かなり久しぶりに書きます。

 

この3月に、ぶじに大学院を卒業しました。

働きながらの学生生活、マジきつかったですが、終わってみると楽しかった思い出がいっぱいです。

 

論文なんて書けない!と、途方に暮れていましたが、崖っぷちに立たされると人間ってなんでもやってしまうもんなんだと、自分の底力を発見することも貴重な体験でした。

 

2年間、いろんなことがあったので、またぼちぼちここに書き残していこうと思っております。

 

 

お、お、おひさしゅう・・・ございます(・∀・)

最後に書いてから半年経ちます。いやーネタがないわけではないのですよ。
むしろ話がありすぎてしかもむっちゃすっごいスピードでグルグルいろんなことが起こりまして書ききれないのでございます。

重なる時は重なるってヤツです。

まず、婚活ですが、今停滞中w

大学院生活も2年目を迎え、修士論文書かねばならないのに全く準備もせず、モチベーションが上がらない自分のせいなのにもかかわらず、ゼミの先生に「かける気がしないっ!」と泣きつく。「どっかで負荷かけて無理しなければ論文など書けない。頑張りなさい」と厳しく言われまひた(ノ_・。)

んなわけで、卒業できたら婚活復活しようかななどと思っております。

さて、約3年に渡りSweet-Dについてのいろいろを書いてきました。1月に別れのメールを送り、その後お互い顔を突き合わせ別れ話をしたのですが・・・・

今の状況は、彼とは茶飲み友達になっているwww
と言っても、この半年で会ったのは2回かな。

「考え直して欲しい」と言われ続けて3ヶ月w

断り続けております(  ̄っ ̄)

今一番仲良しの男子は、去年出会ったシュレック君58歳。(シュレックにそっくりなアメリカ人)
ちなみに、今のところ彼氏ではない。彼は日本にいながらも、飛行機乗らないと会えない距離にいるし。
出会ったのは彼が仕事で名古屋にしばらく滞在していた時ですが、その2ヶ月後にはもう遠く離れてしまいました。
その後シュレックに会ったのはたった2回です。
毎日毎日毎日毎日朝、昼、晩と電話がかかってくるw
多い時は1日5回とかかかってくるwww

ここ1ヶ月くらいは電話も1日のなかで1回または2回と減ってきているものの、ラインのメッセージなどはそこそこ頻繁です。

へたするとストーカーよね(^^;)

思いついたらすぐ電話するタイプのようで、聞きたいこと聞いて「ありがと。じゃ」とあっさり1分くらいで終わることも多いです。
こちらがラインで質問メッセージを送ると、答えは電話でしてくるみたいな、そんな感じ。

知り合ってから時間は経っているものの、一緒にいる時間がほとんどないので、私は彼との間にでっかい壁をどどーーーんっと作っております。
すっごいいい友達ではある。気配りも細かいし、何かと決断早いし、仕事もテキパキこなすし、約束は必ず守る(今のところ)。
私の大学の宿題もかなり手伝ってくれる。
レポートなどのチェックを頼むと、その日のうちにちゃんと読んでくれて、その日のうちに添削してくれる。
忙しい時は、今日は忙しいので明日の朝になると前もって連絡くれる。

これらってあったりまえの事なんだけど、私はこのあったりまえの事をこの3年、男子からされたことがなかったので本当に気持ちが良いのと、こういう事が積み重なると信頼を置いてしまうのであります。

とりあえず、今はまず大学院卒業が私の大きな目標であり、優先順位が非常に高い事の1つなのでこれが終わったらまた恋愛モードにどっぷりはまりたいと思っております。
年明けてもう1ヶ月経ってしまった。
今更ながら、あけましておめでとうございます。ヽ(゚◇゚ )ノ

さて、Sweet-Dですが、去年のクリスマスに「メリークリスマス。家族との良い時間がありますように」と彼から2言のメッセージがあり、私も「メリークリスマス。あなたもご家族と楽しい時間をお過ごし下さい。」と返信しまして。

