ここからは、ヒーラー・アダムの病気ついての話。
病気によって自我が支えられているケース がある。
治療した相手が新しい健康な状態を受け入れられない場合もたまにある。
病気や怪我が他に目的のあるものだとすると、その人は、病気の状態にしがみつこうとする。
例えば敏感性腸症候群の症状とよく似た腹部の不快感を訴える男性。
症状には、腹痛やひどい下痢、特定の食品に対する拒否反応があった。
その人は、自分は牛乳や乳製品にアレルギーがあるのだと言い、そうした食品を避けるために大変な苦労をしていた。
中に入って、眺めてみた。
たしかに腸が炎症を起こしていたが、その原因となるような身体的な理由は見つけられなかった。
すべてがその人の想像によるものだと言うつもりはない。
その人が体験していた症状はその人にとって本物 (しかも痛いもの)だったことは、わかっている。
けれど、その人が自分の感情や不安を、腸を通じて処理しているように思えた。
もし、それが腸の症状になっていなかったとしても、そのときはまた別の身体症状を生んでいたのではないかと思う。
その人を毎日治療することもできたが、その人が何か新しい方法を見つけて自分の感情をうまく扱ったり処理したりできるようにならないかぎり、いつまでもまた元の木阿弥になるだろう。
人の体というのは驚くほと複雑で、健康には心と体の関係が絡んでいる。
体には、いつでも心の中が反映されるのだ。
人によっては新たに得た健康な状態をなかなか受けつけないことがあるということも知った。
病気が、その人が自分にとってとても大事だと思うようなほかの目的のために働いている場合がそうだ。
元気になってしまうと、病気によって支えられていた目的が果たせなくなってしまう。
病気になる本当の理由が、人生にひどく失望したり幻滅したりしたことにある場合もある。
これは仕返しのようなものだ。
人生が自分を傷つけたというふうに感じて、人生にちゃんと参加するのをやめることで報復しているのだ。
病気は、いろいろな精神的理由からも起こることがある。
人の心の中は、直接体に影響する。
人から注目されていない。
認められていないと感じていた場合、病気(特に慢性の)によって、求めていた注目や認知を得られるようになる。
初めは心で知覚されたものが原因となって、病気が体に現実に表れる。
体を完全な健康体に戻すためには、注目や認知の問題が解決されなくてはならない。
心も同じ目的に沿っていなければ、体だけのヒーリングをしても、効果が長続きするのを期待することはできない。
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確かに。
アダムの文章を読んで自分の過去の病気の症状に照らし合わせてみても、そーだよねーと思うことでした。
病気の真っ只中にいる時に、自分の痛みや苦しみに感情が持っていかれます。
あらゆる視点から自分を客観視すると、病気についての見方が変わりますね。