私は何者でもなく、また何者にもなれるこの籠ったような発熱がいつの頃からか日常の一部で、 理由はそれぞれ。 これでもマシな方なので、時間が許すときには寝床で目を閉じて横たわっておく。 動ける判断をしたら、動く。 最低限の準備をして。 群衆の中の孤独と喧騒の中にある静謐。 それはなんとも悪くないものだ。 今日出てきたことは、 半分死にながら生きることと、 死んで、誰の記憶からも失われること、 そして、 誰にも知られない自分という者がその時何者になるのか。 ピースがカチカチと音を立ててはまるように、 メッセージはこういうときに限ってパラパラと降ってくる。