その後、お互いに1通のメールもやりとりしていません。
最後に会ったのは、去年の10月の終わりあたりなので、3ヶ月以上も会ってませんし。

結局一方的に私が熱くなっていただけだったのかもと虚しくなっただけでした。

恋愛とは、なかなか難しいものだなと沢山の学びをしたような気がいたします。

2年半のSweet-Dとの恋愛で学んだ事をよーーく噛み締めながら、次の恋愛に挑みたいと思います。

今年もよろしくお願いいたします。\(^_^)/

短い間に色んな事が有り過ぎて、訳が分からなくなりつつあるので、整理する為に書きに参りました(^_^;)

9月の終わりにスッキリとこの人しかいない、この人と将来穏やかに過ごす事を考えようと純粋に思っていたのもつかの間・・・

今日は問題点を整理する為のメモです。

2013年 Sweet-Dに出会いすぐ恋に落ちる。本人曰く独身。当時は仕事関係のアパートに1人暮らし。

その後、その仕事が終わりアパートを出なくてはならなくなった時、前もってわかっていたはずなのに引っ越しのその日に「アパートを探さなくてはいけないから、一緒に探して欲しい」と電話をもらう。私は、その引っ越しの事も知らなかったし、え?次住むとこ決まってないのに追い出されるの?と不思議だった。

結局、「友達の所に泊まっている」と2、3日後に連絡あり。

あとでわかった事は「ともだちの所」ではなく、元妻と一緒に買った自分の家だった。
元妻、娘、元妻の母親と一緒に住んでいる。(いまだに)

こんな状況だったので、ずーっと「元」では無く離婚していないのではないかと言う疑惑を持ち続けた私。

ついに2015年6月、「離婚が成立している証明を見せない限り、2度と会わない」と言い放つ。

証明はある、すぐに見せる事ができるといいながらも、その優先順位は非常に遅かった。結局見せてもらったのは3ヶ月後の9月。確かに2009年に離婚が成立していた。

何故離婚後も彼は元妻と一緒に住み続けるのか。理由は9歳の娘と、家を購入する時に払った現金。ほとんど彼の全財産だったゆえに、いくらかを返して欲しいと元妻に要求するも返してもらえずにいる。

私はそんなものくれてやりなさい。と言っていたが、本人は譲れないらしく、現金返してもらえるまで動かないと言っていた。

さて、私が思う大きな問題は、このお金の事ではなかった。

私たちは2年半付き合って来たが、私は彼の大切な人達に紹介された事が無い。
特に、名古屋に住んでいる彼の弟家族や、高校から一緒でアメリカの地元からこの日本に来てからもずっと一緒に行動している友達など、1度も紹介された事が無い。
それどころか、もし2人でいる時に偶然彼らに会ったとしたら、今初めて会って仲良くなったと言う事にしてくれとか、「友達」と言う事にしてくれとか言っていた。

そう、彼は自分が離婚している事を彼の親しい友達や、家族の誰1人にも言っていない。

私にとっての一番大きな問題はここだった。

家の問題にせよ、なんにせよ、とにかく一番近くにいる自分の弟に自分の状況を正直に話さなければ、何も進まないと常に私は言っていた。言いたい気持ちは山々だけど、なかなか言えない・・・と、ズルズル・・Sweet-Dの考え方は「自分のプライベートは弟や友達には関係無い。」「アメリカにいる家族は日本で自分が幸せであると思ってもらってたほうが彼らにとって幸せだ。」

そのうち、いいタイミングの時がくるのかなと私もその「時」を待つ事にした。特に結婚急いでるとかでもないし・・・のんびり付き合って行けばいいかなとかね。

さて、そんな風に思っていたにも関わらず、1ヶ月ほど前からピタっと私は連絡を絶った。
こちらからは一切連絡を取っていない。と言う事で普段からほとんど連絡してこないSweet-Dなので、この1ヶ月で音沙汰があったのはたったの2回だ。今現在は10日以上なんの連絡もない。
会いたいというので、「○日の○曜日なら空いてる。」と返事した。「わかった。楽しみにしてる。また連絡するね。」との返事。

こりゃ連絡無いだろうなと思ったら、案の定連絡は無く、その日会う事も無かった。ってのが1回や2回ではない。何十回もこんな調子だ。
私への優先順位は低いのだろうと理解した。

ここ2ヶ月ほど、Sweet-DがFBのタグ付けで結構露出している。彼の友達や仕事関係者がSweet-Dと一緒に仕事している所の写真をかなりアップしていたから。
そういう仕事してたんだ、しかも名古屋で・・・とか、知らない事ばかり。

