私は名刺、ステッカー、チラシ、冊子、懸垂幕など印刷物と販促物を韓国で製造して日本に販売しています。
www.adprint.jp です。
前に、宅配段ボールを韓国で製造して日本に販売していました。
www.danboru.netです。
両方とも相当なビジネスです。 両方とも海外に輸出するのは本当に大変です。

宅配段ボールは、サイズがとても大きいです。さらに販売単価が低いです。
このように単価が低く、サイズが大きな段ボールを韓国で製造し、日本に売るというのは考えただけでも悩みの種です。
印刷物も同じです。印刷物は、既製品にはなりません。
すべてがオーダーメードです。クレームが来ても、その気になれば印刷物は100%クレームに引っかかります。
私は扱いの非常に難しい二つの製品を輸出しました。
理由は、私が技術や資本が何もなかったため、国内では何もすることができなかったからです。

私はいろいろな理由でお金を稼ぎませんでした。40歳過ぎてからやっと、仕方なくお金を稼ぐことになりました。当然、技術もありませんでした。資本もありませんでした。
特別なアイテムもありませんでした。
もうすこし正直に話すと、できることが何もありませんでした。
私のような人間に切実なのは、私だけのアイテムでした。

もしかしたら、私くらいの基準で商売をする多くの人は、私だけのアイテムでしている人かもしれません。
私だけが扱える、アイテム!
本当に夢のような話しです。

私だけが扱えるアイテムが重要なため、商標登録が特に重要視されるのです。

技術も資本もない私としては、そんなアイテムがありませんでした。
なので、競争力を備えるには扱いにくい商品を輸出するのが、それでも挑戦できることだったのかもしれません。
名もない私が、国内で宅配段ボールを持ってきて、国内販売するのはまったく勝負になりませんでした。そして、私自身もやりたくありませんでした。
同じように、国内工場に印刷物を発注して販売するというのも、ビジネスとしてはまったく成立しません。競争力がありません。
輸出はそれでもまだいいほうです。

しかし輸出といっても、服や帽子のような既製品は誰でもできます。
誰でもできることは、利潤を均等化する法則(総資本に対する利潤の比率)に従い
すぐに特別利潤が消滅してしまいます。
もちろん、一つの国から別の国に輸出するのは、誰でもできることではありません。
国境を超えることは、いくら現代社会でも国内活動をするよりはずっと難しいです。
しかし輸出輸入も、ネット、通信、交通が発達してアイテムを見つけることも簡単になりました。

これからは輸出、輸入販売だとしても、その強みが消えつつあります。
しかし、人が扱いにくいアイテムはまだまだ競争力があります。

今日はまず、宅配段ボールの話しを簡単にしようと思います。
私が2004年~2007年まで、CEOをしていた宅配段ボール販売サイトwww.danboru.net
は、今も日本のネット宅配段ボール販売分野では最上圏にあります。
宅配段ボールを日本に輸出して、販売する業者は多くありませんでした。
なぜなら先ほど話した通り、販売単価は低く、サイズは本当に大きく、取り扱いが非常に大変なアイテムだからです。
これは韓国で生産して販売することは、更に難しいということです。
宅配段ボールは一種類だけではありません。サイズもいろいろで、色もいろいろです。
そしてネット販売をする時は、販売数量も区別しなければなりません。
例えば、一番売れる1番の箱は、200×140×60サイズのE型溝(1.5mm)、180個一まとめを1つの商品として扱います。
1番の箱だけ買いたいとしたとき、180個の束を解き、50個だけを別途包装しなければならないので大変です。もちろん、そのように売るところもあります。
www.danboru.net では、そのようにはできませんでした。
www.danboru.net では販売単位を区別して、4~500種があり、それぞれ在庫が必要であり、倉庫も相当の広さが必要です。

この商品を、輸出して販売するのは非常に難しいです。
その当時、段ボールネットは韓国で生産し、1週間に2回毎、40フィートコンテナを使い輸出していました。
韓国でもすぐに大きな倉庫が必要になり、日本でも規模にあう倉庫が必要となりました。

当時、私は韓国で宅配段ボールを製造して、日本に販売するとした時、周囲は止めました。
止めた理由は、日本の顧客のニーズに合わせることは難しく、宅配段ボールは取り扱い自体が難しいとのことでした。すべて合っている話でした。
それでも私はそれを選択するしかありませんでした。
理由は、他の人が止めるほど難しいことだったからです。
サービス業運営経験も、資本も、技術もない私が選ぶことができる道だったからです。

