今の気持ちを忘れないように、こんなこともあったなと振り返られるように、今の気持ちを綴ろうと思う。
全然読んでくれてる方に楽しんでもらえるような内容じゃないので、さらっとスクロールしてください。


今回のブログのタイトルにした「宙」の冒頭の神宮寺くんパート。
私はここの歌詞がすごく好きで、ここを歌う神宮寺くんがすごく好き。過去記事に書いたドン底まで落ちた時も、この歌詞がすごく切なくて、儚くて、自分の気持ちとなんだかピッタリはまってそこからずっと自分にとって特別な曲。
そんな曲をタイトルにするくらいだから、あの時と今の気持ちはおなじ。
神宮寺くんに会えない寂しさが、現場のない空虚感が、ドリボが終わってからずっと続いてる。
こんな寂しさは正直神宮寺くんにしか感じたことがない。もう約18年、ジャニーズヲタクをやってるけどこの初めて知る感情にまだ戸惑う。
神宮寺くんにしか感じたことないこの気持ちが、切なくて悲しいことのはずなのにちょっぴり嬉しくもある。

思えば、現場には困ることのなかったヲタク人生。
一番長く推していた錦戸くんは、関ジャニとNEWSを掛け持ちしていたから言わずとも両手が塞がりそうなくらい現場があったし、コンサート以外にも色々あった時代だったから、錦戸くんを推していた約10年、現場がないと嘆くことはなかった。

でも今は、ジュニアがジュニアでない時代なのもあるし若手がどんどん推されてる。もちろんKing&Princeが他グループよりも優遇されていることは理解しているけど、それはそれ。これはこれ。自分勝手なもので。

そしてやっぱりグループ内ではまだ少し影の立ち位置になってしまう事もある。こんなこと神宮寺担の私が口にしたい事ではないけど。

自担の仕事が、私の思うように決まらないことにちょっぴり不満があることも事実。

神宮寺くんはバラエティに出れば誰よりも良い味を出すし、雰囲気も柔らかくて丁寧で可愛らしい。きっと誰からも好かれることをよく分かってるからこそ、ピンでの仕事になかなか思うような露出がないことがすごく悔しいし寂しい。


結局、冒頭で書いたとおり「空虚感」が抜けきらず、ずっと神宮寺くんが不足していて。

確かに、私には他界隈にも推しがいて、そこが必ずしも「逃げ場」になってるわけではない。他界隈は他界隈で楽しんでるし真っ直ぐにその人を応援してる。

こちらとあちらの世界を比較することなんて1ミリもないんだけど、最近は神宮寺くんがいなくて埋まらない穴を見て見ぬ振りして過ごすのが少し限界になってきたな、と。

そして、そう感じるたびに、私めっちゃ神宮寺くん好きじゃんって。

正直、神宮寺担としての自信がなかった。King&Princeがデビューして、ただのミーハー心なんじゃないかって思うこともあった。だって今まで好きになった人と全然違うから。

神宮寺くんみたいなタイプの人に、目を奪われて心揺さぶられる事が今までなかったから。

神宮寺くんを好きになるのに、理由も時間も全然いらなかったのに、自分の気持ちを自分が一番肯定出来てなかったのかもしれない。


でもこうして悩むのは、寂しいのは、いつまでも輝いていてほしい、誰にも負けず活躍し続けてほしい、みんなに知ってほしい、そう思うのはやっぱり私が、ミーハー心でもなんでもなく、ただの流行りだからじゃなく、神宮寺くんをちゃんと好きだから。『神宮寺勇太』だからこそ感じる気持ちなんだって最近やっと自分の中でもそれが当たり前になってきたから。


最近はTwitterでも他界隈のツイートが多くて、本当は垢分けするべきなんだろうけどなかなかそんなに器用な人間じゃなくて。見てる人によっては、面白くないこともあるかもしれないけど、私は変わらず”神宮寺担”です。




言葉が宙に舞って壊れたとしても

この想いは弧を描いて

キミに届くはず キミに届いて

今度はその手を離さないよ

いつかのキミが言う「このままでいいの?」

答えられなかった僕は

ひとつひとつ言葉にしてこのソラの向こうに

消えてしまわぬように声にかえて



神宮寺くんが今日も笑っていますように。