正直、昨日は勝てた試合を落としたのは痛かった。打てないなりに何とか同点に追いつき、サヨナラのチャンスがあったのに、琢朗さん…。
打てないと言えば86年、91年も貧打で優勝しているだけに、そういうミスをなくさないと優勝はないでしょう。

でも、今日はジョンソンさまさまでした。
誠也のまずいプレーもあったけど、1安打完封。あれも取れていただけに、と思ったけど。
まあ向こう側も、初物だから攻めあぐんだんじゃないかな?
打線は課題が山積みですが、まあ私は1-0での勝ち試合は好きですからね。
逆にそのスコアで負けたらすごく嫌なんでね。

さて、明日は黒田の登板試合、ズムスタに行きたかったけど、香ちゃん、あっこちゃんのライブで宇品です。
応援の方は、スタジアムに行く方に任せました。でも4/18に行くからね。黒田ユニで。
入院してから日記がなく、何かあってもつぶやきで済ましていましたが、大分体調が良くなりました。

そして、今日、43歳になりました。
アラフィフも見えてきた印象がありますね。

そんな中で昨日はダイヤ改正で、新白島に行っていました。
駅の構造は、天神川や和木に似た感じで、下りと上りの改札が別になっています。

しかしアストラムとの乗り換え駅になっていて、広島市内へのアクセスが便利になります。
私の場合、西広島または横川で広電に乗り換えていましたが、多少高くつくものの、新白島で乗り換えて、本通りまででも駅が少なくなりましたしね。

まあ選択肢が増えたとでも言いましょうか?しかし広電は多少影響が出るかもしれませんね。特に7番系統。

まあこのダイヤ改正は全国的には北陸新幹線が話題になっていますが、広島地区も新白島に227系投入と、久し振りに充実した印象があります。
ただ、呉線の103系の置き換え的な印象のせいか、3両編成だとラッシュ時に影響が出そうですね。
昨日も227系を撮影したけど、結構混んでいましたし。

また、産まれるものがあれば、消えるものもある。

北斗星、トワイライトが引退。どちらも昨今のブルトレにおいては比較的人気があったけど、やはり24系25形の老朽化や、北海道新幹線との絡みもあるでしょうしね。
北斗星は、ロイヤルに乗ったのも、良い思い出です。
これで、定期運転のブルトレは廃止(サンライズは残るけど)、ブルトレの思い出を連載して行こうかな。
小学校の時にブルトレブームがあり(特に「富士」が人気あった)、ラジオ体操前にブルトレを見に行く小学生が多くいたりした時代。クラスの男子の7~8割が鉄道ファンという時代でしたし。

また、北斗星、トワイライトの引退が話題だけど、はくたか、北越、あやめも廃止になりました。
まあはくたかは愛称は新幹線に引き継がれたけど、北越にあやめ、前述したブームの頃は、ボンネットファンに人気あった北越と、人気がサッパリだったあやめ。それらにも、お疲れ様、と言いたいです。


最近、PERSONZにはまっています。
まあ元々ファンだし、PERSONZのファン歴は16年になる。まあ1994年から10年位は、Gt.の本田毅さんが脱退して遠ざかっていたけど、2004年に広島でのライブに行った時に、4人での演奏を見て、再び聴いたりライブに行ったりしています。
最初は懐かしさ目当てで行ったかな。
でも、懐かしい曲と、4人での演奏を見て、再び聴くようになりました。そして、広島を必ず入れてくれるので、高感度upです。ただ、そろそろナミキジャンクションでやるのはやめましょうよ。あそこは大物アーティストが来ると救急車が来るのはデフォですから。

で、PERSONZ。
私が最近はまって来たのは、特にこういう曲順で聞くとジーンときます。

Mirror Ball→Future Star→BE HAPPY

なんか、2年前の自分と、2年間の自分、そして今の自分。
それが見事にラップするし、先日、広島に来た時は、それを感じました。

MirrorBallの歌詞のこの部分
「夢は夢 そんな言葉で 閉ざさないで 見過ごさないで
 独りの夜 胸の痛み 張り裂けた 心塞ぎ
 悲しみは 向かう明日へ その先へと つながる布石
 優しさから 悔しさから 生まれ出る 愛しさを」