宅配段ボール輸出販売業は、成功しました。最初は小さな倉庫からスタートし、販売数が増えるごとに倉庫を拡大し、商品も増やすことができました。

私はアイテムの勝利だったと言いたいです。

まず、韓国では生産していたため、とても安かったです。
品質は管理の問題であるため、管理さえちゃんとすれば十分にいい商品を作ることができました。

実際、安くて良ければ売ることができます。
安くて良いものも、売れなければどんなものでも売ることができません。
韓国で生産して日本で販売する方式は、やはり魅力があります。

この文章を書きながら、いつも心配になります。やはり、私だけの経験談だからです。
誰でも輸出をすることはできません。そして、国内で生産して国内に販売し、成功する人も多いです。なので、この文章は私だけの経験談でしかありません。
ただ、私は私の経験を分かち合いながら、別の方向から接点を結ぶ方法を練習することがもっと大事だと感じます。
そして、私がこの文章を書くことは、私と関連している人たちとの経験を分かち合う過程だとも思います。

この文章を読んでくれている日本の皆さんの立場からは、韓国で生産して日本に販売することを考えている過程を確認することであるかもしれないし、または日本で生産して中国に販売することを検討している過程でもあるかもしれないと思います。

この文章を書いている私は韓国にいます。日本では大阪に法人事務所があり、東京新宿には
大阪法人事務所の東京営業所があります。

2012. 7. 27. 金曜日.

誰かが私に何かを提案すると、私は「だめだ」とか「反対だ」という表現は使いません。
到底受容できない時は「分かりました。時間をとって検討してみましょう」と言います。できるだけ否定しないように努力しています。そしてできるだけ相手の意見を受容する方法を探します。

実際の生活の中でこのように適用します。
まずは相手の言葉を繰返します。
「あんな風に仕事やってるのを見ると腹が立つ」と私に話をしてきたら、私はだいたい「そうだ。あんな風に仕事を処理してたら本当に腹が立つね」と応えます。
「もう暑すぎて嫌になるよ」と言うと「本当にこんな天気ならイヤになるね」と応えます。

「この問題は、こう処理するのがいいと思います」と言えば、まずは「その問題はそう処理するのがいいかもしれないね」と応えます。
私の考えに反対する意見を言われた場合も同じです。
「社長、その考えは間違っていると思います」と言われると、私は大部分
「そうか?間違ってたか?」と応えます。

勿論こういう応対は簡単ではありません。
「この暑さを私にどうにかしろと?」「なに?私が間違ってるだと?」
と自然に反発が出てきます。しかし長期に渡って練習してきたため反発せず、意見を意見として受容できるようになりました。

以前は当然このようにはできませんでした。
妻が「暑いわね」と言うと「暑い?だから何だ?」と反発しました。
「ちょっと大変」と言うと当然と言わんばかりに「他の人だって皆大変だろ」と言いました。
今はできるだけリピートします。
「暑いわね」と言えば「ああ、本当に暑いな」と言います。
「チーム長のせいでイライラする」と言えば「チーム長か、また馬鹿なことを」と言います。
本当にたくさん練習しました。

何かを意図してそのように応対するより、まず習慣的にそう応対します。
私の意見と反対の意見でも時には積極的に受容します。
まず「私が間違っていたようだ」と言い、すぐに考えをまとめます。
「本当にそうかもしれないな?」と自分自身に「受け入れよう」と呪文をかけます。そして受容するように努力します。
この習慣は私に大きく役立っています。


まず相手の反発を和らげます
人の行動と態度は70%以上が感情によるものです。感情のうち一番発露しやすいのは怒りの感情です。思うようにいかない時に表れます。
子供にご飯を食べるように言ったのに食べないと腹が立ちます。
こういう時はご飯を食べるか食べないかで子供がその日ずっとお腹がすいたままかもしれないから、ということで腹が立つケースはとても少ないです。よく考えてみると、今食事時間だから食べなさいと言っているのに、私の 意見を否定されたため腹が立つというケースのほうがずっと多いものです。子供が1食抜いたからといって大きな問題になるわけではありません。
勿論、時間になったら食べればいいでしょうが、たまに食べなかったとしても大事件になるわけではありません。勿論ご飯を作ったのに箸も付けないまま片付けなければいけないので面倒ですが、食べないからといって事件になるわけではありません。
理性をもって考えれば食べないことで腹を立てる必要はありません。しかし大部分の親は怒り出して子供を叱ります。よくよく考えれば、自分の思い通りにいかなかったからです。


