Instituto privado de Professor Moriarty

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我が国の政治、経済、外交・安全保障政策に関して、
現役大學生である私が、自らの思考により、
分析された情報をお届けする公式ブログサイト。
ホームズのような現実的思考回路で、
我が国の山積する問題への処方箋を提示します。

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 いよいよ安倍内閣が始動し、一筋の光明が差したというところでしょうか。

 以前、ブログで安倍氏の首相再任を憂慮する由を述べましたが、選挙戦を通じて、前回の経験から多くのことを学ばれ、経済財政政策に関して、かなり勉強されてきたのではないかと思いました。また、外交・安全保障に関しても、民主党による弱腰外交によって我が国を取り巻く国際環境が緊迫化していることから、専守防衛を脱却して、法的にも物理的にもまともなミリタリーにするという主張は多くの有権者が納得するものであったのだと思います。是非とも、自民党にもう一度頑張ってもらいたいです。

 まず、選挙結果に関してですが、メディアの報道では小選挙区によって死票が生じたり、振り子現象が起こることが短命内閣を招いているとする批判がなされたりしましたが、何が問題なのか全く理解できません。自民党が大勝したのが気に食わないからといって、選挙制度に責任を転嫁するなんて、低俗にも程があると思います。それに、小選挙区が短命内閣を招くという因果関係なんてありません。OECD諸国のなかでも、こんなにコロコロと内閣が交代している国なんて日本くらいですし、そんな感覚的なことしか言えないメディアなんて最低だと思います。以前にも書きましたが、政党政治の混迷は、政党内の調整機能未整備による90年代以降の政治経済的外部環境への適応不全にあるという仮説が提示されていたりするものの、小選挙区を採用したから短命内閣が引き起こされるなんていう仮説は聞いたことがありません。小選挙区を採用している国で、短命内閣が続いている国でも列挙してみろと言いたいです。それよりも、小選挙区比例代表制という中途半端な選挙制度のほうがよっぽど問題だと思います。小選挙区で、民意で落選した議員が、比例でゾンビ復活するなんて、おかしな制度だと思わないんでしょうか?むしろ、小選挙制か比例代表制かをはっきりさせたほうが良いような気がします。

 また、今回の衆議院選挙では、雨後の筍のように小政党が乱立しましたが、そもそも彼らは何のために政党を立ち上げているのか理解できません。単一争点しかないのに、政党としてまとまっているなんて、そんな馬鹿げたことが先進民主主義国家でほかにあるんでしょうか。あまりにも、有権者を馬鹿にしているし、既存政党さへ変革できないで、無責任に離党していった人たちが日本を変えられるなんて信じられません。今回の選挙で、民主党は大敗し日本維新の会程度の議席数に落ちぶれましたが、民主党が自民党に対する対立政党として、有権者に対して選択肢を提示できるような政権担当代替政党として復帰できるように頑張って欲しいと思います。それこそが、二大政党制による安定した政党システムと競争的民主主義に寄与することになるからです。私は、政策的には日本維新の会やみんなの党は嫌いではありませんが、彼らに期待できる部分というのはかなり限定的であって、やはり既存政党(自民党)でなければ、日本の再生は不可能だと思います。

 ちなみに、私の実家の選挙区では、自民党が勝利しました。さいたま一区は、かなり激戦区と言われていて、2000年以降、民主党候補の武正公一が強かったのですが、自民党が党の若返りを図り、優秀かつ活力あふれる候補者を擁立したこともあって、ようやく自民党が勝利することができました。さいたま一区には、民主党から野田元首相や、自民党からは安倍首相や小泉進次郎議員などが応援演説に来るなど、かなり接戦を繰り広げていました。私自身も、普段は選挙カーで奇声を発している候補者に耳を傾けることはしませんが、今回はきちんと自民党候補者の演説を聴きに行き、県議会議員や市町村議員がどのように選挙活動において動員されているのか、また、公明党との選挙協力などについても垣間見ることができ、日本政治に関して理解を深めるよい機会となったと思います。今回の選挙戦を通じて感じたのは、やはり、いかに公職選挙法が現代にはそぐわない時代錯誤の制度体系になっているかということです。選挙カーで右翼と同様に、拡張器で名前を繰り返し言い続けるなどという選挙活動ではなく、インターネットを通じた選挙活動によって、有権者に対してきちんと政策対立軸とその理解を深めるように資源を割くべきではないでしょうか。選挙期間に突入したからといって、候補者がツイッターもブログも使えないなどというのは、非効率的で無意味だと思います。きちんと、時代にあったものにリバイスして欲しいですね。

