大学の学期の最後の授業を終えて、帰り道に漂う澄んだ空気のことをシャバの空気と呼んでいる。大学という監獄から解放されて、しかもその先にある2ヶ月間の休みには膨大な量の宿題なんてない。自分が好きなように生きることができて、その気になれば人生を終わらせることもできて、こんなに楽しい時間は我が人生においては老後か大学の長期休みかしかない。その開放感ときたら、文字通り監獄から解放されて感じるシャバの空気そのものなんだろうと私は思っている(もちろん実際のそれを経験したことはない)。
それを初めて経験したのは1年の夏、憲法のテストを終えた帰り道はその開放感からちょっとだけ空を飛んでいた。苦難だらけのバイト先を辞めた直後でもあったから、なおさら気分は爽快だった。2度目は1年前の春、英語のテストを終えた帰り道。冬の関東の真っ青な空の下で、次の日から始まる自動車学校での日々に闘志を燃やした。3度目は去年の夏。当時は失恋と参議院選の大敗で心を痛めながらも、背負うものが何もなくなったことで好きなように生きることができる日々に思いを馳せて、本格的にブログを始めた。そして4度目、大学生の2年目が終わった。月曜日の1限最後のテスト、雲ひとつない青空の下で拙い英語のスピーチをして、終われば晴れて自由の身。シャバの空気に大きく深呼吸をして、帰り道を歩き出した。
英語のテストに臨む中、隣にいる友人は何度か寒さを訴えていた。近頃都会の人は誰しも寒い寒いと言っているけれど、私の人生においては1月も2月も雪深い中で学校に通っていたから、そこまで寒くないのになと心の中では思っている。自己紹介で「一人暮らしです」と言うと、大抵どこから来たのか聞かれる。「山形です」と答えると、たまに「じゃあ寒さに強いんだね」と浅はかな推論を働かせてくる人がいる。そういう会話をするたびに、そんなわけないだろと突っ込みたくなる。その理論が成立するのなら、全国屈指の猛暑を誇る埼玉の人たちは暑さに相当強いということになるのに、酷暑の日々の中で皆死んだ顔をしているじゃないか(年中死んだ顔をしているのかもしれないけれど)。でも実際都会の人たちが寒い寒いと言っているのにそんな大げさなと感じているから、意外と寒さに強いというのはあたっているのかもしれない。だとしても屋外にいれば手は冷たくなるし、朝起きてその寒さから布団を出られずに1時間くらい過ぎることもあるし、もうよくわかりません。とにかく私は元気に冬を乗り越えようとしています。
この間ある衆議院議員候補者の演説を聞きに行って握手をしたときに、「こんなに手が冷たいのに最後まで聞いてくれてありがとうございます」と言われた。この場で政治の話をしたくないので詳しくは書かないけれど、その一言でなんだか心が温かくなったような気がした。巷では季節は冬、でもふとした瞬間に暖かさを感じることもある今日この頃。シャバの空気を胸いっぱいに吸い込みながら、明日もまた働きに行く。ちょっと残っているレポートが終わったら、春はもうすぐそこにいる。