ゲームをやめなさいと言ったのにすぐにやめないので腹が立ちます。
ゲームをあと1時間やったからといって何か大問題が起こるわけではありません。
そして本質は子供がゲームに対する態度自体が問題なのに、まず一番腹がたつのは子供が自分の言う事を聞かないことです。

学校に行く時間だから起きなさいと言ったのになかなか起きず腹が立ちます。
勿論子供が遅刻するのはいい事ではありません。しかしそれは怒らなければいけないことでしょうか?心配すべき事なのに多くの親は怒り出します。
これもやはり自分の思い通りにいかなかったからです。

怒りの多くは相手を心配するあまり出るものではありません。
殆ど大部分は自分の思い通りにいかなかったから怒っているのです。
自分の思い通りにいかないということは、自分が否定されたということです。
自分の話が受け入れられなかったということです。自分の思ったこと、自分の話が受け入れられないと気分が悪く腹が立ちます。相手も同じです。
何かを言ったのに否定されたので腹が立ちます。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


些細なことですが人は感情を否定されると腹を立てます。
それなのに人はあまりにも簡単に相手の感情を否定します。
「この食堂、本当に汚いわ」この人の感情は不快感またはイライラです。
こう言う人に応対する方法は2つです。
勿論一番いいのは受容です。
「そうだね。ちょっと汚いかも」というのは感情を受容することです。
それともうひとつはその反対です。「食堂はだいたいこんなもんよ」これは否認です。感情を否定されると腹が立ちます。それなのに残念ながら多くの人は他の人の感情を受容できず否定します。一番愚かなのは、それに対して文句をつける人です。
「どこが汚いってんだ?」これは見事に愚かです。なぜなら相手が汚いと言ったのはその人が感じたことであって、本当に汚いかどうかを検証する必要はまったくないのです。それなのに自称優秀な頭脳を持つ人たちはよくこんなことをやります。

小さな例をもうひとつ上げてみましょう。
数日前にある集まりがあって、ある人が私に言いました。
「それはあなたがやりたくてやっているんじゃないですか」私は本当に腹が立ちました。
私は本当に、自分がやりたくてではなく、全体のためにやっているのだという確信がありました。そしてたとえ私が好きでやった事だとしても、他の人は皆それを喜んでくれました。いえ、他の人もみんな喜んでくれたと確信していました。

それなのにそれを自分がやりたいからやったのだろうと言われて、本当に気分が悪かったのです。これをある人に話しました。その人を非難するためではなく、自分の感情を話しました。「うん…その事でずっと気分が優れなかったんです」その時に言われた言葉は私をがっかりさせました。「そんな事は忘れろよ。別に気にすることないだろ…」理論的にはその通りです。特別なことではありません。私も知ってます。でも私は認めてもらえなかった感情が残っていたため、それを話したのです。それなのにそれに対する返答は私の感情を否認するものでした。
私はダブルで心が傷つきました。
最初は全体のためにやった行動であると認めてもらえずに傷つき、二度目はこの悪い感情を持っていること自体が間違いであると指摘され、さらに傷つきました。

人はあまりにも簡単に過ちを犯します。
私があの時自分の感情を話した時に、その人が言うべきことは
「それは本当に気分悪かっただろ。私が君だったら間違いなく気分を害したはずだ」です。そう言ってもらったからといって、現状は何も変わりません。しかし私の感情を誰かが受け止めてくれたということが重要なのであり、私は自分の感情を誰かが受け止めてくれたという事実だけで気持ちを治めることができるのです。

私は5年前に人の感情を処理する方法を学び、また感情処理がどれほど重要であるかを学びました。そしてその後、不断の努力で練習を重ね実生活に適用するために努力しました。
そんなことから5年前に感情について学んだことが自分の人生を根本から変えたことをとてもよく知っています。

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私の娘との経験は2年前の伝言で一度書いたことがあります。
それでも新入社員がとても多いのでもう一度話をしましょう。
娘は2年前に1年間交換留学生としてアメリカに行ってきました。
中3を終えてから行きました。しかし娘はアメリカでの生活がとても大変だと言いました。それで毎日電話がかかってきます。