 だらだらと綴りましたが、自民党に求められているのはなによりも政策実行力です。有権者の期待に応えられるように、頑張って欲しいと思います。








 久しぶりの投稿になります。

 懸案事項であった卒論がようやく完成し、一息ついているところであります。
 今日は、Amazonで入手したkindleから投稿しています。スマホよりは、
 操作するのは楽ですし、画質も音声もlaptopとはさほど変わりません。
 wifiの通信速度も速く、文書ファイルを持ち歩けるので、仕事にも使えそうです。
 値段も手頃なので、遊び半分で買っても良いかもしれません。

 さて、選挙の話は、後日ゆっくりと書きたいと思います。
 

 産経新聞電子版を見ていたら、信じられない発言をする政治家たちの記事がたくさん連載されていて、椅子から転げ落ちてしまいました。

 まず、細野豪志政調会長。安倍自民党総裁、日本維新の会代表の橋本氏、石原前東京都知事の三人をあげつらえて「タカ派」とレッテルを貼り、「戦後日本の平和主義、専守防衛という考え方は間違っていない。世論がタカ派にながれるかもしれないが、民主党は真ん中にどっしり立つ」と発言したそうです。とんでもない人ですこの人。そもそも中国メディアと伍して、日本が右傾化しているなどと言っているのもふざけているし、専守防衛という考え方が間違っていないなど、現在の切迫した極東情勢を鑑みて言えることでしょうか。専守防衛とは、国民を守るという責務を放棄した、主権国家として有り得ない概念であり、それが間違っていないなどよく言えるもんだと思います。それに加えて、民主党が真ん中にどっしり立つとか言っていますが、少なくとも民主党は相対的にみても中道左派であり、それ以上左の政党です。

 さらに。共産党の志位和夫委員長は、在日米大使館でルーク公使と会談し、沖縄における米兵の女性暴行事件とオスプレイ配置に抗議し、在日米軍基地の全面撤退を求めたそうです。この人、本当に正気なんでしょうか。そもそも共産党という名前の政党が、いまだ日本で存続していることに驚きですが、専守防衛と日米安保条約が相互補完関係にあるというロジックも理解できずに、在日米軍の全面撤退を迫るなんて、こんな無責任な政党を支持している人がいることに言う言葉もありません。

 そして、田中法相。辞任したのは、本人の意思と体調不良によるものであるとの官房長官の擁護。法務省のトップである国務大臣を、反社会勢力であるヤクザと結託している人物を任命した野田首相の責任もありますが、このような国民の目を欺くような言い訳をするなんて最低だと思います。こういうやり方が、自党の評価を下げることに繋がるとは思わないのか。そもそも、安倍首相の時代に、閣僚の度重なる失言に、ハイエナのごとくひつこく食い下がって批判を浴びせていたくせに、何も野党時代の経験が生かされていません。

 ほんとにとんでもない政治家たちです。

 前回、告知していた講演会に参加してきました。日経のサイトで動画が見られるので、興味のある方は覗いてみてください。個人的には、敬愛する両氏に会うことができたので、とても満足ではあるのですが、モデテーターと大學生の要領の得ない質問の投げかけ方に対して、非常に不満を覚えました。そもそも今回の講演会の題目が、米国の新アジア戦略と書かれているのに、実際のところは、殆どが尖閣諸島や竹島を巡る極東アジアに関する事項であり、それを米国の安全保障戦略という観点から、あまり語られえていなかったことが残念でなりません。いくら知日派とはいえ、彼らに首相の靖国神社参拝をどう思うかといったことを聞いたところで、一体どのような答えが期待できるというのでしょうか。また、モデレーターが、会場の聴衆に対して、質問を投げかけ、yesかnoで答える場面が何度かあったのですが、余りに的確な質問ではないために、アーミテージも質問の仕方が悪いと感じ、忠告していたほどです。余りにも、私と感じているツボが同じなので笑ってしまいましたが。

