共感型リーダーという言葉が

使われるようになりました。

グイグイとメンバーを引っ張り

時には厳しく叱咤する

そういったリーダーよりも

メンバーの話を傾聴し

メンバー自身の価値観を尊重し

二人三脚で成長をうながす。

今はそういったリーダーが

人気なようです。

 

その一方で

世界一(有名な)経営者であるだろう

イーロン・マスクさんは

このように述べています。

 

「西洋文明の根本的な弱さは共感だ。共感が付け込んでくる」

「彼らは西洋文明の欠陥を利用する。それが共感反応だ」

 

さて、いずれが本当のことを言っているのでしょう?

0か100かの話ではないことは承知していますが

ことリーダーシップということでいえば

「共感」は不要なもの

もう少し柔らかく言えば

しかたがないもの

必要悪ではないだろうか

自分の仕事を通じて

私はそのように考えるようになりました。

 

リーダーはつねに組織の利益を優先すべき

孤独な仕事であるということは

前回お話しました。

 

そこで必要になるのは

非情さであり共感ではないはずです。

共感はリーダーをむしばむ

獅子身中の蟲となる。

わかりやすくいえば

共感はリーダーを鬱にするでしょう

あるいは

すべき決断を先送りにしてしまうでしょう。

 

別に私はイーロン・マスクさんに

賛同しているわけではありません。

リーダーという仕事をつきつめていくと

確かに共感は邪魔になるなと

そこは同じように考えるようになっただけです。

 

もちろん厳しさだけでは組織は存続できないので

あくまでブレーキのために

消極的に採用されているのが

共感であると思います。

だから人手不足の今は

しかたなしに共感といったことが

言われるようになったのでしょう。

 

つまり

 

効率の追求 → エンジン(組織において強い人間のためのもの)

共感の追求 → ブレーキ(組織において弱い人間のためのもの)

 

という役割であり

自分のことを最強と考える人間は

共感などない組織を好むでしょうし

自分に弱い部分があると考える人間は

ある程度共感が保たれた組織を好むでしょう。

 

こういったことを考えていくと

能力については非常に優れたものを持っていても

先天的に共感力が富んでいるがゆえに

女性の多くが大組織の管理職やリーダーの職を

魅力的に感じないのかもしれませんね。

(最近では男性で管理職やリーダーを避ける人も多いと聞きます)

 

ここまで読んでいただければ

わかるかもしれませんが

念のために言っておくと

私は共感に満ちた世界のほうが好きであり

共感に基づくブログという表現が好きです。

リーダーと言う仕事は苦手であり

どちらか言えばサポーターという

立場でありたいなと思っています。

 

衣食足りて礼節を知る

ではないですが

衣食足りて共感を知る

この世において

共感が維持されるためには

ある程度の豊かさが必要だと思っています。

 

ずっと殴り合いの競争を強いられるような

ずっと組織と個人が対立しているような

これから先この世の中が

そんな貧しい世界になりませんように

私はそう願ってなりません。