ご無沙汰しております。
28才になったメルヘン子です。
こんにちは。
なんと昨年の誕生日は記事を書いていませんでした。
とてもズボラですみません。

ケーキ1

今年のケーキです。
サーティーワンのアイスケーキでした。
スヌーピーとウッドストックが乗っています。

弟ケーキ1弟ケーキ2

次男(弟)もサプライズでケーキを買ってきてくれました。
実は次男(弟)はマメで昨年の誕生日にもマカロンを買ってきてくれました。

プレゼント
母親からのプレゼントは
薔薇日経WOMAN雑誌2冊
薔薇『人生がときめく片づけの魔法』1・2
薔薇リサとガスパールのメラミンコップ
薔薇バッグ
薔薇母親作シュシュ
日経WOMANの雑誌は特集号で『毎日がうまくいく!片付け&収納術』と『女子力アップ&マナー講座』でした。
本が多いのは、私の本好きと物があまり増えないようにという工夫だと思います。

今年はmixiのメッセージ、ケータイへのおめでとうメールに加え、facebookで沢山のお祝いを頂きました。
とても新鮮で、嬉しくなりました。
ありがとうございました。

さて、8月8日はいつも何かを考えています。
もちろん大半は自分についてです。
今までの生活、これからの生活、成長したいことなどを考えます。
今年は平日だったので仕事もありました。
帰り間際に少し嬉しくビックリする出来事があり、寝る前に考え込んでつらい気持ちになることがあり…なんだか涙腺が緩い日でした。
28才になって早速気持ちが不安定になるなんて、情けないです。
9日、少し答えが見付かりました。
大切なことは、自分がどうなりたいか、自分がどうしたいかなのだと気付きました。

ワタクシは、大切な人を守りたい。
ワタクシは、大切な人の役に立ちたい。
ワタクシは、大切な人を幸せにしたい。

大切な人が誰なのかは、今のワタクシにとってあまり重要ではありません。
今のワタクシはまだそれを考えるレベルに達していません。
いつか大切な人がわかってきた時、その人達を守れるように、その人達の役に立てるように、その人達を幸せにできるように、今は自分を成長させる時なのだと思います。
もちろん現時点でも大切な方々だと考えている人は大勢います。
もっとできることを増やす必要がありますし、もっと心を強くする必要があります。
頑張ろうという気持ちが湧いてくると同時に、少し楽になったようにも感じます。
自分を丁寧に生きることで、周囲の人を大切に考える事ができるのではないかと思います。
28才のワタクシもどうぞよろしくお願い申し上げます。

宗教的な話ではなく、ワタクシの恋人は神様のような存在なのだと思う。
現実を正確に捉えれば、ワタクシは今恋人がいない状態。
ただ神様のような存在を頭に思い描き、それを励みに生活している。
「頑張っていればいい方向に向かう」なんてことを本気で考えている。
本当に神様の存在を信じ、その存在に救われていれば、日常の中にもいいことや安らぎを感じることができるのだと思う。

でも、ワタクシは神様に生涯を捧げたシスターじゃない。
神様の存在に何度も励まされ、自分自身を奮い立たせる時もあるけれど、やっぱり自分は人間だ。
本当に辛い時、色々なことがわからなくなり見失いそうになった時、少し無理をして頑張った時は…やっぱり頭をなでてほしい。
「大丈夫だよ」「えらかったね」と言ってほしい。
こんなことはワタクシの弱さでみっともない部分。
いつもワタクシを励ましてくださる方々から見放され、軽蔑されてしまう恐れがある部分。
仕事を頑張っていれば、いいことがあると思っていた。
いつかご褒美がもらえると思っていた。
「ご褒美が無いのは、まだまだ自分の頑張りが足りないからだ」と言い聞かせた。
「今の自分は幸せなんだ。仕事があって、家族がいて、友達や楽しく話してくださる方がいて、恵まれているんだ」と何度も感謝した。
だけど、イライラしながら仕事をして、家庭を持った友達を尊敬して、「自分はまだまだだ」と戒めて…自分って何?
全部自分が悪いということなんてわかっている。
人のせいにして、自分のことは棚に上げている。
もっともっと辛い日々を味わっている人は大勢いる。
自分を犠牲にしている人も大勢いる。
ワタクシの何倍も有能なのに報われていない人も大勢いる。
病に苦しんでいる人も大勢いる。
だから、だからワタクシも苦しいことを、さみしいことを耐えないといけないの?
息をする度、心に空いた穴を風が通る感覚を感じる。
ビリビリに裂けたまま治らない心がヒリヒリ痛む。

