打っても打っても満たされずに
ただただ翌日の開店を心待ちにして
ダメだとわかっていても打ちに行ってしまう。
出口の見えないパチンコ三昧の日々。
勝つ事が目的な割には
勝つ事の厳しさは身にしみてわかっている。
何をしたら良いのかを見失った虚無感を
一時的にしか紛らわせない事もわかってる。
味気ない毎日にドキドキワクワク、
イライラガッカリ、悲しみ絶望をもたらし
日々の生活のスパイスをもたらしてくれる。
だから、とりあえずパチ屋へ行く事が
今の現状を一時的にだけ打破できる
唯一の方法だし、これさえやっていれば
とりあえず何かやっている感には包まれて
安心する。
「パチが悪い」って誰が決めたの
だって、
虚無感を一時的に埋める為
安心感を一時的に得る為
自尊心を一時的に高める為に
対価としてお金を支払って
「それら」を買っているだけ
なんだからさ。
言い換えれば
ぜーんぶタダじゃ無いって事。
他人だってお人好しばかりじゃない。
生活だってあるんだしさ
慈善事業にも限界があるよ。
「それら」を得るには、それなりに
お金が必要だって事だけだ。
なんだったら他にも沢山あるぞ。
自分に格も無い代わりにお金を支払う事で
人からチヤホヤモテて自尊心を満たす事の
できるお店。
人に幸せを与える事ができない代わりに
お金を与える事で人の温もりを買えるお店。
乗り越えられない現実に直面する事から
一時的に全ての悩みを吹き飛ばしてくれる
魔法の薬。
自分の手で作る事の出来ない関係性を
お金さえ出す事で満たしてくれる集まり。
自分を世界の中の主人公に仕立て上げてくれて
夢を見ていられるものばっかり。
ただ、高いし代償もついてくるけどな。
パチ屋に通いつめて何が悪いよ?
している事は「買っている」だけなんだ。
何を買ってるのか?一言で言うと幸せ?
対価を支払う事で物を得る。
シンプルじゃんか。
なーんにも悪い事じゃ無いよね。
じゃあ…なんで人目を避ける必要がある?
なんで隠す必要がある?
本来自分で掴み取るはずの「幸せ」を
お金で購入しているという事実を
薄々…いや誰よりも自分が一番わかっている
からなんだよな?
お金でしか解決できないっていう
自分である事をね。
だから、自分で恥ずかしいと
思えてはいるんだよな?
ずっと買い続ける事はできない。
買い続ける以上は
いつか必ずお金も尽きて
やがてそれらを買う事もできなくなって…
先延ばしにしていた課題難題を
ひとまとめにして相手しなきゃならない時が
必ず来る。
少なくともパチは
そこに気づかせてくれた。
もしもパチが明日から綺麗に無くなったとして
洗脳ビジネスや
心の弱点を満たしてくれる存在は
姿形を変えて新しく生まれ続けるんだろう。
需要が無くならない限りずっとね。
俺はきっと、
パチに出会わずとも、あの頃の自分は
いずれは別の何かに依存する事になってた。
そう確信できるんだよね。
それを教えてくれた。
その一点だけに関しては、
パチに感謝してる。
今日一日を人間らしく。