時期が時期だけに少しまじめに書かせて頂きます第二弾です。


最近、義援金のお知らせをよく目にしますね。

一刻も早い復興を願って、私もできる限り協力したいと思ってます。


でもときどき、「老後のためにと思って貯めていた1千万円を義援金として寄付しました」みたいな記事が載ることがあります(前回の阪神淡路大震災の時にもありました)。

あなたのような方には本当に頭がさがりますし、涙が出るくらい感動します。


だから、、、できたら、止めてください。


なぜなら、あなたが老後に不幸になるから。あなたのような人が不幸になるのを見たくありません。

これ以上不幸な人が増えるのも見たくありません。

ひとりの人を幸せにするために、ひとりの人が不幸せになってはいけないと思います。


話は少し飛びますが、私は宮沢賢治という人が好きです。

賢治は敬虔な仏教徒で、空腹の虎に我が身を差し出した釈迦のように、常に自分を勘定にいれずに行動した人でした。だからひどい病気であっても、回りの農民を親身になって助け、でもそれが命を縮めることとなってしまいました。

賢治の考え方や行動は本当に素晴らしいです。でも、私は彼にもっと長生きして欲しかった。もっといろいろな小説や詩に出会いたかったし、銀河鉄道の夜の続きも読んでみたかったです。

彼は素晴らしい人だし、満足して死んでいったのかもしれませんが、それによって失ったもののほうが実は大きいと思っています。


だから、だれも不幸せになることなく、人を幸せにする方法を見つけたい。


こういうのはどうでしょう。

あなたの充分幸せな部分だけを分けてあげてください。


たとえば、もし120%幸せだったら、その20%部分だけ人に分けてあげてください。

もちろんこれだけでは、ひとりの人を幸せにすることができません。でも、もし、あなたのような人が5人いれば、ひとりの人を幸せにすることができます。


もちろん一回の効果は薄くなってしまいます。でもいくらあなただけが1千万円を寄付しても、避難している30万人に分けたら、一人33円です。

でも、もしこの輪が広がって1億人が1万円ずつ寄付したら、1兆円です。これを30万人に分けたら、かなりの人を救えると思いませんか。


夢物語のような話だとは思います。でも今の日本なら、計算上は不可能な話ではないですよね。

もうこれ以上だれも不幸せにならずに、ひとりでも多くの人が再び幸せを摑んでくれることを、そしてそんな日が一日も早く来る事を祈っています。


時期が時期だけに少しまじめに書かせて頂きますね。

まずは被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

一日も早い復興をお祈り致します。


その復興のためには、まず人命の救助、ライフラインの回復が急務ですが、そのへんのことは、専門家にお任せするしかないと思います(もちろん、原発の処置もしかり)。しかし、そのあとに来るのは、瓦礫の処理、しかもあれだけの瓦礫を処理するには全国からボランティアさんに大集合してもらって人海戦術でやるしかないと思います。


ところでボランティアって何なんでしょう。英語の辞書を引くと、「自発的な」「奉仕者」「無償志願者」などという言葉が並びます。


「無償志願者」

確かに間違ってはいないと思います。でもその言葉が一人歩きしてしまって、自分で志願者したんだから勝手にやればいい、無償なんだから私には関係ない、そう思っている人も少なからずいるような気がします。


ではボランティアになったら本当にすべて自分の責任になってしまうのでしょうか、長期ボランティアの場合は会社を辞めて行かないといけないのでしょうか、ボランティアの家族は路頭に迷わなければいけないのでしょうか。


もちろん答えはNOです。ボランティアを目指すような殊勝な人は、それでも行くかもしれません。でも、そんなボランティアは絶対長続きしませんし、数も集まりません。


人が困っていたら、残りのすべての人がその人を助けてあげる、ほんとうはこれが基本です。しかし、どうしても仕事が抜けられなかったり、遠方で行かれなかったりする人がいます。そのような人たちは、ボランティアの人たちに対して「私だって飛んで行きたい、でもどうしても行かれません。だから、是非私の分までがんばってきてください、お願いします」という気持ちを込めて、彼らの労働に対して支援する、具体的には、現地までの電車賃とか、滞在経費を負担する。こうして、直接/間接にかかわりなく、すべての人が被災地支援にかかわる、これが真のボランティアの意味であり、このような社会が「ボランティア社会」です。


ボランティアとは、現地に行く人のことだけではありません。その人たちを支援する人たちもまたボランティアあり、すべての人がボランティアにならなければ真の「ボランティア社会」は形成できません。


日本が早くそのような社会になってくれることを祈りますし、今回の震災がそのきっかけになれば、せめてもの救いになるのではないかと思います。