この部分にジーンときて、何かに挑戦している時に「Future Star」を聞き、
そして、今が「BE HAPPY」
いや、まだそれには早いかもしれないけど、元気をもらうし、マイミクにも聞かせたくなる人がいます。
また、聞き始めたきっかけは「Dear Friends」ですが、これも元気をもらう曲です。
来年3月の改正で、北斗星の廃止に隠れがちだが、北越、あやめも廃止となり、またはくたかも廃止になる。
まあはくたかは愛称が新幹線に受け継がれるのだが、私は愛称公募で白山に投票したんだよな。運転経路からして。ただ、はくたかも一番最初は長野経由だったし(キハ82系時代)、新幹線の名前になると、はくたかの方がスピード感あるし、それも悪くないかな、と思っているが、欲を言えば速達タイプにはくたか、普通タイプに白山とすればよかったんじゃないかな、とも思っている。どうも昭和50年代の国鉄特急ブームの頃、ボンネット先頭車にイラストが入ったときは、特に白山は印象強く残っている。ただときは、文字マークの方が好きだったが(例のとき・朱鷺・TOKIの三段マーク)。

そして、あやめの方も廃止となる。
そのあやめ、国鉄特急ブームの頃は、当時の鉄道少年から不人気特急の一つだった。まあ地域によっても差異はあるだろうが、私の通っていた小学校では昼間の電車特急で人気あったのは白鳥、雷鳥、ひばり、とき、しらさぎ、つばさ、にちりんと言ったところ。またはつかりも人気あったが、はつかりに関しては485系より583系が人気あった。また東北、北陸系が人気の中心だった中で、にちりんが意外と人気あったが、これは未だ持って謎だ。当時、修学旅行が九州で、にちりんに乗った先輩たちがいたのが影響しているのかなと。私は九州内特急では、有明の方が好きでしたが。

で、あやめだが、当時は国鉄特急の最短距離ランナーだったからね。どうも房総系は最短距離ランナーのあやめがあったり、当時は国鉄特急で最も表定速度が遅かったのがわかしおだったり、みどりだったりで。
だけどあやめって、1都1県特急と言うイメージの房総特急の中で、唯一、1都2県を走る特急ではあったし、私も房総系特急は私も印象が薄かったが、さざなみとあやめはそう悪い印象はなかったと思う。またあやめは時々話に割り込む女子からはさくらとともに好印象だったが、さくらとあやめ、男子からは人気が雲泥の差があったな。

で、北越。
運転区間が金沢~新潟間となり(私が通っている小学校では、大阪直通時代はまだ特急よりもスーパーカーの方が人気あった)、白鳥、雷鳥と運転区間が重なることで地味な存在だったが、それでもグリーン車2両に食堂車が付くことで、意外と根強い人気があったな。
私はこの北越、ボンネット先頭車(と言うよりクハ481-100、当時の北陸系特急のボンネット先頭車は意外にもクハ481-0がなく、100番台ばかりだった)のイメージが強い。まあ当時、北越を担当していた向日町運転所には、クハ481-100がほとんどで、ショートノーズ先頭車の200番台、300番台は少数派だった。しかし当時の鉄道本には、向日町に当時1両しかいなかったクハ481-200先頭の北越の写真が飾られることが多く、北越と言えば200番台、と想像するファンも多かった感があった。

最も私は485系のボンネット先頭車だと雷鳥が最も気に入っていたが、雷鳥はショートノーズや583系も気に入っていて、どれが良いか迷ったが、迷うことなくボンネットが似合うと思ったのは北越とあいづだったな。また有明、にちりんも当時はボンネットが好きだったが、その2列車は485系と言うより「481系」と言いたくなりますね。それを言いだすとあいづも483系のイメージだったが。逆にファンに人気があった白鳥のボンネット、私は馴染めないんだよな。白鳥は特に1500番台がお気に入りでありまして。




昨日、東京駅100年記念で、かつてのブルトレ「富士」に見立てた記念列車が、東京~伊東間を走った。

http://www.sankei.com/life/news/141219/lif1412190038-n1.html

私が鉄道ファンをここまで続けられている一つの理由に、昭和50年代に起こった「ブルトレブーム」も一つの理由にある。
それは「スーパーカーブーム」のあとに続いたものだが、電車特急のヘッドマークがイラスト化され、それに関係する文房具も多く出て、当時の(現在で言うアラフォー世代)小学生の男子は、ブルトレや電車特急の文具や本を色々買っていた。