つまり、親しい友達やら彼の家族関係と私を完全に切り離しているという意図がみえる。
彼らに私の存在を知られると、元妻との離婚やら、じゃなんで一緒に住んでるんだとか、そういう事を聞かれたり話したりするのが大変になるという彼の思考。

あまりにも、長くつきすぎている彼の嘘。

もう、今更本当の事を言って修正するには難しいくらいの年月だ。

元妻のほうも、離婚を隠している。
夫婦として行動しているのだ。家の中の2人は、それはそれは殺伐としている。
一度どんな様子なのか、Sweet-Dに録音して来てもらった。何故なら、離婚した2人が6年も同じ屋根の下で夫婦を装って暮らしているなんて、私には想像ができない。顔を合わせると喧嘩していると言っていたが、そんな生活も理解できない。

録音は、凄まじい物だった。

元嫁が母親に向って吐いている暴言「あんた、毎日毎日なにやっとんだ!電気代ばっかりかかって!夏になってクーラー入れたらもっと高くなる。いったい毎日なにやってんだよ」

当時8歳の娘がSweet-Dに吐いている暴言「あんた言葉がわからんのかっ!外人かっ!あ、外人だったね。家はお母さんが買ったんだろう。お前、金返せ金返せばっかり言って、お母さんにあやまれっつってんだよっ!」

さらに娘からの電話(私は実際Sweet-Dから受話器を渡され生声を聞いた)周りに友達がいて、友達に聞かせる為にこの娘は父親に電話して来た模様「あなたが父親なんて、私認めませんから。あなたは父親として最低です。(後ろで友達の笑い声)あなたは父親として自覚があるんですか?父親の資格なんてありませんから(後ろの友達と笑い合い盛り上がっている)」

娘は英語を話せない。なので、日本語でまくしたてる。
Sweet-Dは日本語がわからない。娘が何を言っているのかわからない。

私に通訳して欲しいというが、テメーとかなぐるぞ!とか、言わせんじゃねーよとか、死ねとか、こんなヤクザみたいなニュアンスを丸っと訳す事ができないと前置きしてから訳していた。

ドラマのような劣悪環境である。

少しでも、彼の心が癒される場所でありたいと私は思っていて、そのように尽くして来たが、あまりにもgiveの量が多過ぎて、最近空しさを感じるようになった。

私は、私の友達、娘、仕事関係者などにSweet-Dを紹介してきた。私はシェアが大好きだ。何でも共有しどんな事でも分かち合いたいと思っている。

しかし、最近私はSweet-Dから自分が排除されているように感じている。

まるで不倫のようだ。

友達に言われた。
「これって、価値観が違い過ぎる。」

そうなのか、価値観がちがうのか!と初めて気が付いた。
自分の事って、本当によく見えないんだなと改めて思う。
なによりも、娘を始め、紹介した友達や仕事関係者から、誰1人として「Sweet-Dと早く結婚すればいいのに」というポジティブな意見は無い。100%の割合で「彼は止めたほうがいい」という意見だ(^_^;)

大好きだったが(今でも色々思い出すと心が痛い)、潮時かと思っております。

こちらから連絡しなければ、彼からの連絡は無い。なので、このままだと自然に消滅するんだろうなと思っております。

本来なら、きちんと話して終わりにするべきなんでしょうが・・・

今、実は違う方からプロポーズを受けておりまして(^_^;)

え?え?ええええええーーー??

ですよね・・・(^_^;)

そっちの話しがもう少し具体的になるまで、Sweet-Dにはこちらから連絡はしないでおこうと思っております。

電撃すぎて、自分でもついていけてません。
こちらの男性、娘から「明日にでも結婚すればいいのに」とかなりウケがよろしいです。

私は男女の愛は、無償の愛とは思っておりません。
無償の愛が成立するのは、親子の関係だけだと思っております。

男女の愛は、2人で同じように水をやり(ギブ)大事に思いやりしてもらった事に感謝し喜び合う(テイク)でないと育っていきません。

彼が助けが必要なとき、すぐに飛んでいってすべてやり尽したので後悔は有りません。そして、私が彼の助けが必要だったとき、「助けが必要」と要求しても返事すら無く、放置され、事が解決した後に「どうなった?」と聞いてこられると本当に途中まで育った愛が腐りはじめるという感覚に陥りました。これも1回や2回では有りません。これを見ていた友達数人は、マジ無いし!この人ダメだから!と早いうちから付き合う事すら反対していました。