極端な考えと保守的な理性の間を揺れるのは、振り子なんて使い古された表現。
「この先、人を好きになることなんて無いし、誰でもいいか」
「そんな行動、自分も相手も傷付けるだけ」

社交辞令にも疲れた。
「彼氏なんてスグできるよ」
―それなら今からあなたがワタクシの傍にいてよ。
「理想が高いんじゃない?」
―誰でもいいわけないでしょ。
「モテそうなのに」
―モテない。それに、モテるのと恋人ができるのは別でしょ?そもそもそんなこと微塵も思っていないくせに。

出口が見えない。
4月6日、父方の祖母がなくなりました。
葬儀は4月11日に家族葬で済ませ、5月13日に父親の実家がある地でお別れ会を開きました。

正月に次男(弟)とお見舞いに行った祖母です。
両親の帰国後も体調は優れず、しばらく入院生活が続きました。
病院では特別な異常が見られない事と、食欲が無い事ぐらいしかわからず、また介護施設での生活に戻りました。
しかしその後も微熱は続き、意思の疎通も難しい状態でした。
以前、どうしても食欲が出ずに点滴で栄養を摂っていた時に、いろうの手術を受けていました。
いろうは延命治療に含まれると言われるため、あまり選択したくない手段でした。
できることなら、また元のようにおいしそうに食事をしてほしいと思いましたし、それが健康にも1番いい形でした。
そのいろう手術が幸か不幸か、とりあえず栄養を摂取し続けることはできました。
それでも状態は回復に向かっているように見えず、呼吸が荒くなり、また入院してしまいました。

4月30日、いつものように両親がお見舞いに行くと、医師から「会っておきたい人がいる場合は連れて来て下さい」と言われてしまいました。
急いで父親の兄弟を病院へ呼びました。
その日は元々ワタクシも次男(弟)も一緒にお見舞いには行っていませんでした。
ただ、夜遅かったことと、祖母の状態が少し安定したことから、とりあえず父親の兄弟だけを呼んで、ワタクシ達は家で待機していました。
翌日、改めてお見舞いに行くと、ずっと呼吸が荒く、息をしているだけでも体力を消耗してしまいそうな様子でした。

4月6日、昼間に母親だけがお見舞いに行き、帰宅した夜に病院から連絡が入り、「容態が変わったため、来てほしい」と言われ、家族で駆けつけました。
しかし、間に合いませんでした。
その後、父親の兄弟を呼び、祖母が身体を綺麗にしてもらっているのを待ち、その間に葬儀の相談を出来る相手を手配しました。
葬儀の打ち合わせを終えて帰宅した時には4時になっていました。

91才でした。
ワタクシの中では老衰だと考えています。
しかし、あまりにも苦しそうだったので、最期は「苦しい、苦しい」と思いながら亡くなったのかなと思うととても辛いです。
ワタクシの祖父母の中では、1番関わりがあった祖母だと思います。
両親共に実家が遠く、長い休みにならないと遊びにいけませんでした。
母方の祖父母はよく遊びに連れて行ってくれました。
父方の祖父はワタクシが1才になる前に亡くなったので、ほとんど覚えていません。
ただ写真の優しそうな顔を知っているだけです。
父方の祖父は病弱だったこともあり、祖母は一生懸命に4人の子供を育てました。
そのためもあり、祖母は子供と遊ぶという事があまり得意ではありませんでした。
それでも遊びに行くといつもおいしいご飯を用意してくれました。
ワタクシが暮らしている家に近い老人介護施設に来てから、話す事が多くなりました。
祖母を自宅で過ごさせてあげることができなかったことは、とても辛い状況でしたが、ワタクシは祖母が近くに来たことで、もっと祖母を知る事ができましたし、楽しい時間を過ごす事ができたように思います。
祖母の写真も沢山残っています。
どの祖母も笑っています。

