こんにちは

ネイルサロンカズリナ

代表 平松一美です。

 

 

口笛コンサートのチケットが発売になり

Facebookの反響も頂いて

好調にお席が埋まり始めています。

 

 

このストーリーを読んでいると、

今回の口笛コンサートは奇跡なんだと

改めて思います。

 

 

 

これまでのストーリーはこちらから→☆☆☆

 

 

 

 

ISAO STORY〜今を生きる〜⑤
✴︎ゼブラゾーンで泣いて、泣いて。

 

倒れる前にちょっと戻りますが、

その年の10月ぐらいから

なんだかいっちゃんの調子悪くて、

ゆかと相当心配して、
大学病院受診したり、...
検査とかずっとしてましたね・・・
でも全然わからなくて。

 

 

この時期だけで1冊本が書けるぐらい😥

 

 

倒れた時期も悪くて
年末だったから
かかってた阪大病院には入院できず、
見当違いの病院を紹介され、
2週間入ってました。

 


その間毎日佑香と通いましたが、
本当に辛かったです😓

今でもその道を通ると胸がざわつき

涙が出てきますね・・・
2度と行きたくない場所です。

 

 

一度夜中の12時に公衆電話から

いっちゃんが電話してきたことがあって……
支離滅裂な電話だったのですが
助けてって言う叫びのような気がして、
飛んでいって連れて帰りたいって思って、

ゆかと泣きました😢

 

あの2週間の事は思い出したくない時間です。

 

 

病院の帰りは2人ともいつもぐったりでした。
一日1回の面会を無理に頼んで2回、
1回目が済んだら
時間を潰してまた2回目面会して
本当に帰りはぐったりでした。

 

 

佑香が泣くのが早いか
私が先に泣くかで
いつも
ゼブラゾーンで車を停めて
ひとしきり二人で泣いてから
また運転して家に向かってました。

 

 

小さな佑香が助手席で益々小さくなって、
なんでパパなん?
なんで佑香のパパなん?って
肩を震わせて泣いていました。

 

 

佑香は遼君には内緒やから、
自分がしっかりしないとって、
振り絞って私に寄り添ってくれました。
辛かったと思います。

 

 

だから佑香はもう一生分親孝行を

あの時にしてくれたんです。
一番切なく歯がゆく言葉に出せない時期でしたね。

 

 

お正月明け、阪大病院の担当医の受診日を待って
転院させてほしいと直談判しに行きました。
それも佑香が学校を休んで一緒に行ってくれました。
16歳の子にはすごく重い時間だったと思います。

 


でも遼君の代わりに私にいつも寄り添ってくれていました。
16歳の胸は心配で押しつぶされそうやったと思います。
佑香は今でも
家族の中で一番パパが好きやと思います。

 


大学病院でも原因がわからなくて

(見当違いの科にかかっていたとい

う絶望的な間違いを犯していたので)
でもいっちゃんが教授回診の時に

最後の力を振り絞り、

担当のドクターの白衣をつかんだんです。

 

 

それで先生がこれは何か

見当違いの事をしているのではと思われ、
至急検査をして病気がわかりました。

 


その時のいっちゃんを私は今でも
心の底からリスペクトしています。

私はこれで原因がわかったから、
病気は治ると信じていたのですが、

先生は絶望的だと知ってか、
国立循環器病センターにあわてて送り込まれました。

 


みんなバタバタと急いでいましたね・・・
搬送の救急車に2人もドクターがついて来て下さって
私はえらく親切やなぁって思ったけど、
搬送中に亡くなると予想されての事って
私だけがその事実に気が付いていなかったのです。

 

 

ISAO STORY⑥につづく