 それでは、いくつかの質問に対して、彼らがどのように答えていたかをいくつかご紹介します。

1. 集団的自衛権行使容認や自衛隊を軍隊と位置づけ、日本の軍事力強化するためには、憲法改正が必要であるか。これに関しては、やはり議会で2/3の票数を得なくてはならないことと国民投票を経なければならない点で非常に困難であることから、憲法改正ではなく憲法解釈によるべきであると言っていました。個人的には、集団的自衛権や自衛隊の国軍化というのは、明らかに違憲ですし、これ以上の拡大解釈というのは、憲法の尊厳を余りにも過小評価する行為であり、一旦此れを解釈によって認めてしまえば、特例としてほかの条文にも拡大解釈が行われる恐れがあるため、個人的には無理だと思います。私は、集団的自衛権容認と自衛隊の正規軍昇格には賛成ですが、「諸外国の公正と審議に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という憲法前文があるからこと、下位の法規(自衛隊法)を拘束し、日本の正常な安全保障に関する議論を妨げる根源だと思うので、絶対に憲法改正は必要だと思います。従って、非常に手続き的には困難を伴うとは思いますが、国の基盤でもある憲法を立て直すことで、初めて正常な安全保障に関する議論ができるようになると思うので、その点に関しては、彼らとは見識が異なります。

2. 首相の靖国神社参拝をどう思うか。これに関しては、両氏は特定の立場を取るものではないとしていますが、靖国神社参拝によってもたらされるリスクとメリットの双方を考慮して、総理大臣が決めるべきことだと仰っていました。確かに、それによって日中韓のあいだで軋轢が生じることは、米国と利益に反するものであり、あまり好ましいことではないが、それは内政に関する事項であるため、何とも言えないということなのでしょう。勿論、戦争で亡くなった方は、開戦判断をしたものとは関わりなく、尊い命を国民の義務として投げ出した方であるので、弔うことは必要であるが、靖国神社参拝という形ではなく、他の形でできるのであればそのようにしたほうが良いのではないかとも仰っていました。このようなナショナリズムを触発するような問題は非常に困難な判断を強いられますが、個人的には、安倍総理のように時期的配慮をして参拝しても良いのではないかと思います。終戦記念日に行かなかったからと言って、彼らのことを蔑ろにする訳ではないし、私はいつでも今日の繁栄があるのは、彼らのおかげであると胸に刻んでいます。

3. そもそも核の傘は機能しているのか。核戦争が勃発した時に、米国は本土攻撃を受けるというリスクを犯しながらも、日本防衛を本当にするのか。これに関しては、両氏ともyesと言っています。事例として、西ベルリンにおける在留米軍が結果として、trip of wireとしての機能を果たしていたし、それは在日米軍と同じだと仰っていました。trip of wireとは、少数の軍隊を置いておくことで、これに諸外国が手を出した場合、報復措置として危害を加えた国に対して、攻撃を仕掛けるという戦略のことです。すなわち、駐留兵は、あまり適切ではありませんが人質のようなものでしょうか。このような戦略により、西ベルリンは、ソ連に包囲されていながらも平安を保っていたわけであり、犠牲者が出ることに非常にナーバスなアメリカが、米軍を殺傷されて黙っているわけがありませんと仰っていました。私もこの点に関しては、同じ意見です。そもそも核戦争が起こった時点で、日本はおろか地球が滅びている可能性の方が高いですが、核の相互保持というのは、いわゆる相互確証破壊(MAD)が成り立っているからこそ、抑止が効いているのであって、そのようなことを質問すること自体あまり意味がない気がしました。

