一人暮らしの良さとは自由とか開放感とかそういうところにあるのであって、決して1人で部屋を借りて生きていること自体に良さがあるわけではないということを、どこかに出かけた帰り道にいつも思っている。私が暮らすワンルームは、建物自体も古いし周辺の治安も悪いし、扉を開けようとすれば投げつけられた生卵の跡が最初に目に飛び込んでくる。6畳ほどの狭い部屋だからベッドとデスクでもうお腹いっぱいで、新しい何かを導入しようにも物理的に無理がある。高卒で就職して一人暮らしをしている友人は、正社員なのに私よりも貯金が少なくて、どんなことにお金を使っているのかと聞いたら買い物だと返された。そりゃお金を消費するのは買い物くらいしかないわけで。でも何を買っているのかは即答できないらしかった。この狭い部屋に身を置いて早くも2年が経つけれど、私はこの2年でこれといって大きな買い物をしていない気がする。新しくものを買えばそれに比例してどんどん生活空間が限られて、余裕がなくなる。いざ引っ越しとなった2年前の3月、私の母は彼女が考える一人暮らしに必要なものをとにかく買い込んで、それを私と父の手で無理やり新居に詰め込んだ。そういうわけでこの狭い部屋に新しい風を吹き込むことは不可能であるという結論に至って、豊かさを追い求めることを忘れていった。
そんなこんなで春のうらら、実家に帰省して妹の引っ越しのための買い出しに付き合わされていた私は、故郷のニトリでソファーを買うという決断を下した。一人暮らしを始めた当初から、ソファーがあった実家の生活がいかに恵まれていたかということを感じていた。あれは不思議なもので、あれに横たわったら天国にいるかのように心地のいい寝心地を実感できる。そこでウトウトしてるときが1番気持ちがいい。でも1、2時間経って目が覚めると、体の至る所がこわばっている。体の節々が痛み出して、トミージョン手術が必要なのではないかと寝ぼけながら考える。ごく稀にソファーで目覚めるとその瞬間精神錯乱状態に陥ることもあった。とにかくそんな不思議な体験をさせてくれる代物で、ある意味劇薬でもある。自分の家にもソファーがあれば、生活の質がかなり上がると考えていたけれど、物理的、金銭的な制約はかなり高い壁だった。それでも買おうと決断したのは、4.5畳の部屋にも置けるという宣伝文句と、19800円というサービスプライスに釣られたから。ニトリという場所もまた不思議なもので、そこに売っているものを揃えればおしゃれな部屋になるだろうという自信しか湧かない。私の部屋の家具は大抵をニトリのもので備えていて、大量購入した時は受験に合格した時よりも満足感があった。そして今ではガラクタのような様相を呈している。それでも目の前にあるソファーが今後の私の生活を彩ってくれるだろうと確信して、嬉々としてクレジットカードを登録したのであった。
そして今日、雨が降り頻る中で大きな段ボールに包まれたソファが姿を現した。ライトグレーのシンプルなもので、小さめの2人がけ。1人で梱包と格闘しながら引っ張り出して、この日のために1時間かけて用意した一角に置いて、遂に念願叶って私の元にもソファーがある生活がやってきた。そのソファーは置いた途端から部屋の中に温かみをくれる、と思いたかった。現実はうまくはいかず、邪魔でしかなかった。私が頑張って空けたスペースはクローゼットの前、クローゼットの扉の半分が使えなくなった。案外ソファーが大きかったせいで、デスクについている引き出しが開けられなくなった。なんてこった、私が思い描いていたのはこんなはずじゃなかった。なんかもっと、ソファーが一つあるだけでホテルの一室みたいになるかと思っていたのに。1週間前の嬉々としていた自分の阿呆面に、なんだか無性に腹が立った。
どんなに理想と違っても、私はソファーのある生活を手に入れた。春という季節は新しさが付きまとうもので、私の生活にも少し新しいエッセンスが加わったと思ったら、ちょっとだけ乙に見えるだろうか。大きな段ボールやらプラスチックの梱包やらをゴミとしてまとめ終わった頃には夜が来て、早朝バイトをしていた私はものすごい眠気を感じている。せっかくのソファーを満喫する間も無くいつもの寝床で眠りについて、視界の端にはまだ見慣れぬ輪郭が佇んでいた。