さて、今回は第3段となります。
連載企画:かあちゃんが全部教えてくれた事
ですが。
今回も文章のみの長い長い記事ですが、お付き合い頂ければと
存じます。
【口コミを侮るなかれ!】
世の中には、様々な情報ツールがある。
昔で言えば、新聞だのTVだのあるいは、広告だの・・・。
そして、今となってはネットの存在は非常に大きくなってきた訳で、
ワンクリックでその人の人生も人生観も、強いてはその人の価値観や、
人間関係まで変わってしまいかねない程
たかがクリック、されどクリックで。
いつ何時自分の運命を左右しかねない事態や、シーンが誰にでも
起きている事だろう・・・。
当然、携帯やタブレット、ipad等にもあるように。
携帯端末からもネットへの接続で、困った事や分からない事や、
知らない事を調べて。
なんとなぁ~くではあるが、知ったような気分になる事だろう。
だが、そんな時代であったにしても、断じて口コミというコミュニケー
ションを軽んじてはならない。
患者が決めた!いい病院
という本に、私は行き当たる事ができた。
本屋で立ち読みをしながら、思わず購入した訳ですが。
今どこに仕舞いこんでしまったのか?所在が不明だが・・・。
この本の善し悪しはここで言う事はない。
だが、こう言った本があるという事の意味を考えて欲しい!
つまりは、リアルに患者がこの病院は良い!と声をそろえているから
こそ筆者うんぬんでもなく。
経験者の声の集約であればこそ、他のどんな本よりも説得力のある
内容になるのだ!
というのも、近所にある某私立大学病院・・・。
近隣の診療所が、自分のところでは手に負えない病状の患者が
いれば。
ほぼ100%そこの私立大学病院への紹介状を書いて渡してくる。
そういった、地域密着の私立大学病院でもある。
だが、ここで一つ考えて欲しいのだ!
病院の医師間での連携がどんだけあろうが無かろうが。
それは、病院間の親密さだけであって、そこに医師としての技量や
知識、経験や、診療実績うんぬんではなく。
ただの個人的コネでしかない!という事を・・・。
つまりは、患者が自ら選んでどこへ行こうか?という選択肢は
そこには無いのだ。
確かにもう一つの見方としては、紹介状を他の病院へ。
自らの意思でそこへお願いしますとすれば、そのままエスカレーターで
行くような事は可能なのかもしれないが。
当時、誰もどこの病院が良いのか?というデーターが手元にはなかった
仮に手術や他、大きな治療等は。
今でこそ、セカンドオピニオンというものが一般化されているが。
私等が経験した時は、そういったシステムも、意思決定権も患者には
無かった時代だったのも。
ある意味不運であって、悲劇でもある。
母ちゃんが初めに通った、その某私立大学病院。
まずは、そこを選んでしまった事に、病気の第一段階での
失敗があった。
それは何か?
”乳癌に関する知識や、データーが殆どない”病院だったのだ!!
(これは後に分かった事だった)
2000年1月に母ちゃんは、胸に違和感を感じていた。
それが何かは分からず、1999年の暮れから年明けまで。
本人の強い意志、強すぎる我慢が、この先大きな影響を及ぼす訳だが・・・。
とうとう本人も我慢にならず、我々に胸の違和感を告げてきた。
あの母ちゃんが、辛いというのはホントに尋常ではないという事・・・。
その昔は、交通事故で意識不明になって、生死を彷徨った上に無事に
生還した訳だが。
その時は、左顔面を陥没骨折し。左足も骨折。
脳や他内臓には損傷が無かったものの、視力は一気に低下し。
日常生活に支障のでる、大きな後遺症を被った。
だが、母ちゃんのすご過ぎるのは、足が骨折しているのに。
痛みを1週間も堪えてしまったうえに、何食わぬ顔して歩いてしまった
事だった。
母ちゃんが家族に一杯心配させまいと、気を使ったりしたのでしょうが。
これもおいおい影をもたらす訳だが、ちょっと覚えておいて欲しい。
それ以外にも、年末の親戚回りのご挨拶の帰り路。
暗い夜道のマンホールの蓋で滑ってしまい、左足のアキレス腱を
切ってしまった。
その時も、真っ青に腫れあがった左足の痛みを堪え、一晩過ごして
しまった。明けた翌日、パンパンに左足は腫れあがり。
それでも、痛くないと言い張り。病院へ行くのを拒んだ程だった・・・。
話は大きく脱線してしまったが、この最初に行った私立大学病院での
治療や治療方針。
あるいは、患者の声や肝心な医療データーについて。
一切部外には情報や口コミ等が漏れ伝わる事がなかったのだ・・・。
要は、その病院の実力や、乳癌に関する知識を患者も持ち合わせる
訳でもなければ。
医師側も、きちんとした病気の全体像も掴めていない医師だった
訳であり。その病院のある地域に住んでいる事が、まず最初の不運
だったとも言い切れる。
母ちゃんの病状は、ステージ2のやや末期症状。という見立て・・・。
ガン細胞が左胸を広範囲に広がり、CTには花火の様な火種を撒き
散らすあのCT映像は、今も目に焼き付いている・・・。
結局その私立大学病院では、左胸を全摘出し。
その後の抗がん剤治療を通院で治療する事になった訳だが。
残念ながら、私も親父も、乳癌という病気に対して。
男性が女性の病気への違和感や羞恥心からか?協力する事を
しなかった・・・。
今になって、本当に本当に申し訳ない!母ちゃんごめんね・・・。
そして、更に不運な事にも。
丁度この時期が境目に、温存療法か?全摘出か?その選択肢が
あるかないか?の瀬戸際だった訳で。
医者によっては温存する方向で考えた場合も考えられる。
そんな時期であった事もここで加筆しておく。
そう、前回書いた内容で言えば。
母ちゃんという家に、小さな火種のガン細胞が火を点けた!