祖父母を曾祖父母にしてあげることはできませんでしたが、これからも祖父母の孫であることを誇りに思いながら、しっかり生きていこうと考えました。
皆様、新年を迎えました。
もう8日になろうとしている時間ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ワタクシは家族と一緒に新年を迎えました。
30日に長男(弟)が帰省しました。
毎年感じる事なのですが、年が明けた瞬間、12月31日23:59にも1月1日0:00にも、ワタクシの中に特別な感慨は生まれていません。
ただボンヤリと「また1年が終わるんだな」と考えるだけです。
そして、元日の午前10時頃に晴れ着を召した有名人の方々がお正月特番に出演されている姿を視て「デジャヴ…?」と、1年前の自分を思い出します。
この空気に触れ、やっと新年を迎えたのだと実感します。

昨年はワタクシの家族に不幸が訪れずに過ごす事ができたので、年賀状を書きました。
投函したのは1月1日でした。
完全に間に合っていません。
「今年は年賀状の枚数も少ないんだろうね」という母親の言葉に、今の自分の立場を思い知り、心が痛みました。
喪中などと言うレベルの話ではありません。
自らの家族を失った方、自らの家を失った方、自らの故郷を失った方…遠くに住む親戚に出す、友人に出す年賀状を書けない方が大勢いらっしゃる事でしょう。
年賀状など配達されることが無い地域もある事でしょう。
この記事の冒頭には「おめでとうございます」という言葉を書く事ができませんでした。
“自粛”という言葉が独り歩きし、皆様が義務のように楽しい事から遠ざかりました。
そうかと思えば、復興を目指す地域では敢えて花火大会を開催したり、七夕祭りを催したり…とても難しい時期が続きました。
互いに警戒し、牽制し合っているように見えました。
結局ワタクシ自身、深い事、正確な事はわかっていませんでした。
そのうちに原発の問題が簡単な物ではなさそうだという事も何となく感じ始め、計画停電に巻き込まれていた事も微笑ましく感じる程、今は保証金の話ばかりが飛び交っています。
「誰も悪い人はいない。悪いのは天災だ」とわかりきった事を言っても、誰も救われません。
助け合う人、他人を責める人、目標を失う人…それでも生きている事に感謝をされているのでしょう。
助かってしまった自らを責めながら、失った対象を悼みながら、今も生きているのでしょう。
ワタクシも同じです。
地震を止める事も、時間を戻す事も、ましてや自ら命を絶つ事もできません。
ただ未来に向けて、自分のために今を生きるだけです。
笑ってもいいし、人を愛してもいいし、幸せになってもいいのです。
ただ、亡くなった方に恥じぬよう、毎日を生きるだけです。

さて、昨年を振り返るとこの話題が登場するだろう事を懸念して、新年の話題から始めたつもりが、結局無視できずに同じ道を通ってしまいました。
話を戻すとします。

新年を迎えて家族全員でくつろぎながらも、両親には次の予定が迫っていました。
3日から8日までタイに行く予定がありました。
3日の早朝に出発し、7日の夜にタイを出て、8日午前中に日本の土を踏むというスケジュールです。
つまり、この記事を書いている現在、両親は家にいません。
帰国する飛行機の中です。
長男は帰省してから風邪を引き、3日に帰る予定を延ばして4日の夜に帰りました。
4日の夕方に両親が日本を出てから特に出掛けたり、おいしいものを食べたりと楽しいおもいをしていない事に気付きました。
せっかく帰省したのに風邪を引き、3日も4日もほとんど寝ていた長男をほんのり可哀想に思い、せめて帰る前にと次男に牛肉のすき焼き風を作らせ、ワタクシは雑誌に載っていたミネストローネを作りました。
家にあった材料で作ったので、ベーコンは切らしていてケチャップは微妙に足りませんでしたが、コンソメの威力でミネストローネの味になりました。
長男は何ご飯かわからない(昼食には遅く、夕飯には早い)食事をして帰りました。

