寧子は性格の悪い、嫌な女ですね。お友だちにはなりたくないタイプでしょう。でも、もしも、才能があって美貌で、格差社会のなかで階級をステップアップしようとしたら、性格のネガティブな面を全開しなければならないかもしれません。そんなことを考えながら、寧子のキャラクターを作っていきます。ただ、人間は変化するものだということは忘れないでいたいです。

「蜻蛉日記」の作者、道綱の母だって、さんざん「あんなに性格が悪くて嫉妬深い女を妻にしたら大変だ」と1000年ずっと言われてきました。彼女は、一夫多妻の平安貴族社会で、夫藤原兼家の愛を一途に求めて正妻の地位を望んでいました。しかし、現代で寧子のように自分の能力を自分の欲望のためだけに使い、転落を恐れる生き方は幸せなのでしょうか?ほかにもいろいろな生き方がある時代なのに、努力の方向がずれてますね。

 

下の彩墨画は、紫式部が源氏物語執筆に滞在したと言われる石山寺蔵の紫式部像を模写した絵です。これから、「平安文学Now」のページトップに使います。

 

千年の孤独に沿ひつ語り来し 紫の君わが永久の友 椛子(かこ)Primavera

 

寧子は早々とAO入試で大学進学を決めた。英検やTOEICのほかにフランス語検定も受けていたので、それを成果にした。そのほかに、政治経済のレポートに「フランス政府のシングルマザー政策と出生率の増加」を書いて提出したところ、担当の先生が感心してくれて、女性の校長に見せたそうだ。校長は「素晴らしいレポートです。今後もともに女性のためにご尽力ください」と赤ペンで書いてくれた。そのふたつによって、寧子はやすやすと合格を決めた。

 母親は「公立大学を受験して失敗したのならまだしも、受験もせずに私大に入学するなら、学費以外の援助はしません」と言った。寧子は、エコール・ド・フランセに通いたかったし、留学もしたかった。それで、コーヒーチェーンのドトールでバイトを見つけた。

 入学式が終わると、キャンパスではサークルが新入生の勧誘が盛んに行われていた。「活動を通して、友だちを作りましょう」と呼び掛けていた。「女性の友だちの面倒くささは、小中高でさんざん経験したわ。それに、飲み会とかいっても騒がしいだけで、あの雰囲気にはなじめない。オリエンテーションの後、准教授が居酒屋に連れて行ってくれたけれど、苦痛だった」というわけで、当面はどこのサークルにも所属せずに様子見をすることにした。学期中は、仏文科やフランス語学科の会話のクラスに出席して、夏休みはエコール・ド・フランセの集中講座を受講することにした。

 エコール・ド・フランセはフランス政府の援助もあって、質の高い授業を比較的安価に提供していた。施設内の飲食コーナーでカフェラテを飲んでいると、背の高い眼鏡を掛けた男子学生がやってきた。

「ここに座ってもいい?」と言って近くに腰を掛けて、コーヒーを飲み始めた。

「同じクラスだよね。僕は橘則一」と言って、聞いたことのない公立大学の農学部の学生だと言った。

「君はフランス文学科なの?」と聞くので「私は法学部よ。仏文科やフランス語学科なら、大学で結構鍛えてくれるもの。ところで、農学部の学生さんがなぜフランス語を勉強しているの」

と聞くと、「大学を卒業したら、海外で農業指導をしたいと思っているんだよ。特にアフリカでね。アフリカにはフランスの植民地だったところが多いからね。英語よりフランス語のほうが通じる地域も広いから、少しは勉強しておかないとね」と言った。

「ふーん。いずれにしろ、理想をもって勉強するのはよいことだわ」とだけ言っておいた。

ふたりで話していると、別の男子学生がやってきた。

「楽しそうに話しているじゃない。僕も仲間に入ってもいい?君たち同じクラスだろ」と同じテーブルの空いた席に座った。

「僕の名前は藤原賢治。女性の方も藤原だね。こんらがってしまうから、寧子さんとよんでいい?」と馴れ馴れしく言った。

「藤原がふたりに橘だなんて、平安貴族の寄り合いみたいじゃないの」と言うと

「親父が言っていたけれど、先祖は藤原道長だそうだ」

すると橘則一も続けた。

「遠い先祖を辿れば、平安貴族だって、おふくろがどうでもいい事を言ってたことがある」

「うちの両親は、そんなことを言った記憶はないわ。そもそも家柄だとか、あまり気にしない人たちだから」と言ってから

「もしかしたら、誇りに思っている人もいるかもしれない」と考えて、「失礼なことを言ったとしたら、ごめんなさい」と付け加えた。ふたりとも「なんで失礼なのさ」とか言っていた。