その火元を外科手術で一気に消火!
残った火種を消すべく、抗がん剤という消火剤を毎週掛けるという
段階になった。
だが、この手段そのものに、この病院は大きな間違いを犯している。
案の定。
左胸を全摘出したその半年後。
肺へ1つ。新たなる転移を確認した。
それに伴い、抗がん剤を撃ち始めた訳だが。
その副作用で、帰宅後は嘔吐が止まらず。頭髪も殆ど抜けてしまい。
抗がん剤の副作用の恐ろしさをまざまざと知る事になる。
だが、そんな母ちゃんの苦しみをあざ笑うかのように、次の問題が
発生した。
最初に現れた1つのがん細胞は消えたものの。
左肺の別の場所に、新たに2つがん細胞が発生してしまった・・・。
あんなに苦しんだのに、あんなに辛い思いしているのに。
あんなに高額の医療費を使ったのにも関わらず。
消えずに増えるってどういう事なんだ!?
怒りにも似た、病院への不信感が高まった!
そして何より、母ちゃんが医者から聞いてくる話が辻褄が合わない
ものだから余計に困った訳で・・・。
病院へ同行する前に、本屋で医学書を立ち読みし。
徹底的に調べ始めた・・・。そう、いわゆるネットや、同じ病気で苦しん
でいる他の患者さんの話等・・・。
それら素人なりですが、生半可な入れ知恵と脆弱な理論武装で。
担当医と前面対峙した!
すると、非常に残念な事に・・・。
私が質問する事に、彼は満足な回答が返って来なかった!
そればかりか、その私立大学病院の乳腺外科は来月で閉鎖される
という事。
その為に、他の病院への転院を勧められてしまったのだ。
しかも、この担当医は、満足にこっちの質問も疑問にも答えれれない
ばかりか?困った挙句に医学書を裏から持ち出して来て。
”いや、こういった症状だから、こういう処置をして。あぁ~しました。
こうしました”だから、おかしな治療はしていませんよ。
他の病院へ行っても同じですよ!という、自分の医療行為は絶対だ!
と、言って聞かないのだ。
もう、こんな病院には任せられない!
そう感じた私は更に本屋や、ネットでシャカリキに探して見た。
その時であったのが、患者が決めた!いい病院という本だった・・・。
内容にはあえて触れませんが。
それこそ、頭の先から足の先まで。様々な病気を治すべく、各診療科
の状況を病院名等も明記され。
診療実績や、特に乳癌手術後の5年生存率等・・・。
多岐に渡ってデータ化され、それが正しいかどうかは、この際どうで
あれ。どこの病院がどんな治療をして、どう言った状況なのか?
そこにはふわっとだけでも、掲載されていて。
セカンドオピニオンという考え方も、ようやくこの頃から聞こえ始めた
矢先だった。
そこで、私が選択したのが。
最後まで通い続ける、県立がんセンターだった・・・。
そこへの転院を、担当医へ告げ。
CTの画像や治療データーに、カルテも加え、あろう事か?
摘出した際に残していた、胸のがん細胞のプレパラートを渡してきた!
つまりはどういう事か?
この私立大学病院では、今まで一度も細胞検査をしていなかったのだ!
