奈良にやって来た旧国鉄の旅客をターゲットにしたものと思われる鉄筋コンクリート製道標。建立時期は不明(調査中)だが当時の県観光協会や国鉄などによって建てられたものだろうか。

県内にある同形式のコンクリート製道標は現在、
・奈良市法蓮町(JR大和路線佐保川橋梁東側の堤防上)、
・斑鳩町興留(JR大和路線目安踏切横)、
・河合町大輪田(JR大和路線大輪田第一踏切横)、
の3基を確認している。(それぞれの場所は道標マップで) 

3基とも旧国鉄関西本線(JR大和路線)の鉄橋のたもとの見通しの良い場所に立てられている。ほぼ同じ形式で作られた鉄筋コンクリート製の(直角)二等辺三角柱で、高さは3mにもなる。もとは全体が白く塗られ黒文字で案内が書かれていたのだろう。双方向の列車から見やすいように直角を挟んだ2側面にほぼ同じ内容の文言が書かれている。

大輪田のものは文字がほとんど消えてしまっており、興留のものは向きが少し変わってしまったようにも見える。また、法蓮町のものは平成に入ってから周囲に住宅が建ったが、当時はいずれも走行中の汽車の車内からよく見えたことだろう。

県内のJR線沿いの同条件の場所はだいたい探したつもりだが、線路沿いは石道標調査ほどくまなく歩いたわけではないので他の場所にもまだ残っているかもしれない。

以下は現存する3基の現状。



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【奈良市法蓮町のコンクリート道標】 



JR奈良駅の北約1km。JR大和路線の佐保川橋梁東側の堤防上に立っている。



白く塗られたコンクリート柱の線路側の2面に、黒文字で「若草山 奈良駅ヨリ一粁(km)八」と書かれている。結構古いもののようで角があちこち欠けている。現存する3基中、他の2基は文字がほぼ消えてしまっているが、これほどはっきりと文字が残っているのはおそらく何度か上書き(上塗り)されているからなのかもしれない。



線路からは見えない裏側には何も書かれていないようだ。



形状は直角二等辺三角柱。コンクリート基礎上に立っている。



昭和の頃はあたり一面田園風景が広がっていたが、平成に入ってから堤防の南側に住宅が建ち並んで見通しがわるくなった。当時は川沿いの桜並木もまだ無かったようで、汽車の車内からこの道標がよく見えたことだろう。



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【斑鳩町興留のコンクリート道標】 



JR大和路線の法隆寺駅から王寺方面へ約500m行った所にある目安踏切の横に立っている。現在は線路側を向いていないが元は線路に向かって建てられたものと思う。



文字はほとんど消えてしまっているが、一部に地の白が残り、うっすらと「法隆寺…」の文字も見える。「法隆寺…」の下にも文字があるが読み取れない。法蓮町道標のように「駅ヨリ北へ一粁五…」などと書かれていたのかもしれない。



裏側には文字の痕跡は見当たらない。白地の色が少し残っている。



「法隆寺…」と書かれた面の右側の面にも同様の文字があったと思われるが、ほとんど消えてしまっている。



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【河合町大輪田のコンクリート道標】 



こちらの道標はJR王寺駅から東へ1.8kmほどのJR大和路線の大和川橋梁西側の踏切横に立っている。



線路側の表2面にあるはずの文字は完全に消えてしまっており、地の白色もまったく残っていないが、形式やサイズ、立地条件などが他の2基と同じであることから、同種のコンクリート道標だと思われる。



裏側。角が欠けて鉄筋が剥き出しになっている。



高さは約3mにもなる。



元はなんと書かれていたのだろうか。竜田川畔の紅葉の名所はここから1.5kmほど北になる。



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