1957年10月。アメリカのウエスト・バージニア州の炭鉱町で一人の高校生が夜空を見つめていた。近所のたくさんの人も一緒に眺めていた。ソ連の人類初の人工衛星スプートニクを見ようと集まっていたのだ。一瞬、流れ星のような軌跡を描いて動いている遠い彼方の輝く飛行物体は正に神秘的な奇跡であった。普通は「すごいなあ」で終わって、夢か非現実のような光景から現実に戻されてしまう。しかし、この高校生のホーマーは「俺もロケットを作る」と宣言する。一般には「うそーッ」とか「あいつはちょっと変わっている」と言われても仕方ない行動、言動だけどそれに実行がついていかないのが常なんだけど、彼は次々と失敗を繰り返しながら何度も何度も実行する。「大きな夢の実現」目指して試行錯誤する。小さな小さな友達4人のプロジェクトを結成し、ついには炭鉱町の有名な「ロケット・ボーイズ」として名を馳せていく。もちろん、バカにされながら、ではあるけど、このアメリカならではの開拓精神は大いに感銘します。
一方、私の歳からしてホーマーの父親の立場にたてばどうなんだろうか?父親は炭鉱現場の監督である。石炭。なつかしい響きに聞こえる。黒いダイヤ。三池、夕張、にも飛び出そうとする少年少女がいた筈です。五木寛之の「青春の門」は正にそれだ。青春の門ーーー今、思い出したけど後日、この「銀幕」に登場させましょう。話を戻して、役にもたたない、現実感のない、子供の危険な遊び、としか思ってない父親はロケットをごみくず扱いしてついにはロケット製作の道具を廃棄処分する。父親を憎むホーマーはそれでもやめない。
ある日、父親が落盤事故で病院生活を余儀なくさせられる。一家の生活のため炭鉱夫になって父親の跡を引き継ぐ。これほどうれしいことはないだろう。自分の代わりに息子が炭鉱仲間に入って労働してくれる。徹底的に嫌っていた炭鉱の仕事を「結構面白いよ」と慰めてくれる息子の言葉ぐらい最高の薬はほかにないだろう。
怪我が治って仕事に復帰した父に彼は「ロケット製作」の夢の続行を宣言する。先生に言われた数学の勉強もやりこなし、ついに科学フェアで優勝し大学へ奨学金で4人が行かれる事になった。そして故郷に凱旋し街の人々に歓喜で迎えられる。父親は現場で働いていて、いなかった。ホーマーは父親に報告に行く。そこでの再会シーンの会話が印象深い。ホーマーが父親に科学フェアで優勝し、大学へ行く前に最後のロケットを打ち上げるので見に来て欲しいと頼んだが、忙しいと断られる。帰っていく息子に「ヒーローを見逃したらしいな」と声をかけるとホーマーは父親にはっきりと言った。
<僕と父さんはいろいろなことで考え方が違う。すべての考えが違う。僕は人生で何か出来るという自信がついた。父さんと違うからではなく同じだからだ。父さんのように頑固でタフ。僕もいい人間になりたい。もちろん博士は偉大な科学者だ。でも僕のヒーローではない>
「僕のヒーローは父さんだ」とは言わなかったが、父親はその息子の声を聞いた筈だ。息子の知らぬ間の成長にどれほど胸を熱くしただろう。息子が炭鉱仲間に優勝メダルを見せている姿を誇らしげに見ながら、いつもの地下深く作業場にいく父親の姿がいい。
子供は親の働く姿をちゃんと見ていてくれる。労働は誰のためでもない。家族のためーーーーー。
2003年4月12日 マジンガーXYZ