最後に印象に残っていたこととしては、ある程度の軍事力を担保した際に、それがどのようなリスクを持つのかということを考慮しなければならないと仰っていたことです。例えば、日本が核武装すれば、安全だという意見もありますが、日中間のあいだでMADが効いたために、小さな紛争すら起こせないような状況になり、極東アジアがさらに緊迫化する可能性もあります。そのようなメリットとデメリットを勘案した上で、現実的に考えなければならないのが国際政治です。このような緊張関係の中で、どのような防衛政策を示し、日本の国益を最大化するのか。今日のようなダイナミックな国力変化のなかで、こういったことを考えるのは非常にハラハラさせられるものであり、これこそが国際政治の醍醐味であると思います。

 久しぶりのブログ更新になります。ここのところ大学のキチガイな必修単位、卒論作成準備、家のリフォーム、内定先からの課題などが山積していたことと、ブログネタ不足も相まって、ブログの更新を怠っていました。といっても、遊ぶ時間がないという訳ではありませんが。

 話は変わりますが、来週の土曜日に、大隈講堂で開かれる安全保障に関する白熱討論会があり、それに参加することになりました。皆さんもご存知のとおりのアーミテージやジョセフ=ナイが来日するので、とても楽しみです。といっても、討論というほどのことはおそらくできないでしょうが、もし運がよければ質問することが出来るかもしれません。最近、私の知的関心が安全保障から遠のいていることもあり、勉強不足は否めませんが、後に彼らの知見と自身の考えを整理して、ブログにアップしたいと思いますので、楽しみにしていてください。

 安全保障と言えば、オスプレイ配置問題と米軍兵による一般女性への暴行が世相を騒がせているようです。特に、コメントすることはありませんが、オスプレイ反対でナーバスになっているなかで、このような事態を米軍兵が招くなんて沖縄を馬鹿にしているとか県知事は発言していますが、兵器の問題とそれとをリンクさせるのは、おかしいのではないでしょうか。日本では何かというと、無関係なことを適当に関連づけて批判したりすることがまかり通っていますが、それでは安定的な在日米軍基地の運営と、戦略的観点から日米同盟の摺り合わせを行うことなど到底できません。地位協定見直しや再犯防止などを要求するのは構いませんが、武器に関する専門的知識をもたない人たちが、オスプレイがどうとかデモを起こしている理由が今ひとつ理解できません。沖縄の地方メディアは、中国と日本の間で問題が生じている時に、しばしば基地の問題や米軍兵の問題などをセンセーショナルに報道し、反米感情を醸成することに執念を燃やしていますが、彼らは果たして沖縄県民と領土の安全の確保を真剣に考えたことはあるのでしょうか。

 メディアということに関して言えば、週刊朝日が橋本大阪市長の出自や親族の職業をあげつらい、危険なDNAを持っていると断じたそうですが、さすが朝日グループとしか言いようがありません。このようなとんでもない左翼新聞が全国紙だなんて、笑ってしまいますね。何の根拠や分析もされていないどころか、一個人の親族などを調べて、これだからハシズムは危険だなんて記事を書き、それが週刊誌のトップ記事に選ばれるなんて、よほどモノを書く訓練ができていない人たちなんだと思います。安倍新総裁もかつて、朝日とのあいだでいざこざがあったように記憶していますが、こんな馬鹿げた新聞社は相手にする必用はないと思います。こういう空想話や小説が書きたいなら、新聞社なんてやめてほしいですね。


 自民党総裁選で、安倍元首相が新総裁に選出されたようです。

 以前、持病ということではありますが、政権を放棄した印象が良くないなどの批判もあり、再選は厳しいのではないかと推察していましたが、町村派の票が安倍氏に流れたことや、決選投票に持ち越したことで、当選を果たしたようです。韓国大統領竹島訪問や尖閣国有化を受けてナショナリズムが高まってきている時でもあるので、解散総選挙後に仮に自民党政権が復帰すると、これまでの景気低迷などの不満爆発が要因となって、極端な右派や伝統右翼がその力を強めるのではないかと危惧しているのは私だけではないでしょう。

