僕のスーパーストレス発散タイム。読まなくていいですよ^^

さしあたって、みんなぶっ殺してやりたいわけですが、別に無差別に人を殺したいわけでもなく、
僕は述べていたかもしれませんが僕が生きている小さな小さな世界の中での人を殺してやりたいのでしょうか。
まぁそのなかでも失いたくない関係やこれからもうまくやっていきたい人はいるわけですから、
結局はむかつく奴や気に入らないものを全部ぶっ壊したいのでしょうか。
とはいえそんな奴にもまぁ少なからず接点があるわけで、接点があるということは
僕はそこまで毛嫌いしているわけではないということなわけですよね。嫌いなものはわりと排除して生きています。
その辺までたどり着くと、わかったのは俺が好き勝手やって好き勝手やった結果生まれた人間関係は
別に僕が好きなだけであって僕の好きな先々の人が相容れない可能性は十二分にあるわけであるということ。
まぁ僕としてはみんな幸せになれないものかと考えたことはありませんが、僕が好きなんだから別に
うまくやれるんじゃないんですかと思ってはいました。でも世の中そこまで甘くはないようです。
さて、ここまでわかってきたところで僕がすっきりするには、僕のもやもやが晴れるにはどうしたらいいのか、
改めて考えてみましたがやはりわかりません。人の価値観や物の見方を簡単に変えることはできないでしょう?
もう20年ほど生きてきた身ですし、ましてや僕なんていうちっぽけな存在がそんなこと出来ない。できるはずがない。
むしろ僕なんかに変えられる価値観をお持ちならなんて自分を持っていないんだと罵倒してやりたい。
だから僕は僕についてこいよ、なんてことはしませんし、なんとなく、なんとなくでいいから変える必要のない
居心地のいい人を選んで人と付き合ってきたのではないかと思います。なんて自分勝手なんだ。
そんなこんなで僕は今、今僕は悩んでいるわけですが、明日にはもうどうでもよくなっているのかもしれません。
だって僕が考えるだけでは何も変わりませんから。世界は僕なんかの力を借りなくとも簡単に動いていきます。
僕はそんな世界の流れを止めたいわけではありません。ただ、流れが止まらない限りはこのもやもやは
晴れないだろうと思います。ということは、僕の流れを止めるしか、
僕が救われる方法はないんじゃないかなって思います。これは逃げですか。これは逃げだというのでしょうか。
僕にはわかりません。だって自分がやらなきゃ止まってくれないんですよ。
生きてりゃいいことある、だなんてよく聞きますけど、そして自分がどれほど生きるのに十分な、
裕福で愛のある暮らしをしているのかもわかりますけど、それがどうしたって話なんですよ。
嫌なことから逃れるのは逃げですか。そんなの関係ないとして進んでいくのが人生ですか。
そんな人生なら別に止めてしまってもいいんじゃないんですか。いい思いをしないのに人生を送って
意味があるのですか。僕は間違ってるんですか?
かといって誰かにそれが正しいといわれたところで死ぬのは怖いわけですよ。
でもそれが恐ろしいと思うからこそ魅力を感じる部分も大いにあるわけで。
そしてそれを踏まえたら自分で自分の流れを止めることとはなんと勇気のある行動か。僕はそう思いました。
逃げなんかじゃない。一番勇気の必要な行動なんじゃないんですか。
受け入れられようと媚を売って自分なんてものはとっくに破たんして、
それで素晴らしい人生を送ったことになるんですか。なるんでしょうね。だから僕は嫌なんです。
もうあと何を書きたいのかわからない。でも思い出した。
結局は考えて考えて考えておかしくなるくらい考えて、それでも何も世界は動きません。
考えても動かそうとしていないから当たり前です。でも自分が動いたところで世界とか人間なんてものは
別に動かされないんじゃないのかって思います。それは僕だったらあまり動かされないだろうなと思うからです。
だったら苦しいことは一生終わらない。冒頭のほうで述べたちっぽけな僕のちっぽけな悩みがありますが、
それについてよく考えれば、好き勝手やった先でそれぞれ受け入れられてもらえているからこその悩み
なのではないかと、とんだ幸せな悩みなのではないかと、思いました。
でもそれは結局僕にしかわからない悩みです。他のどの人にもわからない。
なぜなら他の人は僕にまつわる人間関係など知ったことではなく、
そこにあるのはその特定の人と僕とだけの世界だからです。僕に広がる小さな世界を見ようとはしていない。
なんて自分勝手なんだ。人は。なんて自分勝手なんだ。
下心なしに人のために、なんて動くことができるのか。僕にはできない。だからみんなできないのではないか。
ただ、こんな状況にあると、ふとした瞬間のふとした事でも心が落ち着くわけで、
たとえばふとしたときに電車で、人と、僕の世界の中にはいない人とぶつかるわけですが
そんなときに少し謝られただけでも僕は心が落ち着きます。そして、僕も謝ります。
最近はわざとぶつかるようなラインを歩いていることもあります。
僕がよけるのが当り前な状況でも僕はよけません。ぶつかった先に心の安らぎがあるからです。
僕はなんて自分勝手なんだ。
僕がひたすらに自分勝手なだけなのでしょうか。全部僕が悪いんでしょうか。きっと全部僕が悪い。
だからこそ、自分で自分の流れを止めることが何もかもすべてにおいて
プラスの影響をもたらすような気がしてしまうのです。僕なんかいなくたって世界は回るでしょう。
世界にとっても、僕にとっても、プラスなんて、よく考えたら最高じゃないか。
でも親は、親だけは悲しんでくれそうな気がするのです。
心から悲しんでくれそうな気がするのです。だから辛い。なにもしてあげられなかった。
僕は僕なりに好き勝手生きて好き勝手悩んで好き勝手死ぬのですか。
辛い。結局なにもできなかった。僕は無力だ。いや、なにもしなかったのか。
そう考えたら僕は何かを成し遂げなければならない気がしています。
人のためになんてなにもできないと思っていますが、それまではがんばってみたらいいのでしょうか。
明日にはどうでもよくなっているような悩みですから。

