東京は汐留に立つ高層ビルの27階。
30人は入ろうかという海沿いの会議室に残されているのは自分と新人2人だけだ。
あのうららかな水面も、
一枚下は真黒な濁流がとぐろを巻いているところもあるだろう。
表象に現れる僅かな波のしたの無数のうねりに、静かに身を委ねたい。
「そう思ったことはないか?新人くん。」なんてコトを口に出せば、この監査法人から一瞬でほおりだされることだろう。
クライアント企業からの高額な報酬とその独立性は、
高潔な職業倫理の遵守と守秘義務を根拠とするからだ。
人が生きればカネが動く、
カネが動けば影法師のように会計があとを追いかけて行く。
公認会計士として生活すれば、常に人の裏の顔を見るコトになる。
黙ったまま墓場まで持っていく話で記憶のメモリー容量は一杯だ。
「おい・・・若林さん、もう10分くらい窓の外見てるけど」
「前のクライアントがあんなことになって、一瞬で巨大監査チームが解散したんだ。思うところもたくさんあるだろ。」
「おまえそんなこと聞かれたら殺されるぞ。」
この不況では出身母体の監査チームのなくなった公認会計士を受け入れるチームは少ない。いわば空母の撃沈された艦載機のようなものだ。
孤島に不時着出来るか、或いは燃料が切れる前に特攻して美しく散るか。
いずれにしても大手監査法人での立身出世が望みだった自分に戻る場所などない。
ゴールデンウィークで暑くなってきたこの時期は、
ちょうど三月決算の会社の
毎年のこととはいえ、世間の人がウキウキとどこかへ出かける長期休暇を横目に見ながら出勤するのは最悪の気分だ。
ましてや、せっかくのランチタイムまで、仕事の終わらない新人の教育を兼ねてお留守番、しかも陰口をたたかれる様では、海くらい眺めたくなってくる。
今年も、例年と変わらず年初に立てたのスケジュール通りに、
「若林さ~ん!携帯なってます。」窓際の自分に向かって新人が貸与携帯をほおりなげる。
速く緩い放物線を着地点で受け取ると、バイブの振動に急かされるよ
携帯くらいは手渡しできるように教育をしないとな…
「はい監査三部Aチーム若林です。」(※2)
「公認会計士の若林真司先生ですか?」
・・・先生なんてよぶ電話はほんとにロクなコトがない・・・
「どちら様ですか?」
「先生をご指名で是非仕事の内容だけでも聞いて欲しいと言
「ヘッドハンティングの話ですか?転職する気がありませんので、失礼します。」といい終わるのと同時に電話をきる。
窓の外を見ると相変わらず海は静かに鈍く光っていて、
「またヘッドハンターですか?」
「ああ。よく解らないけど、今週になってからは毎日違う人からかかって来るよ。」
「うらやましいなぁ自分も早くそうなりたいです。」
「その仕事終わらせてから言えよ。」
「はい…!」
その時、なんだか違和感がした。
もうこの窓からの景色を見るのが最後になるという確信。
「どこまで進んだか見せてみな」
頭の底がしびれるような感覚を振り払いながら、笑いながら後輩に呟いてみた。
(※1)監査計画
監査を効果的かつ効率的に実施するために策定される計画。
(※2)監査チーム
監査は一人でできないためチームを組んで行われることが多い。小さなチームは数人の場合もあるが、
大規模なクライアントの場合100人を超えることもある。