その時代に、一番人気だった列車は「富士」だった。地域や学校によって差異はあるだろうが、概ね東京~九州間特急が人気あったと思う。まあその中で全国的には富士、さくらのどちらかだったと思う。エースナンバーをつけたさくらか、ロングランナンバーワンだった富士か、と言ったところだろう。ただ、私の小学校ではさくらは富士、はやぶさの下で、人気ナンバー3をあさかぜと競う、と言う感じだった。確かにエースナンバーをつけていることでさくらを好む少年もいたが、広島発着時間が1レは最も早く、2レは最も遅いことで利用しにくかったことや、当時の小学生向けの鉄道本には「王選手の背番号と同じ「1」を・・・」と書かれていたことが、アンチジャイアンツの多い広島県民には好ましくなかったのだろうか。まあ確かに当時はカープが日本シリーズを連覇する全盛期、広島県民にとってのエースナンバーは「8」でしたからね。

閑話休題、私の小学生では、富士が人気あったが、その富士はやはりロングランということで鉄道の本への露出度が高く、また当時は2段式寝台に個室、食堂車と言うのがあっただろう。

その富士が昨日、一日限りで復活。
残った24系は、24形と25形で混結になっただろうが、雰囲気的には僅か約1年半見られた24系24形の富士のイメージですね。

ただ、私は当時は富士はあまり好きになれなかったのよね。
スーパーカーブームの時代から鉄道好きだった(スーパーカーも好きだったけど、当時私が好きだったクルマは、マツダコスモAP(CD23S)である)私は、一番好きだったのははやぶさで、次いであさかぜ、さくらと言う順。富士は決して嫌いではなかったけど、無理矢理西鹿児島まで走っていた感や、ヘッドマークのデザインが、当時は他の九州ブルトレに比べて地味に感じたのかなあ。今思うと世界遺産の富士山に対して失礼だったかなと。
でも今見ると、EF65に丸型マーク、懐かしいですね。
つい、みんなブルトレが好きだった、あの時代を思い出します。

ということで、画像は山形マークになってからだけど




北斗星、廃止のアナウンスが流れたけど、19年前の2月末に、私は乗ったことがある。
それも、最も高級なロイヤル個室である。

http://yossee.main.jp/train/royal/

それもこの寝台は、広島を出発する2日前に、キャンセル待ちで取れたのである。
元々ソロで我慢しようとしたけど、折角なのでと思い奮発しました。まあ今思うとお金はかかったし、大学に1年余分に行ったのに(笑)、差額を援助してくれた両親には感謝しています。ましてあの頃、親父の職場は5ちゃんねるショックの影響で火ダルマでしたし(今だから言うけど、社員の身内でも欲しいと思う車がなかった)

で、私が乗った北斗星は、上野16:50→札幌8:53の列車だった。
あの時、東京もみぞれ混じりの天候で、寒かった。それでも東京では少し散策をし、何故か東京まで行ってマツダのショールーム(但しそのショールームは既にない)で、RE車のイベントを行っていた。あの頃はマツダの地元の広島ではそういったイベントなどやる気がなかったけど、東京では客が少ないながらもやっていたな。

で、上野を16:50に出る北斗星で札幌へ。
車内を探検したりし、その日は食事まではロビーで過ごしたりした。流石に北斗星のブームは過ぎたけど、個室は賑わっていて、のぞみが運転開始して元気がない東海道、山陽系のブルートレインとは違う、むしろブルトレ全盛期の印象だった。

(97%が飛行機を使う東京~札幌間なのに、定員が少ないとはいえ賑わっているな)

そんな思いだった。まあ今から20年前、24系客車もまだくたびれておらず、快適に過ごしたともう。
食事はパブタイムを利用した。流石に夕食に1万円もかけようとは思わなかったが、北斗星の運転開始時はコースが4種類あり、ビーフシチューのコースが最も気に入っていた。もちろんファミレスで食べるよりは高くつくが、それでも列車食堂で予約制なら、我慢できた。だがコースから消えてしまっていた。しかしパブタイムで復活しており、21時まで空腹を我慢し、パブタイムになって食事を摂った。しかし小樽ワインで居眠りをこいたな。まあ私はテスト中に居眠りをして答案用紙に涎をつけたまま提出したこともあるが(だからダブるんだよ)

で、青函トンネルを通る瞬間を、と思っていましたが、見事に夢の中でした。
それでも、起きてカーテンを開けたら、銀世界。
ああ、北海道に来たな、と思った瞬間でした。

6時30分になり、食堂車の開店と同時に食堂車へ。
食事代が高くつく列車でもあるけど、それでも食堂車で食事を摂り、北海道の景色を楽しみながら飲むモーニングコーヒーは格別だったと思う。上野~札幌間だけで約16時間、飛行機だと1時間強、確かに「時は金なり」の現代では時間がかかり過ぎるかもしれない。だけどこんな贅沢があってもいいのではないか。この「北斗星」に乗った後に、もっと豪華な「カシオペア」が出たり、大阪~札幌間には「トワイライト」もあるが、北斗星にはまだ庶民的な部分も少し残っている。新幹線と併用で使うビジネス需要も僅かにあるようで、今日もいかにも出張と言うビジネスマンが仙台、盛岡から乗ってきていた。確かに札幌8:53は、早起きして空港に行くよりは魅力的なダイヤかもしれない。