 どちらかというと、私は伝統右翼と分類されがちですが、自分ではリバタリアンだと思っています。政策的立場としては、みんなの党に一番近いのではないかと思います。
 

 そろそろ自民党総裁選が行われるようです。町村氏の辞退云々で、町村派の票が安倍氏に流れるのではないかという報道もありますが、あまり期待できるような人はいません。石原、石破、安倍の三候補が有力視されていますが、党内の旧勢力を刷新し、自民党執行部の推進力を強化できるような人物でなければ、例え自民党政権に回帰したとしても、安定的な政権が続くとは到底思えません。

 この三年間、民主党政権は混迷を究め、鳩山、菅、野田と不安定な内閣が続いていますが、国民が期待していたような2大政党制による安定的な時代の到来ではなかったようです。90年代に小選挙区比例代表制を導入して、政策対立軸の鮮明化とそれに伴う政権交代の常態化が期待され、国民は2009年の政権交代でそれが達成したと思い込んでいましたが、どうやらそうではないことは上記に述べたとおりです。むしろ、小泉政権以後の自民党短命政権と民主党のこの3年間を一つの流動的な期間として捉えたほうが適切でしょう。

 そのような観点から、この期間の政党政治の不安定要因を構造的に分析しているのが、東京大学社会科学研究所から出版されている「政党政治の混迷と政権交代」という本です。本書では、政党政治の混迷を「選挙ごとの大幅な議席変動」と「頻繁な内閣交代」とに直接的原因を求め、それが生じている構造的分析を行っています。それによれば、政党の3つの基礎的機能を議席拡大、政策実現、政党運営と区分し、議席拡大と政策実現の齟齬が党内対立を激化させ、党の統一的な外部環境への適応行動を阻害していると述べています。そして、その外部環境というのは、選挙制度という政治的要因とバブル崩壊とグローバル化による経済環境要因という90年代に起きた二つの大きな外部環境の変化です。要するに、新選挙制度のもとで、議席拡大を目指すということは、自民党にとって従来の選挙方法を変えなくてはならないことを意味していたが、それは既存の鉄のトライアングルを崩壊させ伝統的支持基盤を失うことを意味している。一方で、構造改革を行わなければ、日本の経済は立ち行かなくなることが明白であり、それを実施することは既存の選挙基盤の破壊を意味することになります。従って、議席拡大と政策実現の間で齟齬が生じるために、結局は執行部は党をまとめることができず、内部抗争に終始し、短命政権が続いていたのです。それを効果的に打ち破った唯一の例外が小泉政権です。国民の支持を受けて成立した小泉政権は、それを政治的資源として大いに利用して、従来の政策過程に切り込み、改革党という印象を世間に与え、旧態依然の古い勢力を「抵抗勢力」として効果的に世論に訴えることで、議席拡大と政策実現の齟齬を埋めたという事が指摘されています。したがって、小泉以降の自民党は、政党内の分裂を防ぐことができず、民主党政権もそれは同様です。ようは、党の執行部の権限が弱く党の一体性を保てないことや、必ずしも所属議員の間で政策スタンスが一貫していないことが、この数年間の政党政治混迷の諸悪の根源です。

 時期衆議院総選挙では、橋本大阪市長率いる大阪維新の会も国政に参加するでしょうし、新たな政党勢力が出てくることで、各政党の政策対立にも影響を及ぼすでしょうし、政界再編も期待できるかもしれません。個人的な見解としては、自民党内部から小泉構造改革継承路線の政治家がリーダーシップを発揮し、旧態依然の自民党政治を刷新できなければ、日本は終わりだと思っていますが、いずれにせよ、政策を基盤として政党はそもそも結成されるべきです。そのように考えれば、90年代の流動期に結成された民主党は、自民党を離党した政治家や、日本社会党などの旧勢力などの政策スタンスがばらばらな政党で、政権交代だけが唯一の共通目標であっただけに、政権交代を実現した今、民主党に期待できることはバラバラになって砕け散ることだけです。

 

 

 エネルギー・環境会議で、2030年代に原発ゼロ稼働を革新的エネルギー・環境戦略に盛り込まれたそうですね。連日、国会を取り囲んで原発反対を唱えていた勢力に屈したのか、次期選挙を見込んで大衆迎合に走ったのかそれはどうでも良いことですが、野田総理にはことごとく失望しました。

