昨日、猛母の背に霊氣をしながらぼんやりと、

目の前についているテレビを観てました。

そもそもきちんとこの番組観よう!なんて観ることがなかなかないせいか、

途中から観たドラマや映画のあらすじを推察しながら観る癖がついてます、せれミラクです(笑)

なかなか性に奔放でかっ飛んだ女ばかりが出て来て面白いと言うのか、←実はせれのお知り合いの土佐女たちの列伝が凄すぎてイメージとしては理解してたのですが、何?これ土地柄ですか?(笑)

しかし主人公のバツイチ女性はその中では清楚と言うのか、

傍観者のような立ち位置で話が進んでいきます。
そしてある瞬間から、

彼女の心の中に居る相手と、

彼女の元夫とは違う人物で、

更に彼はもうこの世に居ないのだと番組後半で悟らされ、

あの気合いの入ったかっ飛んだ土佐の女たちが、実は主人公である彼女を見守っているというのか、

それぞれにしあわせになりたいと思いつつ、

ろくでもない男とのことに悩まされ、泣いたり、笑ったり、

それでも支え合い、

しあわせにならんといかんよ?と。

主人公の母は次から次へと新しい若い男を捕まえます。
幼い頃の主人公は大人しく、無口な少女でしたが、傷ついていました。

幼い彼女なりの母へのメッセージ、

私が居るからいいでしょ?

と。
女は弱い生き物か?

仕事もやり手な彼女はそれに嘘でも肯定を示せません。
言葉を返さない後ろ姿は、

母にならなければと思ったのか、

男無しにこの人生を乗り切れるかという不安か。

女は弱し、されど母は強し。

昔からある言葉ですが、

彼女は女であり、子をもうけて事実上母なのだけど、彼女は母に成り切るには若く、そしてより女だったのかもしれない。

いろいろと切なくて、興味深い原作脚本でしたが、

私がしみじみと思ったことは羨ましいとでもいうのか。

主人公は自身の初恋相手だった彼の死を受け入れられていなく、

番組後半まで彼との交際が続いているのです。
それが後半で歪みをみせます。
温泉旅館で待ち合わせ、ひと時過ごしたのに彼が消える。

彼女の中には今の現実と、

彼が生きつづけていると言う願望が同居してました。

番組終了間際、

「私狂ってる?」

と友人に聞くシーンがあり、

きっともう、ずーっとこんな感じで正気と静かな狂気の狭間な彼女に友人は元気づけるような軽口と優しい笑顔で笑いかけます。

ああ、でも、
これが狂気だとしても、

亡くなった大事な人たちにあたかも生きてるが如く、
こんなふうに会えるなら、

それもしあわせだよなあ……