この連載企画も今回を入れてあと2回です。
あと2回と言う予定ではありますが、もしかしたら・・・?
13回目もあるかもしれません。
それくらいちょっと書き足りない事で溢れています。
まあ、ファンシー系ブログとしては全くの主旨違いで、
別ブログにするべき事かもしれませんが。
この場を借りてでも伝えるべき事があると思って書き続けて
もうすぐ1年になろうとしています。
書き始めてから、先々12カ月分の流れを事前に編成していた
とはいっても、その時々の心情も思うと微妙な変化を遂げたのも
また事実です。
色んな気持ちや、後悔や、感謝・・・。
そんな色んな気持ちが混ざり合った中で、文面が混乱しているのも
分かる人には分かって欲しいかもしれませんが。
こんな堅苦しい話を1年通じて読んで頂けた人がもしいるならば。
それはそれで改めて感謝申し上げます。
更には、来月の1周忌法要の準備に今追われまくってますw。
あらかたできあがっているのですが、後は詰めの段階です。
ちゃんと勤めを果たしたいと思います。
【暴れ出したガン】
肺に水が溜まってしまう、胸水に見舞われ。
ガン細胞が増大し、左の肺は一旦その機能を失いかけていた・・・。
その胸水を抜き、癒着が成功。
その後の経過観察の後、一旦退院する事ができた。
しかし、その頃から左手が不自由なり始めていました。
その時点でもっと調べれば良かったのですが、しびれとしか思って
いなかった母ちゃんですが。
そのしびれも、まだ軽いものだったのかもしれません。
ですが、前にも書いたように。
母ちゃんは、恐ろしくなるほど我慢強い人・・・。
肺が半分機能していないでも我慢をし・・・。
手足が不自由になりつつあっても我慢をし・・・。
足を骨折していても我慢をし・・・。
アキレス腱を切っても1晩我慢していた位です・・・。
痛いなら痛い!辛いなら辛い!おかしいならおかしい!と、
ちゃんと言ってくれればよかったものなのに・・・。
少ししびれのあるまま、退院する事にはなったものの・・・。
体力は入院前よりも格段に落ちてしまい。
痩せ落ちてしまった上に、左半身がやや不自由になってきていた。
食事の用意は私が行い、身の周りは親父がする事になって。
仕事をしながら早めに帰宅して、世話をしておりました・・・。
トイレには手すりを設置し、地べたに座る訳にはいかないので、
座椅子と円座座布団を用意して。身動きが楽になる様に色々と
作り変えました。
しかし、やはりその左半身が遂に動かなくなり、意識を失って
倒れてしまいました・・・。
自分が今何で倒れたのか?
それすら分からなくなり、頭を茶箪笥にぶつけてしまいました。
急いで病院へ電話し、先生に直通で電話を繋いでもらった・・・。
”脳梗塞の恐れもあるから、今から病院へ来られますか?”と・・・。
”CT検査の準備して待っています。”
実は、またすぐに入院の恐れもあると思って。
退院した時のボストンバックをそのままにして置いてあったにも
係わらず。
母ちゃんは、二度と行きたくないと思っていたようで・・・。
留守中にいつの間にか片付けられていました・・・。
母ちゃんは、ずっと家に居たかったんだなぁ~と・・・。
急いで荷物を作って、車に母ちゃんを乗っけて病院へ向かいました。
これが、母ちゃんが自宅で過ごした最期になろうとは・・・。
冷静に慎重に母ちゃんを病院へ連れてゆき、そのまま入院手続きを
行いながら。
CT検査を待っていました。
すると、運転再開していたCT検査室の前で待っていました・・・。
もう、胸騒ぎしかありませんでした・・・。
そして最悪の事態でした・・・。
脳へガンが転移していました・・・。
しかも2か所も。
先生からは、このままでは余命半年です。
と、遂に余命まで告げられてしまいました・・・。
とうとう、とうとう・・・余命という言葉を聞く事になろうとは思いも
しませんでした・・・。
ですが、そのまま何もせず手をこまねいている場合ではありません。
すぐさま脳外科の先生と合流し、この後の治療に関して打ち合わせを
する事になりました。
同じ病院には無いのですが、別の病院での特殊治療、”サイバーナイフ”
による放射線治療を行う事となりました。
残念ながらまだまだ開発段階のこの治療も、まだ症例が少ないものの。
脳に転移したガン細胞を攻撃するには有効と判断され行う事になりました。
ですので、まだまだ開発途上のこの治療もあまり公にはできず。
サイバーナイフに関する質問には答えられない訳なので。
予めお詫びいたします。
2か所にできた脳のガンの一つは、運動野の部分にできたようで。
その為に起きたマヒだった事が判明。
他の部分は言語野の部分。そっちはまだ小さいので良かったのですが、
やはり運動野の部分が肝心要の部分。
今回そのサイバーナイフ治療では、同時に2か所を攻撃する事ができ。
3日分割で放射線を当てる事で、一応の解決をみました・・・。
しかし、保険未承認という話だったのですが、初めに値段を聞いていた
ので。それなりに覚悟をしていましたが。
今回は保険も使えたので何とかなりました・・・。
それからは、リハビリをしながら不自由だった左半身は、昨日より今日
今日より明日と。徐々にその機能を取り戻し。
力強さも出てきました。
効果の程は個人差があるでしょうが、今回の放射線治療は革命的な
快復を見せてくれた事は実感する事ができました。
しかし、そんな快復もこの後の出来事には、ほんの些細な喜びでしか
ありませんでした・・・。
つづく・・・。