テレフォンカードを使ったので、思ったほど国際電話料は高くありませんでした。
ひどい時は一日に1時間話したこともありました。主な内容は「さびしい」「友達がいない」「どうして自分はこんな環境を我慢できないのか」などです。
この時私は「感情には正しいとか間違っているという基準がないんだ。感情は受容することが大切だ。感情は理論とは違う」ということを学んだ状態でした。
それで娘が止めどもなくそんな話をする時、疲れを見せずに受け入れました。「さびしいだろう。パパも刑務所にいた時、独房にいた時にお前に会いたくて泣いたこともあったんだよ」
「パパも友達が多くない。人生で本当に心が通じ合う友達が3人いれば成功だそうだ」
「人付き合いは本当に難しいものだ。アメリカだったらもっとそうだろう」と最善を尽くして娘の気持ちを受容しました。

この作業はその後現在まで続いています。現在、私と娘の関係は悪くありません。
悪くないといえば酷く謙遜で、かなりいい方に属します。私は人の感情を学ぶ機会があったことを本当に感謝しています。
感情は殆ど無条件受容しなければいけないということを知らなかったら、私も娘に多分こう言ったでしょう。
「そんなことも知らないで行ったのか?」「そんなのも我慢できないのか?」
「1年に交換留学で行く学生が3千人もいるのに、みんな我慢して暮らしてるじゃないか。お前もちょっとは我慢しなさい」
「毎日こんな電話してないで友達と遊べ」こんな風に話をしていたら、娘は本当に耐えられなかったかもしれません。

今、娘の大きな悩みはクラスメートの中で自分と心が通じ合う親友がいないということです。
娘の対人関係が悪いかというと、全くそうではありません。私は娘にはとにかく、私もそうだという話をします。そして多くの人がそうだとも言います。
それが問題であるとはいいません。ある日、娘が自分の友達と電話で話をしているのを耳にしました。その友達もそのような悩みを娘に打ち明けたようでした。娘はこう話してあげていました。「私もそうだよ。友達関係って本当に難しいよね」。

前にも話したとおり人の行動は70%が感情に基づいています。その感情を否認されると本当に困ってしまいます。極端な例を上げれば「ママ。あの先生殺してしまいたい」。
母親はびっくりします。「だ、だめよそんな事言っちゃ…」違います。
子供は先生を殺そうとしているのではありません。感情をそう表現しただけなのです。正解は「まあ、そうなの?先生のこと本当にイヤなのね」と受け入れることです。
感情を否定されると対話が途切れます。自分を理解してくれない人と対話したい人はいないからです。

意見も同じです。意見自体は受容する必要があります。勿論意見は政策を含むため採択されることもありその反対もありますが、採択されなくても受容することはできます。受容すなわち採択ではありません。

ちょっと難しいでしょうか?これは共感と同感の違いです。
共感は相手の感情を受け入れることです。しかし受け入れたとしても、まったく同じ感情を持たなければいけないのではありません。同感は同じ感情を持つということです。
「殺してしまいたい感情」を理解し受け入れることと「私も同じように殺したい気持ちを持つこと」は全く異なります。理解して受け入れることは共感で、まったく同じ心を持つことは同感です。私たちは共感を重視するのであって同感を重視しているのではありません。

意見も同じです。誰かが意見を出した場合、まずその意見を尊重することが無条件大切です。「あ、いい意見ですね。一緒に考えてみましょう」というのが受容する態度です。しかし「あ、いい意見ですね。一緒に考えてみましょう」という返答は採択とは違います。

対話の基本は共感です。組織内での意見交換も共感と受容から出発したほうが良いです。
一番愚かな行動は相手の意見をすぐに否定することです。「それはちょっと違うのでは…」
これくらいは朝飯前です。
「あ、それ知ってる。やったことある」これは相手を無視する無礼な行動です。今相手は意見を出しました。もし知っていたとしてもちょっと黙っているべきです。愚かな人は対話する時に必ず自分が正しいか相手が正しいかを考えます。
愚かな人はどんぐりの背くらべが大好きです。

賢明な人は一緒に行くことをまず考えます。
一緒に行くことを大切に考えれば、相手の意見をまず傾聴し一緒に検討する態度をとることがとても重要です。格好つけて相手の意見に口ごたえすると、関係を構築するにおいて大きな問題となります。
この原理を知っていれば、対話する時に相手の意見を否定することがどれだけ愚かなことかが分かります。
そのため私は誰がなにか意見を出したり提示したとき、まずは無条件に受け入れます。

