この映画は山田洋次の「家族」を思い出すロード・ムービーの作りになっている。お話の舞台は1930年代。監督は『駅馬車』のジョン・フォード監督です。西部劇の神様です。21世紀の今、この映画から何を掴めるか?名作はいつの世も生きる作品となっている、というのは正に本当のことです。主人公はオクラホマで40エーカーの土地を持つ小作農、ジョード一家の物語です。話は、刑務所から仮釈放で息子のトム(ヘンリー・フォンダ)が家族の下に帰ってくるところから始まる。ところが家には誰もいない。まるでゴーストタウンの如く、風と砂塵となにもかも砂に埋まっている畑地だけしかない。そこにどうやって生きているのか?一軒家に隠れている知人ミューリーを見つける。彼によると、長い干ばつとさらに追い打ちをかけるような大砂塵が作物を作れない状況を生み出し、近代化によって農家も大型機械であるトラクターやブルドーザーが投入され「地主にとっては必要のなくなった」農民を追い出していく。<地主と農民>、<使用者と労働者>、という資本主義社会の対立を声高に描いた作品ではない。職を求めてカリフォルニアまで移動する「家族」の映画故に永遠に見れる映画になっている。世界共通の「家族」の「絆」は永遠のテーマとして万国共通の映画言語なんですね。現代は崩壊した「家族」の「再生」が主に描かれているけどこの映画が製作された1940年代は「崩壊」と言う言葉すら見えない時代であったのだろう。「家族の絆」が時代の近代化という大波の人災から手を繋いで自ら「家族」を守っていく「家族の絆」の物語だから見る人によって思いは少しづつ違うだろうけど、基本的に「家族を守る」映画です。今の21世紀は「家族再生」です。
 ルート66をおんぼろのトラックに10人近い家族を乗せてほとんど傾きかけながらも皆でがんばって西へ西へ走っていく。途中で祖父母が死んでしまうのは当時としては厳しく映ったでしょう。厳しく、と言えば、トムがミューリーから聞いた話だが、ブルドーザーによって家が破壊され家族が追いやられた場面も当時、厳しく映っただろう。「家族の死」は痛いが、「順番通りの年寄りの死」は仕方ないけど、松竹「家族」では長崎から北海道へ列車移動の途中、幼い赤ん坊が死ぬ。これは余りにも辛い「受け入れ難い死」でありました。時代と共に家族の描き方も違ってくるでしょうが、家族をしっかりと見つめた映画はいつまでも古くはならない、ということは、私がこの「銀幕に俺たちがいた」を書き込んでいく中で改めてその真実を認識し続けています。
 今、日本は深刻な不況で失業者は相変わらずであります。今朝(10月13日)の中国新聞の一面に2003年衆院選の記事があるがタイトル副題は「失業、倒産、あえぐ市民(処方なき痛み)」となっている。どこまでつづく賽の河原、です。身体が動かなくなってもそれでも自分の出来ることを工夫してひとつひとつ石を積み上げて行くことが生きている者の役目なんですよね。何にもなくなってもどうにかしてカリフォルニアの地を踏んだ。目的地に着けば、そこではさらに想像できない社会の貧困をまざまざとみせられオクラホマで見た募集チラシが大嘘のデマだったことを知る。夢は砕け、難民キャンプで休息し、また旅立つ。運良く国営農場にたどり着き、ひと時の唯一幸せな場面が描かれる。しかし、そこも落ち着いて暮らせるところではなかった。国営が回りの民営によって焼き討ちされようとしていた。トムはそれを未然に防ぐ。民営に加担する警察から逃れるため、ひとりどこかへ立ち去る。母との別れがラストに描かれ、後に名シーンとして登場する場面です。私のつたない記憶で申し訳ないけど、黒澤監督が特別賞を授与された第62回アカデミー賞のイントロ時、数々のアカデミー受賞作品が次から次へと編集されたなかにこの場面が入ってました。

      2003年10月13日     マジンガーXYZ