こんにちは

ネイルサロンカズリナ

代表 平松一美です。

 

治るとも分からない病に倒れた

パパのパジャマに、娘ちゃんと2人で

「パパがんばって」って刺繍をした・・・

なんて、愛以外のなんでもないですね。

 

 

こんなに愛されてるパパが

助からないわけがない。

今の白井ファミリーを見ると

そんな風に考えるのは簡単ですが

この当時、どれほど不安だったかと思うと

胸が締め付けられます。

 

 

パパのコンサート、絶対に成功させる!!

 

 

これまでのISAO STORYはこちらから→☆☆☆

 

 

 

 

ISAO STORY〜今を生きる〜⑥
✴︎雪だるまと両手にオムツ

国立循環器病研究センター(国循)に

転院してICUに入ってた時期は

遼君と佑香と3人で

たった数分の見舞いに通いましたね。

 


佑香とパジャマにパパ頑張ってって刺繍して、

毎日毎日・・・でも必ず治ると信じて通いました。

...
 

手術の日佑香が

担当の佐藤先生に手紙を渡したようで、
あんな手紙をもらったのは

初めてだと言われていました。

 


患者さんはどなたもみんな一緒、

ドクターは必至で助けようとしいる、

でも佑香さんの手紙は心に響きました。

スタッフみんなの前で読んでから手術に入りましたと
手術が終わってから聞きました。

 

 

佑香はほんとにずっと当初からの事を

知っているので随分泣いたし

小さな胸を痛めたと思います。

佑香曰く
当時の悲しく苦しい思いは

箱に入れてぐるぐる巻きにして

心の奥のわからんとこに

鍵かけて封印してるそうです。

 


今でも思い出すのは手術後のパパ

、前例のない大手術、負担を最大限軽くするために
チューブにいっぱい繋がれ寝かされていました。
顔が青白く死んでいるみたいで

もちろん動かへんし、

思い出すと今でも胸が苦しくなりますね。

 


だからたとえ介護がしんどくても
あったかいいっちゃんが隣にいてくれると

私達は安心するんですよ。

 


手術がうまくいったと聞いて、

また能天気な私はすっかり元気になると、

奇跡は起こったと思い込んでいました。
高次脳機能障害という言葉すら知らん

ほんま天然でした。

 

 

一般病棟になって、国循の面会時間は
13時から20時、20時になると
一人でおいて帰るのが忍びなくて
カセットに家族の声やパパの好きそうな歌を録音して

ずっと流してもらうように頼みました。

 


私達が部屋にいて
そして音楽をかけていたとき、
意識のなかったいっちゃんが口パクしたんです!!

オリビアを聞きながらでした。
私も佑香も大喜び希望が見えた瞬間でした。
そこからボールを握らせたり
話しかけたり、
きっとよくなると信じて佑香と通いつめました。

遼くんも緑地公園の予備校からいつも来てくれました。

 

 

ちょうど今頃2月の事、
雪が降った日があって、
いっちゃんに見せようと佑香と雪だるま作ってたら
お子さんですか?と声をかけられたことがありました。

佑香がいいえパパですと答えてました

がどんなに辛かったと思います。

 


私はあかんたれのよわっちいママやから、

佑香が当時どんなに悲しかったか

慮る余裕はなかったですね。

 

 

ただ、学校帰りに電車を乗り継いで

北千里の駅から両手にオムツを買って

持って歩いてきた姿には・・・今でも涙です

 

 

ISAO STORY⑦ へつづく