これをイ・ヒョンチョル本部長は「Yes, But」と表現しました。
その通りです。相手が話した時まずは「Yes」即ち受容です。
そして受容段階を経てから「But」に該当するいろいろな事項を話します。
経験から言うとまず受容した場合、殆ど大部分の相手はわがままを言いません。

Butも必要ないかもしれません
相手が間違った主張をした時、または自分と違う意見を主張した時、私は「考えてみましょう」と言います。
そして時の流れに任せます。時間は優秀な医師です。私はこの医師に心から感謝します。
時間は本当に痛かった記憶も癒してくれます。時間は複雑な問題を単純にしてくれます。そのため意見が衝突した場合は急いで解決しないで、時が経つのを待つだけでその問題が消滅するということが本当に多いのです。

今より若かった時は、何でも今すぐ解決しなければ気が済まず、検討したり分析したり、とにかく沢山やりました。そしてすぐ解決してくれない場合は何度も催促しました。しかし今は放置できるようになりました。そのままにしておき時間が経つのを待ちます。本当に時間は見事に問題を解決してくれます。

そのため私は、Butもあまり使いません。Butの代わりに時間をかけます。時間が経てばいろいろ論証できるようになります。かなり多くのケースで主張した人が自ら撤回したり補強してくれるのを見てきました。

それで私は急いで決定すべき事があっても忍耐して後送りします。ある意味では対処が遅いと感じるかもしれませんが、今までの経験から言って急いで得た結果よりも、後送りしてでもゆっくり得た結果のほうがずっと大きかったと思います。

ただ聞いているだけです
私が他の人の意見に反論しない習慣を持つようになったのには、多分二十歳ごろに読んだ、ミヒャエル・エンデが書いたモモ(Momo)という小説に大きく影響されてからだと思います。今は内容がうっすらとしか思い出せません。
でもとても強烈な影響を受けたのは、モモが他の人の話をよく聞いてあげるのですが、村の人たちは何か争いごとがあった時、モモの所に来て自分の主張が正しいという話をします。モモはただじっくり集中して聞いてあげるだけなのにその問題は解決されるという内容です。

私はいつからか、人の話をじっくり聞くよう努力するようになりました。
勿論鉄則があります。聞いた内容は決して他の人に話ません。

私が属しているある集団があります。
その集団の指導部と主要幹部の間にはかなりの軋轢と不信が生じました。その集団全体でも私はよく聞いてあげる位置にいます。そしてその話は自分だけに留めます。そのせいか両方から物凄い量の話を聴きます。勿論私は両集団を和解させるよう努力はしますが、両集団にしてあげる事はただ聴いてあげることだけです。

私が両集団に助言するか否かは誰も知りません。
できればしないでおこうと思います。いつもそうであるように、助言の多くは必要のないものだからです。
しかし私はこの過程で傾聴の力を再度体感しました。
私はただ聴いてあげるだけなのに、その集団のほとんど全ての情報を確保しました。
この情報を活用したなら集団全体を破壊できるほどです。勿論私はこの情報を公開しないでしょう。しかし私はただ聴くことだけでもその集団全体においてとても重要な位置に立っていることを体感しています。

物凄い重要な位置に立って何をするかはまた別の問題です。
しかし一旦は力を確保する過程で「傾聴」がどれほど重要であるかを再度確認したわけです。
付け加えるなら、やはり「他言しない」の重要性でしょう。私だってたまには話したくなる時があります。私はしっかり練習を積んだせいか話したいという気持ちになった瞬間に断ち切ることができます。そして話をしていい事なのかいけないことなのかを考えます。
多くの場合、私は話してもいい内容だと判断しても話しません。ぐっと我慢します。今までの経験から、話してもいいかどうかを検討するほどの内容なら、大部分話さないほうがいいことを知ったためです。
私は沈黙を偉大だと考えます。共感して他言しなければ内部に知恵が蓄積します。受容し反対しなければもっといい道を見つけることができます。


適用
対話に受容が大切だということは、顧客応対や同僚と討論する時にも大きく役立ちます。
顧客がクレームを提起するのは怒っているからです。この怒りを表現できるように手伝ってあげなければいけません。一番いい方法はその感情を受容することです。相手の言葉をそのまま繰返すことです。

「この製品は不良品ですよ」
「あ、製品の不良だったんですね。申し訳ございません」

「印刷物の色が間違っているのに発送代行で送ったので知らなかったんです。どうしてくれるんですか!」
「印刷物の色が間違っているのに発送代行で送ったので分からなかったんですね。どうしましょう?」

