千年近くも昔、たいそう読書好きの少女がいた。世は平安時代、書物は希少だ。少女は等身大の仏像を造り「あるだけの物語を全部読みたい」とひたすら願う。菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)と呼ばれる人で、その「更級日記」に愛書ぶりが詳しい。
上洛し、憧れの源氏物語を全巻もらうと天にも昇る心地になる。「間仕切りの中に伏して一冊ずつ読む喜びといったら、后の位も比ではない」と書き、「昼はずっと、夜は目の覚めている限り、灯を近くにともして」読みふけった。そんな少女が、喜んでいよう。
今年から、11月1日が「古典の日
」になった。1008(寛弘5)年のこの日、源氏物語をめぐる記述が「紫式部日記」に初めて出てくる。それにちなんで法律で定めた。読書週間のほぼ真ん中、翌々日は文化の日と、日取りはいい。
文学の古典ばかりではない。音楽、美術、伝統芸能などを広くとらえて、歳月に朽ちない輝きに親しむ趣旨だという。汲(く)めども尽きない泉なのに、飲まず嫌いはもったいない。
とはいっても、とっつきにくいのが古典というもの。「桐壺(きりつぼ)源氏」という言葉があって、源氏物語を読み始めたが冒頭の「桐壺」の巻で投げ出すことを冷やかして言う。せっかくの日を尻すぼみにさせないために、親しみ、楽しむ工夫が大事になる。
源氏
よりは通読者が多いだろう「徒然草」が言っている。<ひとり、燈(ともしび)のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる>。古典の醍醐味を、古典が教えてくれる。
