色のように、音楽のように | プリズム堂

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日常に、ちょいスピを

マリア・カラスは、

自身のことをまるで二人の全く違う人間がいて、

常に主導権を争っているようであると。

一人はマリアで、何事も平凡で普通であることを望み、

もう一人はカラス。
彼女はその正反対に魔術師の如く己の力で人々を動かし、崇拝させる。

目立たず、
平凡でただ単調で普通の刺激のない生き方を望みながら、

誰よりも歌とその美貌で一番でなくてはならない、
人を魅了する芸術家でありスターでなくてはならない。

マリア・カラスは多くを望み、

そして卓越した能力も持ち得ただけに過ぎない。

本来なら、
平凡であることは我々大多数の人間にとっては至って難しくはないが、

彼女にはスター性とそれだけの飛び抜けた才能が同居していたから、

どちらかに振れて、

戦ったのだ。

正解はどちらでもあり、

その逆にどちらでもない。

すべてを統合したものが自分と気づけば、

苦しくなかったかもしれない。

勿論そこに行き着くまでの苦難は決して不必要でも無駄でもなく、

それを知る者と知らぬ者とは絶対的に違うとおもえる。

勿論無理して苦難や苦労を求めよと言うことではない。

最初から苦労を避けたい、
大変なのは嫌なのと当たりもしないその人間には一生得られぬものもあると思う。

話は逸れたが、
人は色のように、

音楽のように、

ただ一つの色でもなければ、

どれが正しい色で、

どれが悪い色ということはなく、

ハーモニーがあり、

不協和音があり、

解決があって、

不協和音があるからこそのハーモニーの素晴らしさや意義、

そして不協和音とハーモニーの共存から生まれる解決と言うところの新しい調べがある。

人もそれでいい。

逃げず、怯まず、
しかし向上する為の努力は惜しまず、

どんな自分も認め、愛し、抱き締めてやれれば、

それでいいのだ。