ちょっと可笑しいですが、お客様が言った言葉をそのまま繰り返すのが共感するにおいて一番簡単な方法です。
この方法が持つ長所はお客様が主張することを繰り返すことで、自分はあなたの話を傾聴していますということを確認させ、あなたの感情を理解しているということを伝えることができます。勿論そうすることで問題が解決されるわけではありませんが、怒っているお客様の気持ちを和らげるための最初の手段になるということです。
これを感情を学ぶ学校では「そうなんですか」療法といいます。誰が何を言ってもまずは、「そうなんですか」と共感する方法です。

「学校行きたくない」→「そうなんだ。学校行きたくないんだ」
「チーム長、酷い。どうして私にだけそう言うんですか」→「そうか。気分悪くしたか」

こういう風にです。こんな子供だましのような応対が意外と大きな効果を発揮することを知れば、反対に「違います。嫌です」のように他の人の意見を受容しない言葉がどれだけ危険かがよく分かります。

朝鮮時代の黃喜政丞の話が有名です。
黃喜政丞の家門の奴婢がケンカをしました。
ある奴婢が言いました。「こういう理由で喧嘩になりました」 
黃喜政丞が言いました。「お前の言う事は正しい」 他の奴婢が言いました。「違います。こういう理由で喧嘩になりました」 黃喜政丞がまた言いました。「お前の言う事は正しい」 
第三の奴婢が言いました。「こっちの話も正しくてあっちの話も正しいなら、どっちの話が正しいのですか?」黃喜政丞 が言いました。
「お前の言う事も正しい」その場にいた人たちは皆ハハハと笑い出しました。

この逸話が象徴しているのはまさしく、共感と受容の重要性です。
こだわりすぎず、事の是非を問わず、相手の感情と意見を共感し受容することがどれだけ大切であるかを教えてくれる、とてもいい話です。
共感と受容の反対は否定だけではありません。教えこむことや忠告も全て共感と受容の反対の意味を持ちます。

女性と男性を例に出すと沢山あります。
妻が夫にいろいろな話をする時、夫に願っているのはただ聴いてほしいということで、もう少し積極的に言うと受け入れてほしいということです。夫が変な解決策を出すのを望んではいません。
一番愚かなのは「だから何をどうしろって言うんだ?」と反発する夫です。その日夫の夕食にはおかずが出てこないかもしれません。

事の是非にこだわりすぎるな。これも知恵のある人からの助言です。
是非に対するこだわりが全ての悪の根源かもしれません。忠告しようとせず、教えようとせず、反対せずただ受容し共感することから出発せよというのが、感情を教える学校で一番はじめに教える内容です。

皆さんはよく対話するほうですか?
その秘訣は何ですか?
配偶者、子供との対話がうまくいっていますか?
その秘訣は何ですか?
同僚、上司、部下と対話をよくしますか?
その秘訣は何ですか?


www.adprint.jpでは、今日日本で注文受けた名刺を、今日韓国で製作して、明日日本顧客に到着させることができます。
そのプロセスはこのようです。

<今日>
12:00時まで注文
注文と同時に韓国で受付データ チェック後
16:00時まで印刷
航空発送
22:00時日本到着
日本国内宅配社で配送開始

<次の日>
午前東京とその日中に大阪顧客に到着(その他地域は一日追加)

これがインターネットと航空を利用した時代の流通です。
このようにした時、名刺1百枚の価格は、

86mm x 52mmの場合、片面1色440円~両面4色800円
91mm x 55mmの場合、片面1色700円~両面4色1,20円です。

送料は航空運送料と国內送料含む、500円です。

私たちがこのようなシステムを作ったが、作った私たちも驚くほどはやくて正確です。
私たちは韓国と日本合作でこのようなシステムを作りました。
ところで知ってみれば大したことはありません。

もうこのようなシステムが、ネット時代には多くの分野で可能になります。
印刷は格別に難しいです。
それでもこのようなシステムを作ることができます。

日本から中国に、中国から韓国に、韓国から日本に、商品は国境を越えて移動します。
このような時代に備えなければならないことが'現代'のかもしれません。

www.adprint.jpの顧客はどのようにこんな品質の物をこのように安く、それも注文して2~3日の内に到着するのか事情を知りません。
ところがインターネットと航空が発展した今の時代は、このような物流を作ることができます。

応用は各自の役割です。
しかし、このようなシステムを考えれば、インターネット電子商取引の無限な可能性を確認できます。