不調だったのは、長男だけではありませんでした。
両親が出発したその日、祖母が入所している老人介護施設から連絡が入りました。
祖母が発熱していました。
まだ両親がタイへ向かう飛行機に乗っている時間でした。
スグに両親へ連絡する事もできず、とりあえずいつ届くかわからないメールで状況を伝え、両親の返事を待たずに次男と祖母の元へ向かいました。
91才の祖母は辛そうな顔をしていて、眠ったり起きたりを繰り返していました。
「年始でまだ病院が開いていないから、明日(4日に)病院へ連れて行く」と言われました。
ワタクシと次男は1時間、祖母の手を握っていました。
翌日は少し熱が下がったという事で、病院へは行かないと言われました。
とにかく連れて行って欲しいと思うところではありましたが、両親が不在の今、手続きや準備などでワタクシに負担をかけまいと考えて下さったのだと思います。
しかし、結局スグに対応できるようにと5日に入院しました。
ワタクシと次男は「2人とも(両親が)用事を終えたら急いで予定よりも早く帰ってくるかもね」と話していましたが、両親は帰りの搭乗券も手配してある事もあり、帰国を早める事はできませんでした。
両親からは電話でもメールでも謝られ、感謝されました。

不安と共に責任感も持ちながら、休みの間も用事のために会社へ行きました。
時間は1時間程度ですが、責任を果たしました。

あまり正月らしい正月ではありませんでしたが、そこそこ忙しく、意義のある日々でした。
次男はとても協力的で、頼んでおいたゴミ出しを失敗した以外は何かと助けられました。
成長したと思います。

遅くなりましたが、今年1年は例年通りの成長を目標にすると共に、自分の生活に“快適さ”を求めていきたいと考えています。
できる事を増やすのも、快適に過ごすために必要なことです。
自信を持ち、堂々と、不安の無い日々を送る事が今のワタクシは出来ていないので、それを目指します。
余裕が生まれ、人に対して寛大な心を持ち、出来れば人から好かれる人間になれたらと考えています。
今年も、ワタクシの成長を見守って頂けたら幸いです。

皆様に素敵な出来事が沢山起こりますように。
先々月の事ですが、ついに5周年を迎えてしまいました。
何の5周年かと言いますと、入社日から5年ではありません。
少々お恥ずかしい記念日ですが、彼氏いない歴5年です。
5年間の間、毎日毎日彼氏探しに走り回っていた訳ではないので、気付いたら…という感覚です。
「たまには数えてみるか…」と思い立って数えてみたところ、あれから5年という月日が流れていました。
完全に枯れています。
今の自分は5年前の自分と何か変わったのかなと考えてみましたが、ほとんど何も変わっていませんでした。
ただただ年齢と彼氏いない歴と勤務年数を重ねただけでした。
考えた事はそれなりにありますが、実践した訳ではないので、その反省が合っているのかさえわかりません。
“誰からも好かれる人間”になれたと言える自信は全くありません。
誰からもどころか、同じ社内の方々や家族にすら苦戦している毎日です。
「自分で自分を“王女”とか言いながら、大したことないな」と思ってください。

以前から「結婚願望は無い」と痛々しく公言してしまっていますが、10月に初めて友達の結婚式に出席しました。
今月は結婚式の二次会、2月には結婚式へのご招待を頂いています。
とうとう自分もそんな年齢になったのかと実感せざるを得ません。
5年もの間、ずっと片思いすら無かった訳ですが、これから先どうなるのか、それともどうにもならないのか、皆様で見守っていてやって下さいませ。

やっと更新したかと思えばこんな記事ですみません。
とりあえず報告にあがりました。