 前任の鳩山、菅とは違ってもう少し現実的な政策スタンスを取る人だと思っていたのですが、どうやらそうではなかったようです。そもそも、大飯原発再稼働にあたり、とうのご本人は「原子力発電を止めたままでは、日本の社会は立ち行かなくなる」と言っていたにも関わらず、党内の反原発勢力に屈して自身の政治信念を曲げるなんて情けない人だなと思います。

 そもそも原発なくして、これほどの規模の国民生活を支えられるとでも本気で思っているのか。少子高齢化で、今後ますます国民負担が増加していくと思われるのに、それに加えさらに電気料金が倍になるなんて、それではますます将来世代の負担が増え、ますます少子化が進んでしまいます。ただでさへ電気料金が高いのにこれ以上高くするなんて信じられません。そういうことも考えずに、無責任に原発反対を唱える理性を失った高齢者を私は軽蔑します。自分の目先の利益にとらわれ、将来世代からどのような評価がなされるのかという視点の欠落した人なんて、選挙権を剥奪してしまったほうが良いと思います。それに加え、鳩山が国際社会に対して二酸化炭素排出量を90年代比で25%削減するとした公約を達成するには、火力発電からの脱却を考えなければならず、新エネルギー(風力、太陽光、地熱など)ではその目標を達成することなど到底できません。となれば、排出権枠を購入するために膨大な血税が投入されるでしょうし、新エネルギーへの技術投資にも莫大な資金がかかります。また、最も進んでいるとされる日本の原発技術も国外に売り込めなくなるため、いいことは一つもありません。

 以上の事から、これ以上民主党に政権を委ねておくことなど到底できません。この政権は何の成果ももたらしていないのですから、当然選挙という形で国民の制裁を受けることになると思いますが、この3年間を振り返っても、これほど日本の衰退を加速させた民主党は、将来に大きな禍根を残すとともに暗黒の時代として日本の教科書に名を残すことになるでしょう。そもそも90年代の政界再編期に、政権交代可能な政党政治の確立を目指して結党した政党なので、政権交代が達成されれば、党内の政策統一のできない民主党は崩壊することは目に見えていましたが、次期選挙で大阪維新の会などの新しい政党勢力が出てくることで、政局に新たな動きが出てくることで、小泉構造改革路線を継ぐ勢力が台頭して来なければ、もうホントに終わりだと思います。

 久しぶりの投稿になりますが、実は先週まで京都にいっていました。この蒸し暑い季節によく京都まで来たなと言われましたが、一週間くらい山里を散策していたので、足腰の筋肉痛で動けない状況にあったため、ブログを書く気になれませんでした。しかし、今回の旅行で英気を十分に養ったので、夏休みの中だるみから抜け出し、そろそろ卒論の準備に取り掛からなくてはなりませんね。

 最近、読んでいるのは「自民党長期政権の政治経済学」という本なんですが、これまでの自民党一頭優位体制理解とは異なる切り口で分析されており、非常に面白いです。

 例えば、私たちは自民党長期政権下において、いわゆる鉄のトライアングルによって、利益誘導政治が行われていたことは知っているでしょうが、その便益や補助金が自民党の得票率にどのような影響を与えたのかということは知らないと思います。これまでの日本政治理解からすれば、インフラ投資(政府固定資本形成)によって、便益をとある選挙区に約束したとすれば、おそらく多くの人は、それは自民党の得票率拡大につながったはずだと思い込むはずです。

 しかし、実際はそうではありませんでした。選挙時に自民党がインフラ投資を約束した時点では、彼らも自民党への支持を約束し投票しますが、選挙が終わってしまえば、インフラ設備化は実行され、もはや受益側は自民党を今後支持しなくても良いという結論に達するからです。アメとムチによって利益誘導政治を行うという目論見でしたが、それはインフラ充実により人口の都市化を招き、結果としてインフラ投資を行なった選挙区においては、自民党への投票率は低下するというのです。すなわち、公的な投資をするという選択は、私的な投資(例えば、子ども手当や農家戸別補償などの打ち切り可能な政策)に比較して、一旦投資したものを回収したり、打ち切った入するようなムチを与えることはできないということです。

