これはわたしの見解であって体験からの話です。
肉体的な病気の症状はありますよね。
そして病名も様々あります。
20年位前になりますが、難治性の病状が出て、いろいろな病院を周り、やっとどんな病気の症状なのか、知ることが出来たのですが、今すっかり治りました。
それはツインソウルとの出会いという私にとっては劇的な出会いを経験し、人は肉体を超えた存在なのだ、と気がついたことがキッカケです。
病気の症状別に名前がつけられていますよね?
あと、その中で体験する痛みって本人にしか分からないものです。
第3者が痛みを想像は出来るかもしれないし、自分の体験の痛みに照らし合わせて想像してみることはできますが、実際には痛みを味わっている本人にしか分からないですよね。
そのことにフラストレーションを感じたりします。
当時のわたしの病気の症状は痛みを伴うものでした。
なので、誰かにわかって欲しいって思っていました。同じ症状の人と話すと安心する、みたいな気持ちにもなっていました。
そして、痛みを伴う難治性の病気という診断だったこともあって家族が優しくしてくれるので、無意識に病気の症状にしがみついていたように思います。
そこから劇的な出会いがあり。自分の意識にも気づき、症状はどんどん改善されていきました。
当時から薬は飲んではいません。
薬を否定しませんが、なるべく合成の薬剤を飲みたくなかったのです。
また、病院で働く医師や看護師の方の活躍にも頭が下がります。
なんですが、私自身は自分の意思の力や霊のサポートを実感して信頼しています
痛みがつらかった当時、なるべく薬を飲まずに過ごせるようにいろいろ調べましたし、調べたことやよいとされることを自分に実験もしてきました。
その頃、彼からのエネルギーのアチューメンントやを受けて、ヒーリングがきっかけになりました。
そして、あることに気付いたのです。
何をするのか?が大切なのではなくて、どんな意識でするのか?ということ。
それから自分1人だけが痛みを感じているわけではないということ。
家族は私と同じ痛みを感じていたわけではないけれど、別の痛みを感じていたのです。
私が気づく必要があったのは、感謝と1人で頑張りすぎないことでした。
感謝は日々思っていましたが、感謝って思うことや考えることではなくて、内側から湧いてくるエネルギーだったんです✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨
助けを求めながら助けを受け入れない自分を客観的に知ることになりました。
病気って気持ちの面もとても大きな要素になっていて、自分が難治性の病気だと診断され、医師からは一生付き合っていく病気ですと言われた時、そーなんだー!!と信じ込んでしまいました。
病気だと自分が決めた瞬間から、そのものになってしまう。
なので、みるみるそうなっていきました。
医師が嘘をついているとか、そー言う話ではないんです。
自分のスピリットは健康なのに、肉体が○○の病気なんだ!!と定義した瞬間から、その病気が自分の名前のようになっていくんです。
そんな中で私は石と出会い、ツインソウルとの出会いを体験しました。
当時の私がまず、意識したのは私はそのような症状は、体にあらわれているけれど私自身が○○の病気です、って病気の説明をするとか病気の名前を名乗るとかを辞めました。しないようにしたんです。
なぜ?それをしたのか?
名乗った瞬間からその病気になっていく、背負うことになるからです。
他者に○○の病気なんですって言わないようにしました。
痛みの症状が出ることがあっても自分がその病気になる、というか、名乗ることをまず、辞めたのです。
自分の定義した、思う自分になるのでね。
それから、病は気からといいますが、その通りなのと、後は憑依とか他者の痛みを引き受けてしまうとか能力で苦しんでいる場合もあるのですが、それも自分のことを意識を知らないうちはどんなに意味がわかったとしても自分を知ることから始めないと理解するというより、無意識に何のせいにしてしまうことになっていたり、病気を手放したくなくなっているという場合があります。
痛みがある時は痛みから解放されたいですし、自分では治りたいと考えているのですが、自分に厳しくしていたり、助けを受け入れられないの。
助けを受け入れる、というよりは、自分は病気なんだから優しくして、とか、助けてくれて当然でしょう?っていう“思い”が隠れていたりするんです。
それは自分が自分に対して無意識にムチ打っていたりするからなんです。
病気を理由に何から目をそらしているのか?私は知ることになりました。
まさか、そんな思いが隠れているだなんて、自分では気づかなかったから身体が信号を発信してくれていたのです。
そこからは病気には病気という意味があるわけではなく、自分が知る必要がある素晴らしいメッセンジャーなんだということを知る体験となりました。
苦しい時にはそんなふうには受け取れないし、なかなか意識を切り替えることは難しい。
なので小さな奇跡を見逃さないことが大切でした。
次回に続きます