倫する。

金があれば好きなことが出来るのだ。だが周囲は許さない。スキャンダルと糾弾だ。
つまり組織化すると自由は奪われてしまう。大学の自治は金力で堕落してしまった。
商業化が進むと金に依る支配がマスコミを通して国民の洗脳に向かう。情報操作だ。

一人の変人がいて知識を金に出来ないためインターネットを使い公表し続けて来た。
その文章は断定文が多く全然柔らかくない。読む人は威張られているように感じる。
ジャーナリズムの原点はペンは武器より強しだ。一方、知識を本で売ると金になる。

しかし雑多な本が出回り過ぎだ。著者が賢いかどうかが判らない。読む価値も不明。
戦争では官憲が威張り散らした。現在の威張る輩はいずれ正体が明らかになるのだ。
これはある種のぼやきかも。断定文は空威張りの証拠ではないのか?自問自答する。

インターネットでコミュニケーションを取れればその答えが出ると予想して始めた。
最近どうも一方通行になって来たような感じがする。読み返すと教祖じみて来たね。
[04月20日#1] そして1の概念は空間へ拡張される

一つの概念は大きさに関わらず、区切りの認識と密接に関わっている。離散的なのだ。
即ち連続ではない。水や空気はコップ1杯とか台風1個として数える。塊は不連続だ。
こうして手や足が2本、その先に指が5本あると表現する。何を指すかが重要なのだ。

手が1本でその先に指が5本だからといって、1=5ではないのだ。手と指は違うのだ。
自然界にある塊を一つ二つと数える時、人なら一人、木なら1本、犬なら1匹とする。
紙や皿なら1枚2枚だ。このように自然にある量は物体の形状によって単位を付ける。

これが空間の距離や質量や時間、更に速度や加速度や温度やエネルギーに拡張される。
物理や化学に出て来る量は単位付きが決まりだ。一方数学は単位からの開放を目指す。
全て同じ単位なら省ける。数学の1は単位の概念がある。自然科学の社会の掟なのだ。

因みにパーセンテージは全体を100とした時の割合だ。全体が幾らなのかが隠される。
掟やルールを知らないと大怪我をしたり命取りになる。ゲームなら失格だ。未熟者だ。
子どもと笑えない。文系上がりには多い。尤も理系上がりにだって未熟者は多くいる。

言語学を含む意味論や認識論の全体が認知科学だが心理学で分かるように科学がない。
脳の仕組みが判らなかったからだ。意識が何か説明出来なかった。それが出来るのだ。
脳の黄金定理が警告する。手遅れになるのだ。だから早く知るほど有利だ。1に戻る。

2個の水滴が合体して一つになった。問題は1+1=1と言う表現にある。数学と混同!
数理科学が全て約束事から出来ているのを知らない。単位と文字記号の認識が未熟だ。
1個足す1個→1個と書いたら誰も驚かない。→の記号の意味が“になる”と思うのだ。

数学では等号=を左辺と右辺が完全に等しい時と定義する。0.999…と1は等しいのだ。
1の表現は定義によりいくらでもあり得る。知らないだけだ。これはその一例なのだ。
そして知らないことを自覚すると劣等感が生まれ、そして威張って見せることになる。

教育が上下関係としての力関係を生むのだ。だから人よりも先に知りたいと欲が出る。
妊娠して3週目ほどから母親の心拍の刺激で大脳と小脳の形成が走り出す。差が出る?
この頃にモーツァルトを聞かせると母子共にいいと言われる。胎教の始まりだが無理?

妊娠が判らない為だが興味のシーズが刺激によって出来るからだ。環境は重要なのだ。