しかも、何故この細胞検査をしなかったのか?
その理屈が憤慨もので、”大学病院の学長の意志、方針にそぐわない”
という。
もう、患者の事を考えもしない。医者の風上にも置けない最悪な病院だった
のが、ここへきて分かったのだ!
丁度同じ頃、フジテレビでは、白い巨塔がドラマで放映されていた。
まさにそれなのだよ!
自らの出世と、派閥を拡大し。学長選挙に勝つ為の政治的工作や、
部下の医師へ自分の方針を徹底させた事で。
治療の方針にそぐわない医師を放り出すという、身勝手極まりない
病院だった事が今になって分かったのだ!
転院をする当日、事件が起きていた。
CTの画像に細胞標本を受取りに病院へ行くと。
院内薬局では、薬を出さない病院へ対して罵声に怒号が響いていた。
あろう事か?その罵声を飛ばしている男性が窓口を押し破って中へ
不法侵入し警備員に取り押さえられるシーンだった。
彼の手段は断じてよろしいものではないが、感情面では理解できない
事ではない。
そして、そんな騒乱を横目に、県立がんセンターへ向かった。
状況を説明し、CT画像やこれまでの治療内容を見て。
当時の担当医は一刀両断した!
”これじゃ治らない!”
まず、抗がん剤の量が少ない事。
そしてその抗がん剤が、この再発に対して有効なのか無効なのか?
細胞検診を一切行っていなかったという点。
そう、あの担当医は、教科書に乗っている事しかしてこなかった訳で
あって。個々に合った治療をしてこなかった事になる。
県立がんセンターの当時の担当医は、はっきり言い切った!
”ちょっとシツコイ感じもあるけど、これくらいなら治せます!私に任せ
なさい!”自信満々に我々に言い切った。
転院最初にまずは何をしたって・・・。いきなり入院ですよ!
1泊2日だけ。
その間に、細胞診断もしながら。母ちゃんの体質やそのガンに
最も有効な抗がん剤の選別に時間を使うものだった・・・。
実際に心臓への負担や、副作用の有無等・・・。
通院しながらの化学療法、投薬療法を有効にするための
下準備を行ったのであった・・・。
ここへ来て、ようやくがん治療らしいがん治療が始まった様な
感じにさえする。
そして、通院をしていて。少しずつ病院のシステムも分かりだした
ある日。
今まで見た事も無い病院の待合室の現状を見た!
それは、患者同士の情報交換の場であった事だった!
”○○っていう抗がん剤は、幾分副作用が無くて良いわよ!”
”○○っていう抗がん剤は、新薬らしく高いのよねぇ~”
”○○っていう抗がん剤を開発中らしいのよね、早く使えない
かしらね?”
これ患者同士の会話なんだよ!
同じ科に通院する患者同士は、さしずめ戦友なのだ。ここでは!
それで本当に様々な情報を入手する事ができた。
新しい新任の医者の技量や、外来での点滴処置に関する問題点だの。
誰医師は信用できるけど、誰だれ医師はちょっと心配よね?とか・・・。
前の私立大学病院の待合室では、怒号が飛び交うのを思えば、
ここでのコミュニティーレベルは、他の病院では絶対にあり得ない
くらいの存在なのかもしれない。
そこでの口コミ情報もどんだけ助けられた事か分からないし。
今後の治療に向けて、自分達だけではなく。仲間がいるんだ!
という事が何よりも心強いものとなった・・・。
しかし、その戦友も一人増え二人増え・・・そして、一人減り二人
減りと・・・。
その一喜一憂は、9年に渡って続く事になる・・・。
超長文ですが、要するにだ!
同じ病気で戦っている人の話程、役に立つ話は他に無いのだ!
そして、同じ路で苦しんでいる人同士の情報ほど自分にとって
役に立つ事はないのであって。
病院の選び方も、これでもか?これでもか?とばかり情報を探さ
なければならないし。どこまで満足できる状況なのか?
徹底的に突き詰める必要があるし、おいおい後悔をして欲しくない
ので。
後悔を残さないまで口コミ情報が非常に有効なんだ!という事を
今月は知って欲しい。
ちなみにだ。
同じ3割負担の医療費であるにも拘らず。同じCT検査である
にも拘わらず。窓口での支払い金額。
私立大学病院:¥21000円
県立がんセンター:¥4690円
どうすりゃこんな差が生まれるんだ!?教えてくれよ!
この時から、会計窓口で何回絶叫する事になった事か・・・分かりません。
来月へつづく・・・。
2月:病院選択で別れた運命について・・・。(予定)