フロント業務をやるようになってからやっとボウリングを少しだけやることになる。

 

そして事件は起こったのである、16歳の春ごろだったと思うが、メカの仕事を覚えて

 

半年くらいたった時に、油断したのか仕事をなめてたのか、必死だったのかわからないが

 

機械裏で右手の中指を機械に挟み切断することになった

 

自分で指を抑えて、歩いて病院にいき、電話をかりて親に連絡してお金を持ってきてもらう

 

母親は血だらけの僕をみて大パニックになっていたのを今でもはっきり覚えてる

 

指とはいえ、ものすごい量の血が噴き出して、ボウリング場の床を血だらけにしてしまった

 

処置を終えて戻ったら、カーペットはすべて張り替えられていた

 

パニックになっている母親をなだめて、病院の先生に自分で話をした

 

先生は、機械でミンチになっているし、骨も折れているから、根元から切断するか

 

お腹を切り裂いてその中に指をいれ一度接着して、指のケガが治ったら取り出して

 

形成する方法があると教えてくれた

 

切断して短くするなら早くなおり、傷口も腐ったりせず確実に治りますと

 

長く指を残す方法をとった場合は、半分の確率で腐ってしまって再度手術が必要になる

 

また上手く傷口が治ってもかなり時間がかかると言われた

 

僕はボウリングが出来なくなるかもしれないと思って、指を長くの残す方法を選んだ

 

先生からここでは治療ができないので他の病院に転院してもらいますが、まずはここで

 

お腹を割いて指をいれ固定させましょうといわれ、そのまま手術をすることに

 

この手術で言ってたことは忘れない、局部麻酔だったので意識はしっかりしていた

 

指の付け根を輪ゴムのような物でしっかり縛って血を止めて始まった

 

夜中に救急で入ったこともあり、また小さな病院だったためか、先生が看護師さんにあれもってきてといった

 

道具や機材がないものがあり、代用品をかき集めて行った手術2時間ぐらいかかったような気がします

 

それから病院を転院して、約2年間かけて指の治療を行った。

 

入院していたのは3か月の入院と半年間の入院だったと思う、それ以外は通院していた

 

病院を出てもなぜかアルバイトしていたボウリング場に戻りたくて、電話した

 

この時18歳、もう学校をやめていた。

 

高校時代に友達を沢山つくっていなかったこともあり、アルバイトにのめりこんだ。

 

アルバイトにのめりこんだことで、ボウリングにものすごく興味をもったが、まだビリヤードばかり

 

やっていた、根暗な僕だったが、毎日ボウリング場にいることで、職場の方とも仲良くなっていた

 

この時はこの職場に12年もいるとは思ってもみなかった。

 

マイボールは2.3か月に1個か2個発売されていたので、同じボールを長く使うのが当たり前だった。

 

同じボールを使うのが当たり前のボウリングのボールだが、出てくるんですよね、大ヒット商品が

 

ブランズウィックの『デンジャーゾーン』このボールが大ヒットしたからなのかはさだかではないが

 

ここからボールの発売速度が一気に加速したような気がする

 

次に出た、デンジャーゾーンブラックアイスは、もう皆もってるように感じた

 

ボウリング会のたまごっち並みに売れていた

 

僕がボールを持ったものはもう少しあとになります。

 

アルバイトの方は、根暗なのもあってできればメカニックをやりたかった。

 

指を飛ばした機械が目の前にあるのになぜかメカニックになりたかった。