広陵町広瀬の林口集落に安政2年の銘のある大峯山供養塔道標が立っています。東面(正面)には 「大峯山上 奉供養三拾三度… 子孫為長?…」 と刻まれています。
西面には 「左 八木 今…(埋没・井?) 大みね山 …」
北面には 「右 たつた(多) ほうり(里)う… し(志)き(信貴山) 大坂…」 と刻まれています。
南面には紀年銘と願主の名。「乙卯 安政二 五月 願主 二代目…」
頭頂部。
東側から。この道標は向きが90度変わってしまっているように思います。
西側から、八木・今井方面。
南側から。龍田・法隆寺・信貴・大坂方面。
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広陵町広瀬(林口集落)の安政2年の銘のある大峯山供養塔道標です。
正面には「大峯山上奉供養三拾三度」と刻まれ、大峰山に33度登った記念に建てられたものと思われます。
ちなみに、大峯山供養塔道標は県内で数十基確認しており、中には大峰登山53度(大和郡山市額田部北町)、53度(橿原市十市町)、56度(桜井市吉隠)、というすごい数も見受けられ、中でも、72度(田原本町唐古・西代)、75度(天理市二階堂上ノ庄町)が群を抜いています。道標に限らなければ百数十度というのもあるようです。昔の人はすごい。信心深さもさる事ながら、体力、脚力も半端じゃない。
道標はおそらく建立当初と比べて向きが変わっていると思われます。現在の北面は元は東を向いていて丁字路の北と東方向を案内していたように私は思いますがどうでしょうか。
下部は埋没していますが、「右 たつた ほうり…(うじ?) しき 大…(坂?)」「左 八木 今…(井?) 大みね山…」とあり、箸尾から広瀬街道・法隆寺街道で龍田法隆寺方面、三輪街道で王寺方面へ出るルートと、今井街道で田原本町大網から八木方面へ抜けるルートを案内していたのだろうと思います。
道標を北に進み葛城川沿いを行くと、枯木橋の東詰で古来の重要街道である下街道と三輪街道に合流し、枯木橋を渡ると交通の要衝、箸尾の町です。
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・各面の内容
[東面]_大峯、山上、奉供養三拾三度…(埋没)、子孫為長?…(埋没)
[北面]_右、たつた(多)、ほうり(里)う?…(埋没・じ?)、し(志)き(信貴山)、大坂?…(埋没)
[西面]_左、八木、今…(埋没・井?)、大みね山、…
[南面]_乙卯、安政二、五月、願主、二代目…(埋没)
建立年 : 1855年 (安政2年)
寸法 : 高78cm×幅24.5cm×厚25cm
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<2022/10/4 補筆>
<2023/12/15 補筆>