東京リビングストーン教会では日本人、韓国人が主に集まる教会である。日曜日のメイン礼拝も、午前は日本語、午後は韓国語にて行っている。

私も韓国人との付き合いは長い。見た目はほとんど同じように思えるが、実は内面において、国民性において日本人と韓国人はかなり違うのだ。そして何より、歴史的、政治的な面において今もなお多くの問題を抱えていることは確かなことである。

そんな中で自分自身も日本人として、クリスチャンとして、自分のあり方、クリスチャンのあり方、教会のあり方について葛藤を覚えたことは一度や二度ではありません。

そのような日韓の信仰の共同体というのは葛藤や軋轢も起こりうる可能性は十分にあります。何しろ日本の教会は日本人だけの集まりでもどんなに分裂や内紛があるのか、よく聞く話である。

それは日韓の問題ではなく、人間が罪人であることを物語る。人間は誰であれ、何人であれ、何歳であれ、罪人なのだ。だからこそ、キリストの福音(Gospel)が必要なのだ。福音はイエスを知らない未信者を、キリストを信じてクリスチャンにするための聖書の基本メッセージではない。それは私達が天に召されてイエスと出会うそのときまで、常に心に語り続けるべき核心のメッセージなのだ。Redeemer長老教会のTimKeller牧師の本にも書いてあるが、

福音はクリスチャン生活のABC(基本中の基本)ではなく、AtoZ(全て)である。