札幌に着いたとき、16時間があっという間に感じた。もう一度乗りたい、と思う列車だったが、それ以降、サンライズ、あさかぜには乗ったけど北海道方面の寝台車に乗る機会はなかった。









http://ameblo.jp/kaori-kishitani/entry-11960826485.html?frm_src=favoritemail

北斗星廃止で盛り下がる中に嬉しいニュースです。

広島出身なのに、広島を飛ばされて香ちゃんとは2010年新春以降のご無沙汰でしたが、ついに広島公演が実演。
しかも、「おりあつ」というユニットで。

これは是非行かねばならない。と思い、詳細を待っていたら、香ちゃんのブログにあるではないですか。
3/29。この日は、カープが2002年以来12年ぶりの地元開幕、マツダスタジアムになってからは初の開幕なんですが、まあ土曜日に行って、日曜日はおりあつに行きますかね。

ズムスタに行って、その足で宇品に行こうとも思ったけど(カープユニ着用で)、どっちにしても整理券なんで、これは第一部から行った方がいいかと。

それにしても場所が宇品とはやりますねえ。

あっこちゃんがFDのRX-7に乗ってた時期があったけど、そのFDを作っていたマツダ宇品工場の近くでもあり、そして香ちゃんが生まれた県立広島病院の近くでもあるし。

それにしても、今日その情報が分かるとは。

2年前の再結成は色々あって楽しめなかったけど、今度は、楽しまないとね。


まあそうはいっても北海道新幹線の開業までだと思っていたけど、来年春とは早いよ。

しかしデビューした時のインパクトは凄かっただろう。「飛行機が常識」と言われる東京~札幌間に寝台列車を運転し、運転を始めた時は「走るショールーム」を覚悟したと言う。
何せ、当時は今の様に格安航空など存在せず、大手3社(当時)の通常運転より割高な運賃である。いくら豪華でも乗る人はいるのか?と思った。
実は私、当時は鉄道趣味から遠ざかっていた。とはいえ飛行機より鉄道、という思いはあったのだが、あの頃は広島では千歳への直行便が話題になっており、今の広島西飛行場が広島空港だった頃、広島と千歳が2時間と言うインパクトの方が強く、青函トンネルとか北斗星とかは、全く話題にならなかった。と言うより当時、鉄道趣味を公言できない空気もあったのだけどね。
(まあ広島に住んでいると、極僅かながら、青函トンネルが開業したことを未だ知らない人もいるくらいですし)

だけど、運転開始で大人気。特にロイヤル個室はプラチナチケットとなり、鉄道趣味の冬の時代ながら、ファンならずとも憧れの列車となった。

一時は、「開放型でもいいから、寝台特急で北海道に行きたい」という人も多く、臨時にB寝台のみの「エルム」が運転され、またカートレインも東京(恵比寿→浜松町)と札幌の間を結ぶ列車もあった。まあカートレインは寝台列車の需要以外に、5ナンバー車しか積めないネックもあり、シーマ現象に代表されるなど3ナンバーの高級サルーンがバブルと共に売れ、やがて車の主流がセダンからRVやミニバンに移行し、積載できる車が減ったのはあるだろうが。

そしてバブル倒壊で、北斗星も一時の勢いは薄れて行った。それでも、他のブルトレに比べたら高い利用率はキープしていたが、車両の老朽化と、北海道新幹線工事もあって、ついに姿を消す。

そんな北斗星、私は大学卒業の頃、ロイヤルを経験した。
あの時は定期2往復、季節1往復(とはいえ毎日運転)の実質3往復体制で、私が乗車したのは上野16:50→札幌8:53の列車だった。北海道の客車を使った便だった。
朝起きて、カーテンを開けたら銀世界。北海道まで来たんだ、という思いを胸に、食堂車で朝食を摂った。
これは思い出になったと思う。

北斗星も何枚か写真は取ったけど、EF510牽引のものは撮影しておらず、廃止後も臨時列車で残るとはいえ、新幹線工事で運転日は少ないだろうから、何かで行く機会はないかなあ?と思っている。まあ今の自分には身体との相談もあるけどね。