ところで、何かしたいと思っているのに何もしていない、ただ考えるだけ考えて何もしていない僕を
考えるだけ考えて勝手に悩みきっている僕を自分勝手で中途半端な野郎だと思いますか。
あーもうどうしたらいいのかわからない。だめだ。どうしたらいいのかわからない。
何が正しいんだ。何が間違っているんだ。幸せってなんだ。不幸せってなんだ。
誰かにとって正しければ誰かにとっての間違いであり誰かの幸せは誰かの不幸せであることは当然じゃないか。
僕が、僕だけがその間違いや不幸を担うことができればいいのだろうが、生憎僕は幸せになりたいから無理だ。
自分勝手でしょうが、自分勝手に生きて何が悪いんだ。自分の人生だぞ。誰のものでもない。
わからない感情がわからない。自分がわからない。感覚がわからない。人がわからない。気持ちがわからない。
でもただ一つ、今日は心の底から湧きあがる不快というものを確かに僕の中に感じました。
散々考えてきたけれど、何が不快で何が不快じゃないのかわかりません。
本当になにもわかりません。本当に本当になにもわかりません。でもたしかに感じました。
その感覚だけは残っているわけです。
もうなにもわかりません。本当に。何も考えなければいいのでしょうか。
明日にはどうでもよくなっているようなことです。何も考えなければいいのですか。
でもこれから先も、確実に不快を覚えた相手と付き合っていかなければならないとわかっているのに
何も考えないなんてできるのですか。本当に助けてほしい。

でも、少なくとも僕は嫌いなものがあります。嫌いな、不快な人がいます。好きな人や好きなものが何か
わからないけれど、はっきりと嫌いなものはあります。僕はそうはなりたくない。
だから僕は、生きていくのならそうならないように、したいと思います。
もしそれができないのなら、あとは書かなくても分かると思います。あーつかれた。もう全部知らない!死ね!