 一方で、補助金(地方交付税)などの付与は、アメとムチの両方が可能です。選挙で野党に投票すればムチを与え(補助金の打ち切りもしくは減額)、自民党への忠誠を誓えば補助金がもらえるという訳です。また、補助金が相対的に多く与えられる選曲というのは、いわゆるゲリマンダリングによって逆説明責任体制の下で監視・動員の対象とされたため、経済開発の機会が剥奪され、中央政府に依存せざるを得ないという状況に追い込まれたと筆者は主張しています。

 おそらくブロブを読んでくださっている読者の方は何を言っているのか理解していないだろうとは思いますが、きちんとした分析に基づいたものを読まなければ、余りにも感覚的なことしか語れなくなるということだけはお分かりいただけると思います。本来はジャーナリズトがきちんとした知見を持っていて、それに基づいて国民に有用な情報を提供してくれるはずなのですが、彼らが本来の機能を果たさない以上、私のような時間のある身分の人間はきちんと勉強した上で、社会に出ないととんでもないことになると日々痛感します。
 


 

 

 最近とある事が契機となって、アーサー・C・ドイルのシャーロック・ホームズを読むようになりました。これまで読書と言えば、学術論文や評論文のようなものしか読んでこなかったのですが、時間的余裕が出来たことから、最近ではフィクションも読むようになりました。推理小説と言えば、アガサ・クリスティーなどの著名な英国推理小説家が多々いますが、イギリスでの推理小説ブームを引き起こしたのが、C・ドイルであるということとクリスティーにも多大な影響を及ぼしていることから、その端緒としてはシャーロック・ホームズが良いのではないかと思い読書に着手した次第です。

 シャーロックホームズのシリーズを読んでいて感じるのは、世紀末の大英帝国というのは、産業革命により世界で最も豊かな国であるというイメージとは裏腹に、都市では労働者が搾取され、環境汚染も酷く、またロンドンが犯罪の巣窟となっていたということです。いわゆる、格差社会が大きな社会不安を引き起こしていました。その象徴が、ジャックザリッパーであり、聖なる探偵であるホームズと対峙していたモリアーティー教授像というのは、彼を生み出したような暗い影をさしている裏のロンドンの支配者として設定されているのではないかと考えられるように思います。

 ホームズは、鋭い観察とそこから推論を導き、どの仮説が事実と符合するのかを調査を進めてゆくなかで答えを明確にしてゆくという手法を取ります。彼も言うように、一見単純そうに見える答えであっても、鋭い観察なくしてきちんとした理論を組み立てることはできないのであって、ただ単に見ることと観察することは全く異なる行為であり、どの点に着目しそれが端緒となって答えを導いてくれるのかを探るというのは合理的に物事を考えるうえで非常に良い訓練になると思います。従って、私がホームズの言葉で気に入っているのは、次のものです。

"When you have eliminated the impossible,
whatever remains, however improbable, must be the truth"

これは、不可能な選択肢を排除していって、残ったものがそれがどんなに信じられそうにないものだとしても、それが真実であるという意味です。このような発想は、ある目的を達成するための複数の選択肢を用意しておき、状況に応じて最適なものを選択することで、最大の利益を追求しようとするというゲーム理論に通じる部分があり、非常に共感のもてる発想ですね。我が国を仮にも合理的アクターであると想定するならば、韓国や中国に対して"apologize"という選択肢は存在しません。なぜなら、これは国益を損ねるものであり(必ず賠償や領土において譲歩を強いられる)、ナチス第三帝国に対するチェンバレン外相の宥和外交と同じようなものだからです。しかし、一方で"apologize"という選択肢は、日本の国益を損じさせようと画策する民主党にとっては合理的選択かもしれません。民団のパーティーで、在日韓国人参政権付与を確約するような政治家なのですから、とんでもない人たちであり、本当に政権を委ねてはならない人たちです。それにしても、なぜこれほど在日コリアンや韓国に対するシンパが多いのでしょうか。理解に苦しみます。