JRのバッジにネームプレートをスーツに着けての仕事。

私は国鉄で働くことを夢見た時期がある。しかしその時は国鉄は余剰人員対策に追われ、人を野郎どころではなく、色々な人に夢を壊されることを言われたこともある。まあ国鉄末期=中学時代で、私の中学時代は思い出したくないことばかりなんですけどね。これに関してはこれ以上は控えさせていただきます。

で、国鉄がJRになり、門戸を広げたけど…

大学時代に、広電で車掌のアルバイトをした時は、鉄道ファンは鉄道会社で働くものではない、と思ったね。アルバイト車掌が乗務するのは客の多い時間帯で、まあ休憩室に行けば客の悪口と屁の音しか聞こえない(最近は女性乗務員の増加で休憩室で放屁する人は減ったようですが(笑))、と言っても過言ではなかったけど、実際に車掌のバイトをしていると、東北地区に701系を投入した理由も分かるような気がしたし。あの辺りは客車時代は高校生のマナーの悪さが酷く、それが問題になってロングシート化したと私は思うし、確かに「鉄道ファン目線」で見た701系と、「列車乗務員目線」で見た701系は全然評価が違ってくるなと、私なりに思った。

で、卒業時に、マツダに入りたいとは思わなかった。あの頃のマツダ車は正直興味なかった。親父がマツダ社員なのに、正直乗りたいマツダ車なんてなかったし(例の「5ちゃんねるショックの時代」)。

で、ずっとDTPに携わってきたけど・・・
2社経験したけど、故あって退職しました。
40過ぎての転職は正直しんどかったけど、12/1から、JR西日本に入社しました。

入社して、ネームプレートとバッジをもらい、名刺が出来て。
今まで普段着での仕事が多かっただけに、スーツを着ての仕事、確かに違和感はあるけど、何か気分が違います。
まあ、これからは色々あるし、順調には行かないでしょう。
病気と付き合いながらの仕事ですし。

で、内容は主に駅とその周辺の開発、リニューアルがメインです。
ただ、色々な情報は、私は公表しても良いと言われるまでは教えませんよ。その辺りはご理解願います。
私は583系が大好きである。まあ山陽本線沿線に住んでいるので、583系と言うより581系の方がなじみが深いのですが、鉄道雑誌などには「583系」とひとくくりにされてますよね。まあ山陽~九州の特急運用をしていた南福岡→向日町の車両は、先頭車は殆どクハネ581、中間のモハネユニットは583系が主役なので間違いではないのですが、月光から続く歴史的なことや、先頭車の印象からどうも「581系」と呼んでしまいます。

逆に、東北地区では583系のイメージですね。先頭車はクハネ583ばかりでしたし。
その583系の模型を入手しました。今回は複雑なセット内容で、基本セットがクハネとモハネユニットの6両、増結がモハネユニット2両と、サロ、サシ、サハネの3両セットで、サハネが2両だった山陽、九州系統に対し、サハネが1両なのは東北系特急をイメージしているのが分かります。

変換マークははくつる、はつかり、雷鳥、明星。組み合わせ的には「?」ですね。
まあオプションのはくつる、はつかり、ゆうづる、みちのくの組み合わせに変えますが。

私はイメージ的にははつかりかなあ。幼少の頃の鉄道、乗り物の絵本には、583(581)系は何故かはつかりかつばめが多かった印象ありますし。特にエースナンバーの1M、2Mは485系より583系のイメージが強いです。53-10で485系になった時は受け付けなかったなあ。はつかりは583系の方が似合う印象が今でもある。485系は1500番台は萌えたけど、私は485系の東北特急はひばりのイメージが強いです。逆に雷鳥は485系の方が似合う印象あるけど。

あと、親父が出張で日立に行った時に、帰りに乗ったとか言ってたな。日立から乗る、なんか昼飯時に乗ったとか言ってたし、時間と乗車区間からして12Mの「みちのく」だろうな。まあ日立に出張と言うのが、当時のマツダ車(と言うより東洋工業)は電装系は日立製が多かったのを印象付けますが、まあ電装関係はクレームが多かったからねえ。特にオルタネータがよく壊れてたとか。最近のマツダ車はデンソーと三菱電機が多いけど。

でもみちのくも結構印象強いんだよな。はつかりの陰に隠れがちだったけど、583系のみの昼行特急と言う孤高の存在で。でも当時のブルトレ&特急電車ブームの中で、みちのくを夜行特急と間違える当時の鉄道少年も多かった。まあ運転区間と使用車両からして分からなくもないが。