デビュー時は、決して評判が高かったわけではなかった。
二冠馬のコダマなど数多くの強豪を育てた武田文吾調教師でさえ、
1963年、自厩舎の3歳馬の中では
オンワードセカンドが一番手と考えていたそうで
厩舎のエース騎手の栗田勝が二者択一を迫られて
シンザンを選んだとき、呆れ返ったといわれている。

デビュー戦を快勝し、4連勝を果たしてもなお、
シンザンを絶対のクラシック候補と見ている者はほとんどいなかった。

三ヶ月の休み明けでのスプリングSは、なんと6番人気
意外すぎる低評価だった。

そんなシンザンが、実はその馬体に底知れぬ資質を秘め
日本競馬史に大きな足跡を残したのだから
競馬はわからない。
それ以上に、競馬には人知を超えた部分がたくさんあるということだ。

スプリングを快勝し、同世代No.1と認められ迎えた皐月賞
好位から抜け出し、一冠を獲る。
続くレースは2着に敗れ、連勝記録は途絶えるも、中1週で臨んだ
ダービーはやはり好位から伸び完勝 二冠制覇

目標とするレースの前にひと叩き、敗れながら本番に完勝

よく見られる必勝パターンを武田文吾師が編み出した。

生涯オール連対の奇跡の三冠馬

シンザン