恋は盲目といいますが、本当にそうだなと今また改めて思います。こういうタイプがもし娘や友達の彼氏だったら、間違いなく私も「コイツダメだわ」と大反対する事間違い無しです。

ただ、こういう事を知る為に付き合う訳ですから、無駄にしたとも思いません。

娘からのお言葉
「Sweet-Dは1つのステップ。彼と付き合って成長したからこそ○○さんのような人から結婚してくれと望まれたんだ。本当によかった。」

(○○さんの話しは次の春くらいに書けたらいいなぁと思っております。)

私の人生、まだまだ色々動いているんだなぁ・・・
48歳でも、まだまだ色んな事を経験し学んでおります。
去年の今頃、仕事がゼロになり8月から12月までの5ヶ月間無収入に近い状態でした。

詳しくはこちら→世の中に見捨てられた私

仕事も見つからず、もう世の中で必要とされてない人なんだと落ち込み、去年の今頃は本当に面接に行く度に重りが増え沈んで行く日々でした。

くっそ~もう好きな事してやるーーーっ!と、20ウン年前にあきらめたというか、いつか子供達の手が離れたらやってみようと心の奥深くにしまってあった「やりたいこと」に挑戦する事にしました。

それは大学で専門的な勉強し、その知識を元に仕事をすると言う事でした。

本当は、普通の4年制の大学に行くつもりだったのですが・・・飛び越えてこの春より大学院に入ってしまった(^_^;)予定外です。

そして入学してから半年・・・

この半年、はじめて「怒涛」という体験をしました。もうわけがわからないまま半年も過ぎてしまった!課題と仕事におわれまくり、宿題のレポートが書けなくて泣いている夢を見たり(^_^;)
また、教授群からレポートのフィードバックがあると、緊張して動悸と息切れしながらファイルを開ける手に汗を握り、なかなかファイルが開けられなかったりw

レポート課題は月に最低3つあり、この半年で一番多かった8月は6つありました。
もうできる気がしなく、意識が遠のく事3度w とりあえず、今の所全部締め切りギリギリに提出してはいますが、1つ履修を中止し、今月またもう1つ履修を中止しようと考え中であります。

必修科目3教科、プラス修士論文この4つはもちろん絶対外せない。そして、単位のために選択科目を6教科とっていましたが、1つ中止したので現在5つ。もう1つ中止しようか考え中で、学習カウンセラーと相談中です。学習カウンセラーは、もう少し踏ん張ってみてはと前回とは違い、今回はもう少し頑張れと言います。

今月の締め切りは、11月15日にアメリカ文学、11月30日に第二言語習得、教育心理学、英語学、アカデミックイングリッシュの5つ・・・

またもや、できる気がしない・・(涙)
とりあえず、15日締め切りの文学のレポート、今日何となく書きたい事が半分頭の中でぼんやりと浮かんで来た程度。このぼんやりをまず日本語で書き、その後英語にして、さらにネイティブスピーカーに(娘や友達)見せて文法を修正してもらう。この行程があるから余計に時間がかかるのです。
できるだけ英語で読んで英語で書く選択教科を外したものの、それらをゼロにする事はシステム上できないようになっていた。あったりまえだよね、英語教育学専攻なんだから(爆)

44(+4)年間で、たぶん今が一番勉強していると言える。

私は修士論文は日本語で書く事にしたのですが、クラスメイトの何人かは英語で書く決心をした。その中の1人で私と同い年の彼女は「一生に一度でいいから、死ぬ気で書いたと言える物を1つ残したい。そして息子に(大学生の一人息子)死ぬ気で書いた論文だと胸を張りたい。」と言っていた。

若いうちに勉強だけに打ち込める時間がある、職業欄に「学生」と書けてしまう学生の皆さんが、今羨ましくてしかたが無い私たち社会人学生。学生だから勉強のために時間を優先できるってことは本当に幸せな事なんですよ。私も若いころはそんな事わからなかったっけなぁ・・

などと、ぼやきながら宿題に戻ります。